190124 文化財は誰がどう生かす? <改正文化財保護法 4月施行 「史実より神話」の傾向懸念>などを読みながら
今朝は、ブログで大畑才蔵の歴史ウォーク案内をアップしました。
本日の話題をいまトピック性のある<巨大IT企業公取委、優越的地位どう判断(IT巨人VS公取委)>を取り上げようと少し考えているとき、少し材料不足かなと思い断念しました。
今朝のブログのつながりで、昨日の毎日夕刊記事<Topics改正文化財保護法 4月施行 「史実より神話」の傾向懸念 京大教授、国立歴史民俗博物館長ら討論>がちょうどいかなとおもってしまいました。といってもこの討論、昨年11月にあったもの、花澤茂人記者の思い入れ?がやっと通ったのでしょうかね。
記事の内容は、見出しの通り改正文化財保護法をめぐって賛否の議論です。
まずは改正の要点を引用します。番号は私がふりました。
① <都道府県に文化財の保存と活用の「大綱」、市町村に「地域計画」の策定を求める
→ 国の認定を受けると現状変更など国の権限の一部を移譲
② 個々の文化財所有者に「保存活用計画」の作成を求める
→ 国の認定を受けると現状変更などの手続きを緩和
③ 文化財保護業務を教育委員会から首長部局に移管
→ 首長の観光やまちづくり政策への文化財の活用がスムーズに>
詳細は文化庁の<文化財保護法の一部を改正する法律等について>を参照ください。といっても私も条文すら見ていませんが。
文化庁から自治体の教育委員会に縦割り式で統一的な文化行政の中核とも言える部分を大きく変更するものですね。安倍政権のうたい文句の一つ、地方創生というか活性化を各省庁、法改正ないし新設で地方分権の徹底を図っているとも言えるかもしれません。おそらく平成31年度は各自治体の職員はあらゆる分野で大きな制度変更に直面することになると、一応はいえるかもしれません(そういった法改正は以前もよくありましたが、実態はそれほど変わらなかったのは歴史が証明しているかと思います)。
本改正についていうと、<過疎化や少子高齢化で文化財が危機に直面する中で、国から地方への権限の移譲などによって、文化財を活用したまちづくりや観光を推進する狙いがある。>しかも文化財行政を担う主体を教育委員会から首長部局に移管できるようになるというのですから、大きな変更のようにも見えます。
まず改正法に反対の論者は、たとえば<保護がおろそかになったり、「稼げない文化財」が軽視されたりすることへの懸念もある。>とか、<京都大の高木博志教授は、・・・近年、観光のために史実より神話や物語を優先するような傾向が復権しているとし、「戦後の歴史学改革の営みに逆行する」と疑問を呈した。>りとか、問題視しています。
他方で運用のあり方で文化財を有効活用できるという指摘もあります。まあ法改正の支持者というわけではないかもしれませんが。
たとえば<国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の久留島浩館長は、博物館の来館者が「見せられている客体から、見る主体になる必要がある」と強調。「一つのものを見て人々や暮らしを想像し、自分で再構成した歴史と他人のものを比較、議論する場としての博物館が理想。観光そのものは否定しないが、観光客ではなく地域の人が何度行っても面白いことが大切」と話した。>
この意見に賛成です。
ただ、はたして文化財を展示する側でそういった発想で行っているところがどの程度あるでしょう。立派な解説書や展示物に掲示されている簡単なコメントで、おおよその個々の文化財を理解することができますが、おおくは教科書的な理解にとどまるような扱いではないかと懸念します。
むろん最近はやりの・・・子、・・・女子とか的にちょっとしたブームを呼ぶ仕掛けは勝手に起こるかもしれませんが、文化財の見方、扱い方を見直すよい機会かもしれません。
また次のような、地域のその成り立ち、構成要素を、自分のライフスタイルに取り込むような、持続性ある取り組みを心がけている施設もあるのですね。
<京都大の岩城卓二教授は兵庫県尼崎市の市立地域研究史料館を取り上げ「市史の編さんが終わった後も地域研究の拠点となり、来館者への手厚い対応で対話が生まれた。市民を巻き込んで収集、保存、研究、公開を繰り返す『循環型』の施設になっている」と今後のモデルとしての可能性に期待した。>
いいですね。この循環型の施設という発想、ぜひよりいっそうすすめてもらいたいものです。
各地の市町村にはその歴史を編纂した市史などがどこでもあるかと思います。これは大変な努力と時間で作り上げ、多面的で、古代から現代まで自分の住むまちの生き様を丁寧に記述していますね。これを図書館や購入した人の積んでおくだけではもったいない話です。
私は関東各地でさまざまな住民運動を担うリーダー格の人たちとお会いする機会が結構ありました。そういう人たちのほとんどが、生まれた、あるいはよそからやってきて住み着いたそのまちの過去を知ることで、その地への愛着をしっかりと抱いていると思いました。
中には首長になった人もいますし、一時的な住民のリーダーであった人もいますが、いずれもその地を知ることでその地を守り育てる生きがいに燃えていました。どこでも誇るべきさまざまな価値がありました。文化財もそうです。まだ文化的景観といった用語もない時代に、そのような価値を見いだした人もいました。私なんぞは、当初はそんな気概もなく、彼ら彼女らの意気に後押しされて次々の訴訟を起こしていたようなものでした。
ところで少し小田井に目を向けて、多少改正法との関連に言及して、今日は終わりにします。
大畑才蔵は江戸中期に、紀ノ川上流から中流にかけて小田井用水開削事業を、農業土木技術者として、かつ農民として、既存の水利体系との紛糾を回避しつつ、廃田を少なく上田を多くし、他方で工区管理を合理的に算定して、費用対効果を受益農家に理解してもらいながら、多くの中小河川を横断する技術を駆使して成功させました。
その小田井には国の登録有形文化財(建造物)が<龍之渡井>はじめ4つもあります。これ自体すばらしいことでしょう。ただ、残念なのは、この登録有形文化財が主に焦点が当たって、小田井灌漑用水自体や小田井堰に必ずしも注目が当たっていないことでしょうか。さらにいえばその歴史的意義、さらにいえば現代的意義についていえば、前者はある程度理解が進んでいるようにも思えますが、後者は疑問です。
文化財は歴史的な意義、価値があるのは当然ですが、現代、さらには将来にわたって活用されることでその意義がより高まると思うのです。いや、ほんとうの意味を見いだせるかもしれません。
温故知新ということばは、文化財と人、地域を考えたとき、肝に銘じおいてよいのではと思うのです
文化財の専門職員を増やすことも大事でしょう。他方で、文化財は私たち一人ひとりにとってもとても大切な価値があります。それこそ自治体の首長部局が担うのであれば、私たち一人ひとりの意見が反映する仕組みを構築するのでなければ、砂上の楼閣になりかねないかもしれません。自治体は、国の要請で、これまでもさまざまな地域計画づくりをしてきましたが、生かされているものがどれだけあるでしょう。多額の費用を投じたマスタープランもいつのまにか死蔵状態のところもあるのではと思うのです。
こういった懸念を払拭するような新たな文化財行政を生み出すことを各地の自治体に期待したいものです。
今日はこの辺でおしまい。またしても何を書こうとしたのかあいまいになりました。ともかくまた明日。