190307 患者の意思とは <透析中止で死亡 日本透析医学会が調査へ>などを読みながら
今日の毎日朝刊は一面に、<医師が「死」の選択肢提示 透析中止、患者死亡 東京の公立病院>と大きく取り扱ったうえ、この事案を複数の紙面で大きく取り上げました。
しかも上記見出しのよりさらに突っ込んで、紙面では<患者に「死」提案>となっていました。そのような取り上げ方が妥当か気になりつつも、紙面を読みつつ、毎日デジタルを取り上げたいと思います。
事案は女性患者が最初に受診した昨年8月9日に、医師から透析継続と中止の選択肢の提案があり、患者がこれを後者を選択し、自宅療養に戻った後、14日に入院、女性から透析再開の話がでたものの、苦痛を和らげる治療を患者が選び、16日午後5時過ぎに死亡したというおおよその経過です。
私は、生死の選択も含め治療の選択は本人が、的確な情報を提供され、それを理解したうえで判断してなされることが望ましいという立場に立っていますので、多少の偏りがあるかもしれません。
透析治療医などから今回の福生病院医師の批判的な見解が多く見られます。医師の倫理に反するとか、医療ではないと言った意見もあります。わかりやすい根拠としてはガイドライン違反が指摘されています。
記事では<日本透析医学会が2014年に発表したガイドラインは透析治療中止の基準について「患者の全身状態が極めて不良」「患者の生命を損なう」場合に限定。専門医で作る日本透析医会の宍戸寛治・専務理事は「(患者の)自殺を誘導している。医師の倫理に反し、医療とは無関係な行為だ」と批判している。外科医は女性について「終末期だ」と主張しているが、昨年3月改定の厚生労働省の終末期向けガイドラインは医療従事者に対し、医学的妥当性を基に医療の中止を慎重に判断し、患者の意思の変化を認めるよう求めている。>
さっそく日本透析医学会の<ガイドライン・提言>を見たのですが、いくつかあって、ざっと見たとき治療中止の基準を見つけられず、今回は記事の通りとしておきます。
また厚労省の「終末期向けガイドライン」は探していませんが、内容自体に異論がありません。
他方で、女性の意思はどうだったかですが、当然ながら動揺しています。それでもカテーテルを入れて透析治療を継続することにはかなり強い意志で拒絶していたことがうかがえます。
記事から、その意思を推測するしかないのですが、診療経過が認められます。
<女性は受診前に約5年間、近くの診療所で透析治療を受けていた。血液浄化用の針を入れる血管の分路が詰まったため、昨年8月9日、病院の腎臓病総合医療センターを訪れた。>その前に診療所が<カテーテルを病院で入れてもらうよう女性を説得すると、女性は「病院で相談する」と言って帰宅した。>と女性がその治療に納得していなかったことがうかがえます。
8月9日、福生病院外科医が提示したのは<(1)首周辺に管(カテーテル)を入れて透析治療を続ける(2)透析治療を中止する>でした。後者は死に直結すると説明したのです。
そして女性は、<「シャントが使えなくなったら透析はやめようと思っていた」と、いったんは透析中止を決めて意思確認書に署名した。外科医は看護師と夫を呼んで再度、女性の意思を確認した。>というのです。その後一旦自宅に戻っています。
8月10日には同病院の腎臓内科医(55)と面会し、<女性は「透析しない意思は固い」「最後は福生病院でお願いしたい」と話した。>というのです。
<4日後の14日、「息が苦しくて不安だ」と、パニック状態のようになって入院した。>と症状が悪化し精神も不安定になったことがうかがえます。
死の直前の女性のことばは動揺した中で揺れ動いていたようにも見えます。
<15日夕。女性の苦痛が増した。夫によると、女性は「(透析中止を)撤回できるなら、撤回したいな」と明かした。夫は外科医に「透析できるようにしてください」と頼んだ。>と明確な意思と言えるかはっきりしませんが、透析再開を望む気持ちはうかがえます。
ただ、<外科医によると、女性は「こんなに苦しいのであれば、透析をまたしようかな」と数回話した。外科医は「するなら『したい』と言ってください。逆に、苦しいのが取れればいいの?」と聞き返し、「苦しいのが取れればいい」と言う女性に鎮静剤を注入。>と女性の撤回の意思を認めず、透析再開をしなかったようです。
苦しい状態に陥れば、溺れる者は藁をもつかむ気持ちになることは想像できます。それが8月9日や10日の落ち着いたとき、死を覚悟して透析中止の意思を明確にしたこ女性が、予想外の苦しみを脱する方法を探ったのか、いやあくまで少しでも延命を望み同様に苦しいカテーテルを入れて透析再開を選ぼうとしたのか、判断しかねますが、外科医のことば事実なら、前者を選んで鎮静剤注入に納得したと考えてもおかしくないと思うのです。
しかし、毎日記事では<クローズアップ2019 医師、患者の迷い軽視 「透析再開したいな」翌日死亡 >では、<医師、患者の迷い軽視>や<医療関係者「押しつけ」>と批判的です。
8月9日や10日の段階での外科医の提案について、毎日は「死」の提案としていますが、それは誤解を招くものではないでしょうか。
<公立福生病院の外科医・腎臓内科医、一問一答>での答えは私も賛同できる内容です。
<外科医 腎不全に根治(完治)はない。根治ではない「生」に患者が苦痛を覚える例はある。本来、患者自身が自分の生涯を決定する権利を持っているのに、透析導入について(患者の)同意を取らず、その道(透析)に進むべきだというように(医療界が)動いている。無益で偏った延命措置が取られている。透析をやらない権利を患者に認めるべきだ。>
少なくとも女性は約4年間の透析治療経験で、その女性にとってその治療後の自分の状態を分かっていて、<「シャントが使えなくなったら透析はやめようと思っていた」>と堅く思っていたのではないでしょうか。
むろん女性がどのような苦しみがあっても少しでも延命を望むのであれば、その意思は尊重されるべきだと思いますが、女性はそれ以外でも長く「抑うつ性神経症」として苦しんでいたようです。だからこそ精神的に弱いかもしれない女性のために、嫌がるカテーテルを説得して透析治療を継続することが医師のつとめだとか、医療行為として求められることだとか、といった批判は、私には医師側の立場から見た指摘ではないかと思うのです。
患者は、当然ながら適切な情報提供を受け、その内容を理解した上、透析中止という一つの医療の選択をしたならば、それこそ尊重されるのが本来ではないかと思うのです。
人工透析の役割は大きいですし、多くの方は救われたと思っていると思います。ただ、人工透析をする場合、患者に適切なインフォームドコンセントを行ってきたのでしょうか。当初はよくても患者によっては大変きつい治療行為と感じる人もいるのではないかと思います。人工透析の選択、そして中止の選択について、より患者サイドにたったガイドラインを検討してもらいたいと思うのです。
今日はこのへんでおしまい。また明日。
補筆
人の生死は誰が決めることができるのでしょう。個人の意思は尊重されるということは誰も否定しないでしょう。しかしながら、そこにはいろいろな既成概念というか縛りがありそうです。医療の常識、そこにはこれまでの医学的知見なり医学界の方針が厳然とあるでしょう。あるいはそれに異論を述べる医師の存在もあるでしょう。他方で、本人の家族、場合によって親族や友人も関係するかもしれません。
本人の意思を確認するのも簡単ではないことも少なくないでしょう。人は自分がもっているそれぞれの「常識」とか「経験」とかに基づいて一つの観念を抱いていることが普通ではないでしょうか。私も客観的に見ようとしても色眼鏡で見ているかもしれません。
そういった前提をおいて、効率福生病院での透析中止事案を見るとき、本人の意思の見方が違って見えるようにも思えるのです。
3月13日付け毎日記事<公立福生病院 透析中止は5人 次第に「自信を持って」選択肢提示>では、透析中止を選択肢として提示した病院・医師側はこれまでの経験から自信をもって行ったことを説明しています。
他方で、本日付毎日記事<東京・公立福生病院 透析中止死亡女性の夫が手記 「医者は患者に寄り添って」>では、女性の夫は<「医者なのだから、一人一人の命を預かっているのだから、患者に寄り添って生かしてほしい」と心情を吐露。>それは彼が<妻とは30年間、付き合った。一緒にいるのが当たり前だった。透析患者やその家族には1人の遺族として、こう伝えたいという。「生きることは難しいことだが、生きていてほしい」【梅田啓祐、矢澤秀範】>という気持ちを強く抱いていたことから理解できます。
人の生死は場合によってはその人だけの判断で決められないかもしれません。どんな状態であれば少しでも命を長らえることを願うのが伴侶であったり、家族であったりするのかもしれません。孤独死社会といわれるそれが怖れられたりする現状があります。一方で、強固な紐帯というかそれ以上の一体感のある夫婦であればそういった感情を抱くのも当然でしょう。
しかし、と私はあえて言いたい、その人の命、それは個人が落ち着いた状況で決断したものであれば、それこそ尊重されるべきだと思います。長生きが一番とか、少しでも一緒にいたいといった思いは、その人の意思を無視する可能性すらあると思うのです。本件ではどうだったかは分かりません。ただ、夫が取り上げた妻のことばだけでも、本人の本当の気持ちを捉えたかは断定できません。むろん透析中止を行った外科医が受け止めた本人の意思も慎重に考察されるべきでしょう。
そんなことを思いながら、最近の2つの記事を見て、ちょっと補足しました。もう少し丁寧にこの問題をいずれ取り上げたいと思います。
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