180531 延命治療と終焉作法 <延命治療中止 医師葛藤 過酷な判断>などを読みながら
今日も会議などで気づくともう6時半を過ぎています。今日も簡潔にまとめてみたいと思いますが、話題が少し重いので、淡々と書いてみようかと思います。
先日も書いたような気がするのですが(記憶がすぐ薄れてしまいます)、ある後見事件で、施設入所に際して、延命措置や水分・栄養補給についての意思確認を求める文書を説明して、ご本人に確認を求められました。私はその文書と言葉による説明では本人は理解できない、写真とか図示で説明してもらいたいというと、担当者はちゃんと用意してもってきて説明しました。ご本人もおおよそ理解できたようでした。そのうえで意思を表明しましたので、私も結果はどうあれ、ご本人の気持ちをある程度的確に示してもらえるよう配慮できたかなと思いました。
しかし、多くの方は、私のような意見を言われていないようですので、これまでは口頭説明だけで意思確認書が作られてきたようです。
上記だけでも十分ではないと思いますが、単なる口頭説明だけだと、用語の意味も理解できないままで、書面ができあがってしまいますね。
さて、毎日朝刊では<毎日新聞調査救急拠点、終末期の患者への延命中止7割>と報じられ、延命治療などの実態が放映されたり、身近な家族や友人でその治療を見聞きしたりして、自らの選択として選んだのかと思ったら、どうやら多くは家族の意思のようですね。ご本人は意思を表明できない状態が少なくないからでしょう。
延命治療中止7割の実情は<調査では、救命救急センターを備える全国288(1月末現在)の病院に対し、昨年、延命治療を途中で中止したり最初から差し控えたりした取りやめのケースについてアンケートし、113病院から回答を得た。取りやめの有無を答えた73病院のうち、「ある」と返答したのは67%に当たる49病院。「ない」は24病院だが、うち10病院が取りやめを検討していた。残る40病院は「微妙な問題」などと回答を控えた。>とのことです。
そのような判断理由としては、<「患者や家族の希望」が89%で最も多かった。「家族への負担考慮」は34%。>興味深いのは、<意思確認の方法(同)は「患者の家族が決定」と「家族が推定した患者の意思」が8割に上ったが、「本人から確認」は2割にとどまった。>ということです。
その意味で、事前に本人の意思を確認することを積極的に進めることが各施設ですすめられているのでしょう。
では延命治療の中止などを表明された場合の医師はどう対応するか、そこが<クローズアップ2018延命治療中止 医師葛藤 過酷な判断>として悩める医師の姿を示しています。
<全国最多の年間1万3000人超の救急搬送者を受け入れる湘南鎌倉総合病院(神奈川県鎌倉市)の救命救急センター。1日40台近い救急車が滑り込み、待ち受ける医師は死と隣り合わせの患者の治療に追われる。6割以上が高齢者だ。>だいぶ以前ですが、ここの病院長や副院長にはいろいろとお世話になりました。でも全国最多とは知りませんでしたね。
いくつかの延命治療中止を望む例を示しつつ、<家族が経済的な思惑を優先しすぎていないかも見極める必要がある。この救急医は「終末期の意思確認に関する教育なんて受けていないのに、『現場で判断しろ』と言われる。葛藤の連続だ」と悩む。>と医師の苦境を取り上げています。
また、<治療の取りやめも決断し、「みとり」も担うようになった救急医。誰にも最期が訪れるからこそ訴える。「自分は、家族は、どう生きたいのか。全ての人に考えてほしい」>という訴えは、いまからでもすべての人が考えて欲しいということだと思います。
世の中は、健康長寿や若返りとか、若く見えるとかいった宣伝文句だけが氾濫しているようで、それはそれで前向きというか、明るくていいかもしれませんが、いつ私たちは死を迎えてもおかしくないと考えることも大事ではないかと思うのです。
少なくとも鎌倉仏教が勃興した頃は、まさに死は日々直面する現実だったのだと思います。そこまでリアルに考えなくても、なにがあってもよい心構えは、心の健康としても、家族のことを思うにしても、必要なことではないでしょうか。
私がこのブログを書いている一つの理由はエンディングノートであることは以前も書きましたが、死から逃れないのですから、そのときの対処法、作法というものも常々考えていてもいいというか、考えておくものと思っています。逆に財産処分といった現代版遺言などはたいした問題ではないと思うのです。
厚労省もようやく四角四面から、実態に即した指針に改訂するようです。
<厚生労働省が2007年に策定した終末期医療の指針は、医療側を「規制」する意味合いが強かった。延命治療の取りやめは患者本人の決定が基本だとし、医師や看護師など多職種によるチームで判断することを柱としていた。>と医療側で決定することに重きを置いていたのでしょう。
尊厳死協会が長年訴えてきたことが、その会員数の伸びもあって、世の中に次第に自然な死を迎える意識が受け入れられてきたのではないかと思うのです。
<患者にとって「尊厳ある最期」をいかに迎えるかという観点で終末期医療のあり方が議論されるようになった。>
また、<厚労省の17年度の調査では、心臓や呼吸が止まった場合に、心臓マッサージや人工呼吸器などを望まない国民は7割に上っており、各医学会は既に独自の指針を策定している。終末期には延命治療が必ずしも患者のためにならないとの考え方があるからだ。>というのです。
今回の改訂は、みんなで何度も話し合いをしようという、結論の出ない話ですが、現段階ではそれでいいのではと思うのです。その中で、各施設で独自の指針を用意し、患者・家族との話し合いにより、その意思を明確にするようにしていくことが大事かなと思うのです。
<厚労省が3月末に指針を改定し、患者と家族、医師らに繰り返し話し合うよう求めたのは、延命治療の取りやめの判断はそれぞれにとって重いためだ。新指針では、話し合いの結果を文書に残す必要性も強調した。4月に改定された診療報酬は、みとりなどの報酬算定要件に「指針を踏まえた対応」を追加し、医療機関に取り組みを促してもいる。>
なによりもそれぞれの治療内容・その後のケアの大変さを知ることも大事ではないかと思うのです。それを事前によく知った上で、どのようにすべきか、個々人が前もって意思を家族と話し合い、また医療側とも理解し合うことが重要でしょう。
参考までにある施設(芳珠記念病院)の書式を引用します。この内容は結構わかりやすいと思います。こういう書式を各施設で工夫してより理解できるようにすることが大事かなと思うのです。
書式例
わたしは基本、医療に頼らず、自らの終焉を自らの作法で行いたいと希望しています。誰かのように他に頼ったりするのではない、自然な終焉です。それはそれぞれが崇高な気持ちで選ぶことだと思います。
30分を過ぎてしまいました。今日はこれにておしまい。また明日。
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