161227 差別とどう向き合うか 相模原事件から障害者差別解消法を考えてみる
相模原市の知的障害者施設で、死者19人、負傷者26人という大量殺傷事件が発生してすでに5ヶ月が経過しました。献花台も先日施設から取り除いたニュースがありました。そして12月初めには、4ヶ月近くかけて調査を行った第三者委員会による事件の検証・再生防止に向けた報告書も発表されました。
これまでもこの事件に若干、触れてきました。今日は、4月に施行された、「障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律」(いわゆる「障害者差別解消法」)と、上記の報告書を踏まえながら、少し立ち入って考えてみたいと思います。といっても仕事に追われて、今日ざっと読んでの感想的な考えに過ぎないので、相変わらず粗雑な議論であることをご容赦下さい。
中身に入る前に、私自身のわずかな経験を書いておいた方がいいかなと思います。筆者がどのような経験・立ち位置でものをいっているか、少しはこのつたない文の意図を理解できる手助けになるのではないかと愚考する次第です。
私自身、障害者に対する意識は、どうかと質問されると、差別を嫌うという基本的なスタンスから、できるだけその障害の内容・程度に自分が寄り添えるようにしたいと思っています。その意味で、あの事件の容疑者のような差別的意識には嫌悪を覚えます。そしてそれに同調する人に対しても。とはいえ、私自身が施設の職員のように、また、家族のみなさんのように、あるいは障害をもつ方のように、その気持ちにほんとうによりそえるかと言われると、自信があるわけではありません。
これまで私は、成年後見人として、知的障害の方、視覚障害のある方、精神障害のある方などのために仕事をしてきました。その限りで、私なりに懸命にその方々の気持ちを理解しようとしてきましたが、実際はどこまでできていたかは自信がありません。
施設の職員や家族の方が親身になって世話をするように、自分がほんとうに継続的に日常的に対応できるかといわれると、まったく自信がありません。そんな私が差別するのはおかしいと言っても、表面的で言葉だけのきれい事をいっているようにしか映らないでしょう。実際そうかもしれません。
ただ、私の叔母が精神を病んでいて、わが家で世話をしていました。私の幼い頃でした。私は幼いながら、叔母が外を歩いていると少し恥ずかしい思いをしたことがあります。しかし、母は懸命にその世話をしていました。それは私自信の中にある恥ずかしいという思いを恥と感じさせるに十分でした。いま母のような立場になったときできるかと言われると、自信があるわけではありませんが、それは親族か否か関係なく、私の差別を憎む心こそ私の存在価値と思うので、やり遂げたいと思っています。
いつものように余談が長くなり、しかも自分のちいさな経験を吐露してしまいました。それぐらい、この問題は重い問題だと思っています。
障害者差別解消法は、意識的あるいは無意識的に社会の中で障害者が差別されている現状を変革する必要を訴え、差別の解消を行政・事業者を含むすべてが不当な差別的取扱を禁止し、他方で、障害者から社会的障壁の除去を求める意思表明があれば、合理的配慮の提供を積極的に求めています。とくに地域での関係する多様なメンバーの連携による協力体制の確立を求めています。
このような障害者差別の禁止とその社会的障害除去により共生する社会を目指す法律が施行されたばかりの本年に、大量殺傷事件が敢行されました。容疑者は、その施行直前に、わざわざ国会に出向いて障害者差別というより障害者そのものをなくす立法を訴えていました。この容疑者自身の特異な考え方ともいえますが、とはいえその考えに賛同する意見が相当数ネットで表明されていることが報じられています。
事態は同じではありませんが、アメリカでは白人たちが黒人、ヒスパニックへの差別からイスラムなど信仰・民族による差別を公然と発言し、行動にも移しています。白人も本来移民であるのに、新たな大量の移民(不法移民とレッテル張りをしていますが)に強烈な拒絶反応を示しています。それはEU各国でも同様の現象が増大しています。
わが国にも、以前よりアイヌ先住民や在日朝鮮人・韓国人などに対する差別的言動は根深い物があり、ヘイトスピーチとしても増えています。障害者への差別は別の意識なり背景からだと思いますが、いずれにしても人を差別すること、それに同調したり煽ったり、徒党を組んで暴力的になり得ることは似ているようにも思えるのです。
なぜ人は差別するのか。人が成長していく中で自我を芽生えさせるうちに、差別意識が自然に生まれるものでしょうか。そのような気持ちに対峙し、自由で平等な生き方を求める意識も目覚めるはずですが、その相克の中で、前者が凌駕する場合が少なくないようにも思えるのです。私自身もその闘いの中で生きているようにも思えるのです。
で、相模原市の障害者支援施設における事件の検証及び再発防止策検討チーム、一応、ここでは第三者委員会としておきますが、その報告書が公表されています。
ちょっと時間がなくなってきたため、今日のところは簡単に触れ、後日、補充したいと思います。
この第三者委員会のメンバーは、専ら医療関係者で構成されており、その意味で、内容自体も精神保健福祉法に基づく措置入院制度、とくに退院後の対応について主に検討し、再発防止策を講じています。その限りで、その内容自体はもっともな面が多々あると思います。
しかし、本来、当該容疑者の症状・言動を考慮すれば、措置入院の決定自体のあり方という入り口部分について検討される必要があったと思いますし、それ以前の警察の対応をも含めて考慮されるべきではなかったかと思うわけです。
そうであれば、メンバーとしても、法曹関係者の参加は不可欠ではないかと思うのです。それは容疑者自身の犯罪性という面と精神障害者性という面、薬物被害者性などを多面的検討するにはそのような体制が必要ではなかったかと思うのです。
ちょっと時間切れとなり、またいつか補充します。
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