171221 議事録は必須 <政府の重要会議、議事録ないケース>などを読んで
今日は朝から大阪・堺まで出かけていって、夕方前に帰ってきたら、依頼者から突然の電話で相談があり、業務時間終了時にようやく終わり、いま一段落しています。
堺での用事のついでに、一度は訪れたかった大山古墳(いわゆる伝仁徳天皇陵)を訪れました。百舌鳥古市古墳群として来年の世界遺産登録を目指すことが決定したとのニュースをいつか見た気がします。世界遺産登録の対象となること自体、その規模・世界史的な意義などからも当然と思いつつ、でも対象としてふさわしくないのではとも思うのです。そんな気持ちで写真を撮っていたら、たまたま観光客もいなかったこともあり、ガイドの一人が近づいてきて、いろいろ説明しようとするのです。ありがたいが一般論は結構ですと断り、被葬者の問題などを指摘したりすると、今度はその方も世界遺産登録に疑問を投げかけてきました。
世界遺産とするなら本来の前方後円墳の形状に戻すべきだといった意見でした。それはそうでしょうね。秦の始皇帝陵も発掘調査などを続け、次第に全容が明らかになりつつあるわけですから。現在のように立入禁止で、被葬者すら特定できていないのに、仁徳天皇陵として登録したりしたら、どうなるのでしょう。比定の根拠は平安時代の延喜式でしたか、当てにならないように思うのです。記紀の記載から見ても矛盾しませんかね。仁徳の諱は苦しむ民の姿を見て3年間でしたか?免税措置をとったとか、仮にそうだとしても、こんな大規模工事を庶民に負担させる苦役を強いる人が仁政を行ったと思えますかね。
すでに考古学の世界では解決されたように思いつつ、歴史学の世界でもいろいろ諸説が紛糾しているようにも思え、そのような議論は素人には楽しい限りです。でも記録があまりになさすぎますね。当時は文字を書く人がいなかったというのは誤解ではないでしょうか。きちんと意思決定の記録が残されていたが、乙巳の変で、蘇我蝦夷ではなく変を起こした張本人が焚書坑儒ではないですが、都合の悪い記録を始末したのではと愚考しています。
と余計な話しをしてしまいましたが、為政者の意思決定はきちんと記録に残されるべきであることは、だれも異論がないように思うのです。ところが、わが国ではなかなかそのような公文書管理が根付きませんね。
今朝の毎日記事<行政文書管理残る課題 政府の重要会議、議事録ないケース>と<公文書管理政府が見直し案 「1年未満」廃棄時も記録>で取り上げられた問題は、真剣に検討してもらいたいですね。
私自身、日弁連の委員会である部会を主催していたことがありますが、昔は職員が傍聴して議事記録を取るようなこともありましたが、ある時期から委員自身でとるようになった記憶です。いずれにしても、そのような議事録があることで、どのような意見が出て、最終的な決定に至ったかがわかり、その判断過程の問題点を後から振り返って検証することもできます。問題のある決定であれば、異なる意見がなかったか、あるいはその決定を支持した意見に裏付けが十分でなかったとか、検証できますね。
議事録をどの程度丁寧に残すかはその問題ごとにABCといったランク分けをして、それに応じた記載も考えていいでしょう。
人間の意思決定は誤りやすいですし、誤りがあればどのような議論の結果なされたか、正しい場合でもその議論の立て方、根拠資料の分析などは、今後の参考になるわけですね。
その点では、行政行為、しかも国家機関の場合はすべて重要でないものはないでしょう。議事録を残さなくて良いものはないとってよいと思うのです。むろん重要性に違いが相当あるわけですから、それに応じて文書化や記録管理には工夫が必要と思います。
しかし、毎日記事で取り上げられているように、皇室会議の議事が概要のみというのは議事録の体をなしていないのではないでしょうか。公表する場合一定のクローズが必要であることは確かでしょうけど、議事録自体は重要な場合個々の発言者とその発言内容は丁寧に記録されるべきではないでしょうか。
皇室会議の議事録といった限定でなく、重要な政府機関の意思決定一般については当然、上記のことが当てはまりますし、もう少しいくつかの手法をとりいれてもよいと思うのです。
たとえばビジュアル化という意味ではビデオ録画を原則にするといったことが一定の会議についてはあてはまるように思うのです。単に録音するだけでもいいと思うのです。現在のAIは視覚だけでなく聴覚も繊細かつ機能的になっていますから、直ちに文書化も可能ですね。
しかも一定の議題ごと、論点ごとなどで、人間の能力の何十倍何百倍の速さで、わかりやすい整理も可能ではないかと思うのです。
それらはAI記録なり、AI文書として保管しておく必要があると思うのです。できればすべての政府・行政の担い手の言動は記録として残して欲しいと思うのです。民間なり、プライバシー確保の必要性が高い場合でも、記録自体は残しておくのが本筋ではないでしょうか。
民間にしろ、議員にしろ、政府や行政にアプローチすること自体、それは公益に関わることですので、秘密裏に運ぶべきではないと思うのです。対象となるのは会議にとどまらず、面会、交渉すべてです。
ICレコーダーを用意すれば簡単です。それは電磁的記録としてPCに保管され、同時にAIによって文書化も一瞬で可能になるはずです。
それを文書として公表することについては、一定の基準で、期間や内容を考量して、最終的には全部開示できる制度化を求めたいと思うのです。
国家的機密や個人のプライバシーといった秘匿性は、その限りで確保できるのですから、まずは議事録作成・保管ということをはじめてはどうでしょう。
議事録を作っていないとか、一年未満で廃棄といった問題は、とりあえずこのような処理で対応できるのではないでしょうか。
記録はPC内で保管することで、文書記録の膨大さのために狭い部屋が占領されるといった弁解はなりたたなくなるでしょう。なんでも記録すると、膨大な記録の中に重要な案件が埋没するといった不安もACは解決してくれるでしょう。
後は、どのように公表するかを、改めて時間をかけて議論して、少しずつか、思い切りか、開示する道筋をつければいいのではないでしょうか。
とここまでで一時間です。堺・橋本をつなぐ高野街道はいつも混んでいて、滅入ります。どっと疲れた中で、青島顕記者の丁寧な記事を読み込むだけの元気がないため、ただただ、自分の考えを述べるだけに終わりました。もう少し地に着いた議論をすればいいのですが、ご勘弁を
今日はこのあたりでおしまい。また明日。
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