161215 教育と鍛錬を考える 現代の教育とは、鍛錬はどうあるべきか
先日だった思いますが、日ハムの大谷翔平選手の記事を読んでいろいろ考えてしまいました。その記事自体はタイトルしか見なかったのですが、今、ウェブ情報で入手し、少し詳細を知りました。
大谷翔平といえば、バッターとしてもピッチャーとしても超一流で、二刀流という新たな道を切り開く偉大な若者として、ずっと注目していました。
で、彼の年俸が2億7千万円というのは特に驚きませんでしたが、生活費が月1万円というので、どのような生活をしているかというか、彼の考え方や生活姿勢が気になりました。
というのは、プロ野球選手に限らず、能力が認められ、人気が出ると、20代初めから巨額の年俸を受け取るようになり、それを自分の判断で使ってしまい、中には豪勢な暮らしを突然始めたり、あげくにはギャンブルに多額の金を投じて、巨額の借金をしてしまい、その地位も名誉も失い、転落の人生を歩んでいった人もいます。
最近では、バドミントンのトップクラスの男性選手が話題になったかと思います。思うにバドミントンのような競技の場合これまであまり評判とならず、経済的にも多額の報酬を得る機会がなかったことから、先輩や競技団体自体に、選手指導として、その生活面や金の使い方などに目を配るだけの観点を欠いていたのかもしれません。それにクラレベルト、野球やサッカーなどでは、運営組織がしっかりしていて、通常はかなり指導や監督ができているのでしょう。
とはいえ、巨人軍の選手が次々と野球賭博で摘発されたことをみれば、とても実効性のある教育なり指導が行われていたとは思えません。
そんな中、大谷翔平氏の生活姿勢は、見事というのか、質実剛健を自らの考えで実践しているようにも思えます。とはいえ基本的には両親がその収入を管理しているということが基礎にあると思います。その意味で、彼の場合、月10万円のお小遣いをもらうだけで、十分すぎ、実際は月1万円しか使わないために、残りはさらに貯蓄になっているというのですから、すごいですね。
さて、ここからようやく本論に少し入っていこうかと思います。大谷家のやり方が模範的ということで紹介したわけではありません。現在の学校教育から社会に出て行く若者にとって、現代社会が金銭剥奪というかその誘惑は複雑かつ巧妙で、とても自分が自律して金銭管理をしたり、消費行動を適切にできる状況にはないと思います。その意味で、大谷家の対応は緊急避難的には適切かつ妥当なものではないかと思います。
しかし、私たちは、一人ひとりが、自分の判断で自己の財産を管理し、使用していくことが求められています。単に収入を銀行に預金することは、金額が巨額になればなるほど、社会的には許容されないというといいうすぎですが、資本主義社会としては望ましいものではないとされるでしょう。
ところが、現在の学校教育では、義務教育課程でも、高校、大学でも、実効性ある消費者教育が行われているでしょうか。たしかに未成年者の場合、未成年者取消権という制度によって、救済されることが予定されています。しかし、だからといって、いつどのようにしてこの複雑怪奇ともいうべき、消費誘導システム(商品・サービスの内容は秒単位で増え続け、その手法も同様で専門家でも容易に理解が困難というべきシステム)に対応できる一人ひとりが形成されるのでしょう。
別のテーマで、明治民法では女性の無能力制度に言及しましたが、現行民法では未成年者を同様に取り扱っています。しかし、それでよいのでしょうか。この制度を助成のように撤廃すべきというわけではありません。しかし、IT産業の進展で、若年世代から、一層、消費形態が複雑になっていく中、成年(いつかは18歳になるでしょう)になれば突然、その行為について責任を負うという現行制度では、消費者被害、とりわけ若い世代のそれは一層増えていくと危惧します。
他方で、若い世代は、未成年であっても、個人差はありますが、中学生くらいになると、相当程度、消費にかかわる知識を求めるとともに、問題について教育すれば、理解が早いと思われるのです。実際の消費形態に応じて実践的取り組みを早期に始める必要を感じています。
これらとはまったく別の論点ですが、鍛錬というものについて少し触れてみたいと思います。それはやはりスポーツと関係します。ラグビーや柔道あるいはレスリングなどは、私も好きな一つですが、いつも不思議に思うことがあります。彼らの多くの耳が腫れ上がるというか、とても異様な形状になっています。
それは鍛錬の証と言われてきたように思うのです。その異様な形状がよりひどいと、真剣かつまじめに鍛錬している、忍耐強いと言われてきたのではないかと思うのです。はたしてそうでしょうか。
外国の選手を見ると、とくに柔道ではあまりそのような異様な耳を見たことがありません。それでも日本柔道選手より強い人は何人もいます。鍛錬のあり方はいろいろあると思います。技が上手になるという練習も、それぞれの体調管理や健康管理に加えて、より科学的な手法や食事療法など生活全般にわたって、対処することが大事ではないでしょうか。
これはオリンピック選手といったトップクラスの選手だけでなく、学校教育におけるさまざまなスポーツ指導のあり方にも当てはまると思います。まだまだ鉄拳制裁が黙認されているところさえあると聞いています。暴力が駄目なのは当たり前ですが(こういう意見をも無視する現場がまだありますが)、暴言も問題です。鍛錬のため、うまくなるため、という名目で、いかなる暴言も許容されているような競技が幼い時代の学校教育の中で今なお残っています。
それは将来、パワハラ、セクハラを含め差別的言動をも許す、土壌になる危険があると思います。学校内は閉鎖的です。そのような問題行動について、いつでも取り上げ、是正できる子ども、教師、学校体制にならないと、自律ある成年者に育つことは容易ではないと思うのです。
大谷翔平選手は、おおらかに育ってきた、ほんとうの意味で理想的なミラクルスターかもしれません。彼自身が自ら玉のように光り輝く存在だったかもしれません。しかし、彼を見守り育ててきたご両親を含む家族の見守りも大きいと思いますし、出身は花巻東高校でしたか、その前の小学校、中学校など、学校教育もなにかヒントを与えてくれるのではないでしょうか。
彼は完全に自律している人間とまではいえないと思います。ただ、自分ができないというか、分からない分野には、無理に入り込まない、強力な自制心があるように思います。他方で、自分がやるべき分野は率先して24時間、365日、自分のすべてを出し切る、そういう姿勢を感じるのです。
私には遠い存在で、多くの人にとっても、必ずしも参考にならないかもしれませんが、教育や鍛錬のあり方を見直すことにより、一歩ずつでも、改善できるのではないかと愚考する次第です。
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