170127 親権と面会交流 <2審は父提案「面会年100日」認めず>を読んで
今朝は昨日ほどではないですが、やはり寒さは厳しく、木々、草、土は凍てついていました。昨夜のBS朝日で、朝日新聞の女性記者が両極を取材した内容が放映されていました。その中で印象深かったのは、北緯78度でしたか、最北にある町、グリーンランドの北西端でしたが、そこからさらに犬ぞりで10数時間かけてようやくたどり着いた場所が、日本人のハンターが最後の狩猟をするのに立ち会うのですね。
日本人は大島さんという名前だったと思います。取材時に68才で、25歳の時からそこに移り住んでハンターをやってきたというのです。私自身は北緯70度にあるカナダ本土から少し突き出た半島にある、ツクトヤクツクというイヌイットのを20数年前に訪れたことがあります。イヌイットの人に狩りを見せてもらおうとしましたが、今は狩猟が禁止されやっていないということで、昔銃で仕留めた北極熊の剥製を壁に飾っているのを見せてもらいました。そして今は、氷上からトドならぬ、魚を網で収穫するのがほとんどということで、その収穫場面に付き添わしてもらいました。
スノーモービルを少しだけ操縦させてもらいましたが、初めてだとなかなか思うようにいかず、少しぶつけてしまいました。氷上の凹凸もあり、難しさを感じました。
番組では、大島さんがトドを氷上から釣り上げたり、ジャコウウシを銃で仕留めたりするのを見ましたが、途中で用ができたので、北極熊を仕留めたかどうかは見ませんでした。ジャコウウシは、だいたいじっとしていて、集団で寒さに耐えるような性行があり、銃で撃つのは難しくないと思います。私自身は、その肉を食べさせてもらいましたが、残念ながら、元々あまり肉食が好みとまでいえないこともあり、変わった肉はどうもいきません。むろんジャコウウシの肉も私は苦手でした。でも北極の激寒では、きっと体温保持や栄養補給の点で有効な肉なんだと思います。
と関係ない話が多いですが、見出しの記事、特別、私の関心を惹いたわけではありません。その前にテレビのニュースで見たとき、たぶん司法クラブの記者会見室だと思いますが、映っていた弁護士の一人の顔に見覚えがあり、誰だったかな思い、記事を読んだ程度の関心です。
一審が松戸支部なので、きっと研修所時代の同期の女性かなとおぼろげながら思い出しつつある程度で、もう何十年会っていないのか、すると顔も見分けがつかなくなるなといった感慨になってしまいました。
とはいえ、折角、話題になったニュースなので、なにが大きく取り上げられた要因なのかを記事やウェブ情報を見ながら、親権指定と面会交流の実務について、離婚が増大していることもあり、いろいろ裁判例も増えてきているのを改めて感じてしまいました。
とりあえず記事になった東京高裁は、千葉家裁松戸支部判決が100日の面会交流を提案した父の親権を認め父への引渡を認めた判断を覆し、重厚な面会交流を特別重視せず、「別居前から主に母が長女を監護し、安定した生活をしている。長女の利益を最優先すれば、親権者は母が相当だ」と従来通りの判例で確立している立場に立った判断を示しています。
私も一審の判断にはびっくりします。長期間すでに母が監護して母親との間で平穏な生活をしている親子を別離させるなんて、想定できません。
しかしながら、以前からそれでいいかは気になっていました。幼いこの場合子の監護世話は母親が最適であるといった観念は、わが国では当たり前のように従前から言われていますが、本当にそういってよいのか、これだけ複雑な社会構造になり、男性と女性もそれぞれ社会の中でさまざまな欲望と期待を持つことが当然視され、家制度を背景とするような男女の役割分担についての考え方は必ずしも妥当しないのではないかといったことです。個別の親子の実態、将来を考えて、親権がどちらが子にとって適切かを慎重に判断されるべきではないかと思うようになっています。
そこで少しウェブ情報を見ると、「フレンドリーペアレントルール」という概念が最近では主張されつつあることを知りました。その情報でも指摘されているとおり、従来は、母子優先の原則と監護の安定性、それに子の意向の三本が主軸となり、子の意向はかなり小さな子でも場合によって調査官が聞き取り、できるだけ判断に反映するようになっているように思います。といっても、基本、わが国の労働慣行、社会慣行からすれば、母親が仮に仕事を持っていても、持っていなければ当然、子の世話をほとんどしている場合がまだまだ大半ではないかと思います。そういうと若いカップルでは家事も子育ても50対50だと言われると思いますし、そういう傾向も理解しますが、とくに地方ではまだその割合は高くないように感じています。
従来の裁判所の取扱は別にして、子の健全な生育にとって、両親が持続的に接することは基本的にはよいことではないかと思います。海外の映画などでは、離婚が当たり前、というか結婚しないで子育てすることが増えている中で、父親と母親の間で、面会交流をいろいろな方法でとりあっているその態様の多様性には驚くばかりです。面会交流が月1回、年20回といったことが平均的とか、いやまったくないといったことが日本の実情と比べれば、参考に値すると思います。
しかし、少なくとも、「フレンドリーペアレントルール」といものが、面会交流の日数の増大、たとえば普通の5倍の100日だから、そのような提案をする親こそ、面会を拒否して子に他の親とふれあうチャンスを奪う親より、望ましいという考えだとすると、極めて危険というか、軽率な判断ではないかと思ってしまいます。
やはりその観念は、こどもにとって両親との触れあい機会が単に増えるということにとどまらず、親同士がフレンドリーな関係が成立する状況でなければ、かえって子どもの健全な生育にマイナスとなる危険の方が高いと危惧します。
とはいえ、そのような観念は、わが国では、一旦どちらかが(多くは母親)親権を持つと、他方はこどもと面会交流する機会がなかなか得られない状況にある現状を改善する一つの重要な提案であると思います。その意味では、法曹関係者や社会のさまざまなサポートシステム(このウェブサイトはそういう役割を担ってくれそうな一つかもしれません、といって私はウェブ情報だけ見ているので、ほんの参考です)がこどものために、「フレンドリーペアレントルール」の内容を充実していくことを期待したいと思います。
だいたいどちらが親権を持つかで争い合うこと自体、こどもの健全な心の発達にプラスにならないと思います。また、面会交流が認められたのに、面会交流を拒否し、その違約に対して制裁罰が100万円とする裁判例が最近話題になりましたが、残念なことです。面会交流を罰金という間接強制で相手方に強いることは法的には有効でしょうが、それは本来的なあり方とは思えません。
おそらく結婚前に、別れた後のことをも勉強しておく必要があるのかもしれません。これは無理な相談かもしれませんが、わが国は、いま離婚というものを通じて、子育てのあり方を学びつつあるのかもしれません。
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