180801 大畑才蔵考その20 <洪水への対策をどう考えたか 紀州流とは>
西日本豪雨はこれまでの経験知が通用しない気象、地形、地質、河川管理、異常気象の伝え方、ダム操作、避難指示などの伝達方法、避難所のあり方など、その他あらゆる問題が次々と取り上げられています。自然の脅威に対して万全はあり得ないのですが、被災で受け甚大な被害を真摯に受け止め、将来の備えを少しでも前進することを期待したいと思います。
ところで、江戸時代の治水技術として、関東流と紀州流といった異なる手法があったとか、明治期くらいから専門家から行政、そして巷間に至るまでいつの間にか浸透しているように思えます。私もこのシリーズで何度か取り上げましたが、そのような流派的な治水技術が確立していた痕跡はどうも見当たらないと思うのです。それでもこういった対立軸を使うことによりなんらかの意義を認めるのであれば、それもいいでしょう。
ただ、紀州流の定義を土木技術的に確立させ、それがどのような形で実現され、それがその後の土木技術の発展にどのように寄与したかといった、技術の発展を示しつつ、将来の技術革新に役立つような議論であって欲しいと思うのです。
さて、私が取り上げる大畑才蔵については、彼の自筆の古文書が大畑家に残されていて、橋本市は「ふるさと創生事業」のなかで、大畑才蔵全集編纂委員会を設置し、これら大量の古文書を活字化するだけでなく、重要な部分を現代訳し、さらに解説をして、1300頁を超える書籍『大畑才蔵』を刊行したのです。これは橋本市としても、市民としても自負してよいと思うのです。
今回私が取り上げるのは日本農書全集第65巻に掲載されている『積方見合帳』という原書は『大畑才蔵』でも取り上げて中にあるものです。才蔵(一部は才蔵の子孫でしょうか)が多くの自筆書を残していますが、狭義の治水に関してはさほど多くないと思います。現代で言う利水に関してはため池や用水路の築造に関する部分が極めて多いと思います。とはいえ、難関の井堰や龍之渡井などの技術的な解説はほとんど触れていないと思います。農業土木の天才といわれつつ、なぜその最も重要な部分について記録に残さなかったのか、そこが残念です。測量技術については、自ら考案した水盛台による測量方法を詳細に記述しているところから、彼の能力からすると、そのような記録を残すことは可能だったと思うのですが、・・・この点は前にも取り上げたので、この程度にします。
さて、本題の洪水対策についての才蔵の考えがここに書かれていますので、いくつか拾ってみましょう。
古文書を活字化したものを引用してもなかなか理解できないところがありますので、現代訳を引用します。
まず、紀州藩の洪水対応に問題があると指摘しています。
「全体に紀州藩領では、領主の指図がないと農民たちは竹木などの植え付けはもちろん、堤防の土固めもしないためだろうか、川筋が浅く見える。大水が出るときには、堤防へ直接川の水流が当たり危険に思われる。川表に薮などが植え付けられた堤防とは各段に見劣りする。」
ここで才蔵は、各地を調査していく中で、紀州藩領の洪水対策の不備を指摘しています。洪水時の流水の勢いを抑制するのに川辺には竹木を植える必要を説くのです。現代では森林の手入れが行き届いていないところで竹木が繁茂していますので、竹木の役割が分かり肉なっています。しかし、コンクリート式堤防ができる前は、竹木が洪水対策の一つとして有効だったわけです。むろん繁茂しすぎないよう間伐したりして適度な間隔が必要でしょう。
また才蔵は、川筋の浅さに気づき、それが堤防の土固めがしていないか、十分でないことを指摘しているのです。さてこの堤防はどこのことをいっているのか特定されていませんが、紀ノ川の大河ではそのような堤防があったのか、私は疑問に思っています。むろん一部はあったと思いますが、当時の土木技術で連続堤防を構築することは困難だったと思います。
それにしても土固めの不備を指摘しているところが、土木技術者の鋭い目線ではないでしょうか。さらにいえば、川底の浚渫の必要も指摘していたかもしれません。
洪水時の流水の勢いを抑えるのに、堤防を唯一の対策とはまったく考えず、竹木や藪の植生を考えていることに注目したいと思います。
才蔵は竹木の植え付けについても、緻密な観察を元に、次のように指摘しています。
「竹木は大型の塙(堤防の一部で川岸に突き出た部分)の代用にもなっているように考えられる。柳の木は深さ一間ほど掘り込んで植え、地表の上へ二、三尺も出しておけば生長しやすいものなので、少々川水の当たりが強い岸際に構えても、植え方次第では生長するものと思われる。」
柳の木を植えるのに、深さ1.8mですか掘り込むというのですね。大変でしょう。
高野山領のことを言っているのかと思いますが、
「寺領の川端に住む百姓たちのやり方を見ると、川原の中の水勢の強い箇所や低い箇所にはまず柳を植えて、 一、二年後土がたまったならば、次に細竹を植え、地面の土溜まりがよくなればさらにそれらの箇所の外側へ竹木を植えだして、内側を畑にするか、よい藪に仕立てているのである。」
当時は、竹木も藪もちゃんとした洪水対策の手法だったのですね。
才蔵は、さらに川端の空き地へ竹木を植えることの治水と土地利用のメリットを指摘しています。
ここでは、連続堤防で直線的に素早く流水を下流に流し、さらに海に流すといったある時期から採用された河川管理手法ではなく、流水の勢いをそぐこと、その方策として竹木の植栽とその後の土地利用を提示しております。
最近起こっているような異常豪雨には対応できるとは思えないですが、自然の脅威を柔軟に受け止める、おそらく長い歴史の中で培ってきた手法を改めて再確認しているように思うのです。
私たちが現代、新たな脅威とされている異常気象も、常日頃から自分たちの生活環境や周囲、さらに源への意識を持ちつつ、それぞれが抱えている身体的な弱点を考慮に入れて、事前に、できるだけ早期に、リスクを知り、対応する不断の努力が、一人だけでなく相互に助け合いながらやっていく必要があるのではとふと思いました。
今日はこの辺でおしまい。また明日。
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