オブナイは「左のふりした右」?
最近ツマから、「あなたって、左のふりしてわりと右だよね」と言われます(前回更新の「窯変かえうた地獄」をご参照ください)。
まあ、確かに、身に覚えがないこともありません。大学時代は新左翼系音楽サークルに所属し、勤め人になってからはずっと労働組合運動にかかわっているクセに、読んでいる雑誌は「月刊日本」(保守のオピニオン誌ですね)だったり、鈴木邦男さんや中島岳志さんの著書や、あろうことか西部邁さんの『大衆への反逆』とか『保守の辞典』とか、福田恆存の『保守とは何か』などの「保守本」を愛読しちゃっていますから。
主張がかぶっている「保守」と「革新」のオピニオン誌
でも、こんなことを言ったら仲間内から怒られそうですが、そういう本、おもしろいんですよ、マジで。というか、私は、左派のオピニオン誌「週刊金曜日」も創刊号から講読しているのですが、ここ最近、「月刊日本」と「週刊金曜日」の主張が、結構かぶっていることが多いのですよ。
例えば、「月刊日本」の5月号の表紙見出しはこんな感じ。
「安倍を討て! 野党共闘のススメ」
「安倍総理よ、竹中平蔵を解任し、新自由主義と決別せよ」
「『保育園落ちた日本死ね』の衝撃」
で、週刊金曜日の見出しを見ると、
「アベノミクス失敗」(1078号)
「TPPで日本は地獄」(1075号)
「市民連合の破壊力」(1072号)
もう、どっちがどっちだかよくわからない。
まあ、「月刊日本」は、「Will」とか「正論」とかいったファナティックな反動保守雑誌は全く違う、たいへん理性的な雑誌ですから、皆さんの思う保守雑誌とはちょっと趣が違うもの事実ですが。
ちゃんとした「保守」の思想に共感しています。
西部邁さんは、『大衆への反逆』(文春学藝ライブラリー)で、「保守主義」についてこのように説明しています。ちょっと長いですが引用します。
〈保守主義の本来の含意は進歩にたいする徹底した懐疑ということにあったはずである。革新にもとづいて進歩していくということを信じるには、それをつくり出す当の本人たちが余りにも不完全なのではないかという自己懐疑が、保守主義の神髄だったはずである。変化にたいする消極性と裏腹になって、保守主義者の積極性はまずもって自分および自分たちへのひたすらな懐疑として示されるのである。〉
この考えに立って、西部さんはソ連型社会主義のみならずアメリカ型民主主義も、歴史に学ばず「人間の進歩」を疑わないという点で「左翼」である、と定義し批判しています。また、長い時間を経て(=歴史の淘汰に耐えて)今日に伝わる「共通の英知=伝統」を尊重するのが保守思想である、とも言います(ように思います)。
率直に言って、私は、そういう西部さんの考えに共感しています。というか、西部さんや中島さん、鈴木さんの書物を読むにつけ、私は自分の立ち位置を「保守」である、と思うようになっています(絶対「右傾化している」とか言われそうだなあ)。
保守と共産党が共闘した宮城・泉市の合併反対運動
30年近く前、仙台でブンヤをやっていたとき、私は仙台市と泉市の合併問題を担当していました。宮城県・仙台市・地元紙の河北新報は、当然ながら合併推進です。当時の仙台市は、政令指定都市「昇格」を目指し、泉市のほか、隣接する宮城町・秋保町などと合併し、「大仙台」を作ろうとしていたのです。
その中で最も大きかった泉市(当時の人口で12万人くらいだったかな。ちょっとうろ覚え)は、実は合併について賛否が真っ二つに分かれていました。市議会議員で賛成していたのは、自民党の中でも土建業者・建設業者と密接な関係のある人たちと、社会党(当時)、公明党でした(泉市の社会党・公明党議員は、本当は何も考えてなかったのではないか、と思います)。で、反対していたのが、自民党の中でも、泉市の独自の伝統や風土を重んじる農村出身のベテラン議員さんたちと共産党でした。
仙台市と泉市の合併については、結局、住民投票(市議会で住民投票条例が否決されてしまい、泉市役所が苦肉の策で発案した、公職選挙法に基づかない行政主導の「市民意向投票」でしたが、それでも意味があったと思います)によって賛成多数となって決着しましたが、その選挙運動(というのかな)で、同じ宣伝カーに自民党の市議と共産党市議が一緒になって合併反対を訴えていたのはたいへん印象的でした。
この場合、合併して仙台市の一員となってともに仙台市の「格」を高め、「大仙台」となって「東京化・大都市化」を推し進めることがよい、と考えた人たちと、合併などせず、泉市の独自の行政手法(例えば、住宅地開発では、緑地・水面の保全など、仙台市よりはるかに厳しい開発指導要綱が定められていました)や伝統・文化を大切にすべきだ、という人たちとが対立したわけですが、さて、いったいどちらが保守でどちらが革新なのでしょう。
自民党は「保守政党」ではなく「反動革新政党」
と考えると、そもそも自民党は「保守」政党なのかどうか、という根本的な疑問が湧いてきます。
それはおそらく明治期からの流れとも思いますが、自民党という「万年与党」は、少なくとも戦後政治では、経済発展のためなら何をやってもよい、と言わんばかりの政策を推し進めてきました。水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそくや新潟水俣病などの公害病を発生させ、全国に公害を引き起こし自然破壊の限りを尽くし、アメリカと結託して後始末の方法もない原子力発電所を全国の過疎地にバカバカ作りました(その「おかげ」で日本人の多くがその恩恵を受けていたことも事実です。また、社会党や共産党などの野党も、経済成長という「成果」については、けっこう「寛容」だったとも思います。そういう意味では、自民党だけが悪かったというわけではありません)。
その際、日本人の「精神性」の大本となっていた自然環境や農村・里山の風景は完全にないがしろにされ、とくに地方に受け継がれてきた伝統的な文化や伝承、方言などはどんどん消え去っていきました。
それって、「保守」のやることではありませんよね。
外国ではどうなのかよくわかりませんが、少なくとも戦後の日本政治は、「保守」と「革新」とで、その政策が相当ねじれていたのでは、と思います。「自然を守れ、文化を守れ、原発は危ない、公害は許さない」と叫んでいたのは革新側で、「経済発展のためなら一定の犠牲は仕方ない」と突き進んで行ったのが保守の側だったのは皆さんご承知のとおりです。
とすると、自民党は、およそ「保守」政党ではないですし、とくに現政権は、現実の政策について全く「保守」ではありません。アメリカが押しつけてくる、日本社会を大きく変質させるさまざまな提案を丸呑みするばかり、というのは、保守のやることじゃありません。
というか、現政権って、国家観や憲法観は、およそ現代人とも思えない明治時代丸出しの反動的なものなのに、実際の政策は、それこそ自分たちに民主主義的憲法を「押しつけた」アメリカ様に、日本そのものを貢ぎ物として差し出すかのようなものばかり。ねじれている、というより、文字通りの意味で、「アタマがどうかなっちゃってるんじゃないの?」という感じですよね。まあ、「反動革新」とでも言えばいいんでしょうが。
だから私は「左のふりした右」でけっこうですとも(笑)
そんなわけで、今は、「右」だの「左」だの「保守」だの「革新」だのといった色分けが、まったく無効となった時代である、と言ってもよいと私は思っています。そういうステレオタイプなものの見方はこの際捨てて、改めて自分の立ち位置を検証し、そのうえで、自分にとってよりよい社会のあり方について考えていきたい、とも思っています。ですから、「左のふりした右」だ、と言われるならば、それはそれでよい、とも思う今日このごろの私なのです。
……今回はテーマが私にはでかすぎて、いつも以上の乱筆乱文となりましたが、どうかご容赦をm(__)m。
最近ツマから、「あなたって、左のふりしてわりと右だよね」と言われます(前回更新の「窯変かえうた地獄」をご参照ください)。
まあ、確かに、身に覚えがないこともありません。大学時代は新左翼系音楽サークルに所属し、勤め人になってからはずっと労働組合運動にかかわっているクセに、読んでいる雑誌は「月刊日本」(保守のオピニオン誌ですね)だったり、鈴木邦男さんや中島岳志さんの著書や、あろうことか西部邁さんの『大衆への反逆』とか『保守の辞典』とか、福田恆存の『保守とは何か』などの「保守本」を愛読しちゃっていますから。
主張がかぶっている「保守」と「革新」のオピニオン誌
でも、こんなことを言ったら仲間内から怒られそうですが、そういう本、おもしろいんですよ、マジで。というか、私は、左派のオピニオン誌「週刊金曜日」も創刊号から講読しているのですが、ここ最近、「月刊日本」と「週刊金曜日」の主張が、結構かぶっていることが多いのですよ。
例えば、「月刊日本」の5月号の表紙見出しはこんな感じ。
「安倍を討て! 野党共闘のススメ」
「安倍総理よ、竹中平蔵を解任し、新自由主義と決別せよ」
「『保育園落ちた日本死ね』の衝撃」
で、週刊金曜日の見出しを見ると、
「アベノミクス失敗」(1078号)
「TPPで日本は地獄」(1075号)
「市民連合の破壊力」(1072号)
もう、どっちがどっちだかよくわからない。
まあ、「月刊日本」は、「Will」とか「正論」とかいったファナティックな反動保守雑誌は全く違う、たいへん理性的な雑誌ですから、皆さんの思う保守雑誌とはちょっと趣が違うもの事実ですが。
ちゃんとした「保守」の思想に共感しています。
西部邁さんは、『大衆への反逆』(文春学藝ライブラリー)で、「保守主義」についてこのように説明しています。ちょっと長いですが引用します。
〈保守主義の本来の含意は進歩にたいする徹底した懐疑ということにあったはずである。革新にもとづいて進歩していくということを信じるには、それをつくり出す当の本人たちが余りにも不完全なのではないかという自己懐疑が、保守主義の神髄だったはずである。変化にたいする消極性と裏腹になって、保守主義者の積極性はまずもって自分および自分たちへのひたすらな懐疑として示されるのである。〉
この考えに立って、西部さんはソ連型社会主義のみならずアメリカ型民主主義も、歴史に学ばず「人間の進歩」を疑わないという点で「左翼」である、と定義し批判しています。また、長い時間を経て(=歴史の淘汰に耐えて)今日に伝わる「共通の英知=伝統」を尊重するのが保守思想である、とも言います(ように思います)。
率直に言って、私は、そういう西部さんの考えに共感しています。というか、西部さんや中島さん、鈴木さんの書物を読むにつけ、私は自分の立ち位置を「保守」である、と思うようになっています(絶対「右傾化している」とか言われそうだなあ)。
保守と共産党が共闘した宮城・泉市の合併反対運動
30年近く前、仙台でブンヤをやっていたとき、私は仙台市と泉市の合併問題を担当していました。宮城県・仙台市・地元紙の河北新報は、当然ながら合併推進です。当時の仙台市は、政令指定都市「昇格」を目指し、泉市のほか、隣接する宮城町・秋保町などと合併し、「大仙台」を作ろうとしていたのです。
その中で最も大きかった泉市(当時の人口で12万人くらいだったかな。ちょっとうろ覚え)は、実は合併について賛否が真っ二つに分かれていました。市議会議員で賛成していたのは、自民党の中でも土建業者・建設業者と密接な関係のある人たちと、社会党(当時)、公明党でした(泉市の社会党・公明党議員は、本当は何も考えてなかったのではないか、と思います)。で、反対していたのが、自民党の中でも、泉市の独自の伝統や風土を重んじる農村出身のベテラン議員さんたちと共産党でした。
仙台市と泉市の合併については、結局、住民投票(市議会で住民投票条例が否決されてしまい、泉市役所が苦肉の策で発案した、公職選挙法に基づかない行政主導の「市民意向投票」でしたが、それでも意味があったと思います)によって賛成多数となって決着しましたが、その選挙運動(というのかな)で、同じ宣伝カーに自民党の市議と共産党市議が一緒になって合併反対を訴えていたのはたいへん印象的でした。
この場合、合併して仙台市の一員となってともに仙台市の「格」を高め、「大仙台」となって「東京化・大都市化」を推し進めることがよい、と考えた人たちと、合併などせず、泉市の独自の行政手法(例えば、住宅地開発では、緑地・水面の保全など、仙台市よりはるかに厳しい開発指導要綱が定められていました)や伝統・文化を大切にすべきだ、という人たちとが対立したわけですが、さて、いったいどちらが保守でどちらが革新なのでしょう。
自民党は「保守政党」ではなく「反動革新政党」
と考えると、そもそも自民党は「保守」政党なのかどうか、という根本的な疑問が湧いてきます。
それはおそらく明治期からの流れとも思いますが、自民党という「万年与党」は、少なくとも戦後政治では、経済発展のためなら何をやってもよい、と言わんばかりの政策を推し進めてきました。水俣病やイタイイタイ病、四日市ぜんそくや新潟水俣病などの公害病を発生させ、全国に公害を引き起こし自然破壊の限りを尽くし、アメリカと結託して後始末の方法もない原子力発電所を全国の過疎地にバカバカ作りました(その「おかげ」で日本人の多くがその恩恵を受けていたことも事実です。また、社会党や共産党などの野党も、経済成長という「成果」については、けっこう「寛容」だったとも思います。そういう意味では、自民党だけが悪かったというわけではありません)。
その際、日本人の「精神性」の大本となっていた自然環境や農村・里山の風景は完全にないがしろにされ、とくに地方に受け継がれてきた伝統的な文化や伝承、方言などはどんどん消え去っていきました。
それって、「保守」のやることではありませんよね。
外国ではどうなのかよくわかりませんが、少なくとも戦後の日本政治は、「保守」と「革新」とで、その政策が相当ねじれていたのでは、と思います。「自然を守れ、文化を守れ、原発は危ない、公害は許さない」と叫んでいたのは革新側で、「経済発展のためなら一定の犠牲は仕方ない」と突き進んで行ったのが保守の側だったのは皆さんご承知のとおりです。
とすると、自民党は、およそ「保守」政党ではないですし、とくに現政権は、現実の政策について全く「保守」ではありません。アメリカが押しつけてくる、日本社会を大きく変質させるさまざまな提案を丸呑みするばかり、というのは、保守のやることじゃありません。
というか、現政権って、国家観や憲法観は、およそ現代人とも思えない明治時代丸出しの反動的なものなのに、実際の政策は、それこそ自分たちに民主主義的憲法を「押しつけた」アメリカ様に、日本そのものを貢ぎ物として差し出すかのようなものばかり。ねじれている、というより、文字通りの意味で、「アタマがどうかなっちゃってるんじゃないの?」という感じですよね。まあ、「反動革新」とでも言えばいいんでしょうが。
だから私は「左のふりした右」でけっこうですとも(笑)
そんなわけで、今は、「右」だの「左」だの「保守」だの「革新」だのといった色分けが、まったく無効となった時代である、と言ってもよいと私は思っています。そういうステレオタイプなものの見方はこの際捨てて、改めて自分の立ち位置を検証し、そのうえで、自分にとってよりよい社会のあり方について考えていきたい、とも思っています。ですから、「左のふりした右」だ、と言われるならば、それはそれでよい、とも思う今日このごろの私なのです。
……今回はテーマが私にはでかすぎて、いつも以上の乱筆乱文となりましたが、どうかご容赦をm(__)m。