昨日の息子と二人っきりの最終日、
札幌郊外にドライブに連れて行ってくれました。
北海道大学で教鞭をとっていたw・S・クラーク氏が
教え子たちに見送られて
『少年よ・大志を抱け』と言いながら
北海道を去っていったという かの地へ立ち寄りました。
現在は『島松沢と』いう地名で、
今は、もちろんJRは通っていないのですが
昔の島松駅だった建物がそのまま残っています。
島松沢は、春は桜のとてもきれいなところで
時間のある時は観に来たこともあります。
ここまで車で我が家からは小一時間かかります。
クラーク博士と彼の教え子たちは
ここまで歩いて見送りに来たのかと思うと
昔の人はすごい健脚だな~って思います。
クラーク博士が北大で教鞭をとっていたのは
八か月くらいだったと聞きます。
教え子からはても慕われていたのでしょう。
涙涙の惜別だったと聞きます。
教え子には新島襄氏などがいらっしゃいます。
同志社大学の創始者でもあり、
後々大河ドラマ「八重の桜」の主人公だった
八重の旦那さんになる人です。
古いお話ですが。(^-^;
また、この地は『中山稲造』が
北海道で初めて稲作事業を始めたところでもあります。
昔、北海道では稲作が難しく
苦労が多かったのでしょう。
その名残の田んぼも
昔ながらの 原型保存されてありました。
今は寒冷地にも適したゆきひかりという品種もできていますし
地球温暖化の影響もあって、北海道でも何の苦もなく
お米作りがされていますが昔は大変だったのでしょう。
中山氏はそのほかに
何か生育が悪いのかまだ咲いてはいなかったのですが
現在道庁の池で咲いてる蓮は
ここからの移植によって咲いてるんだと思うと
努力は報われているんだなって思いました。
後ろの雑木林に足を踏み入れてみると
このツタ…。
まっるきり大木を抱え込んでしまって
どのくらいの年月こうしてここにいるんだろう…。って
人間は高々7,80年の命だけど
おそらく100年以上はここにこうしてほかの木を巻き込んで
スクッと立ち続けてきたのだろうと。
樹木の生命力ってすごいなって
おかしなところに感動して帰ってきました。
・・・・
昨日 娘たちと入れ替わりに息子は帰っていきました。
無口で、必要以上には多くを語らない、息子ですが
きっと娘や夫のいない4日間、年寄り一人を
置いておいてはいけないと思ったのかなって
帰ってしまってからそのありがたみを感じています。
ひまわりさんも仰るように
4日間、親子水入らずで過ごせたことに感謝しています。
息子と二人っきりで過ごすことなどもうないかもしれませんしね。