今年を顧みて

2009年12月28日 01時27分22秒 | 日記
今日で、今年はブログをお休みさせていただこうかと・・・。

ブログなるものをおそるおそる始めて、丁度6カ月・・・。

拙い文章で、誰も知らないのを良いことに、書きたい事を勝手気ままに書いて・・・。

なのに誰も批判することなく、軽蔑される事もなく、むしろ、たくさんの方たちに、

励まされたり、教えて頂いたり、悩み苦しんでいた時はその指針までも、示していただきました。

私の様な、いいかげんな、人間の、文章を読んで下さり、コメントまで、残してくださり、コミュニティまでできあがり、とても感謝しております。

どれだけ救われたか、言葉では 言いつくせません。

有難うございます。

来年もまた、お仲間に入れてください。


それでは皆様、月並みではありますが、  良いお年を・・・  


          真っ白な銀世界に住む  北国のバジルより 愛をこめて  

じゅうたん爆撃

2009年12月27日 04時22分01秒 | 日記
下の娘の大学が冬休みになったと言うので、駅前の大丸デパートに行って来た。

私の誕生日祝いに好きな物を、皆で買ってくれると言う。

そこで私は遠慮せずに、前から欲しいと思ってたリュックを買っってもらうことにした。

なぜ、リュックかと言うと、最近健康のため、なるべく歩くようにしている。

長い時間バッグを提げているのは、苦痛に感じる このころだから、リュックが有っったら良いな~と思ってた。

たいそうなものではなく、中に水と、ハンドタオル、ティッシュ、小銭入りさいふ、エコバッグ、携帯、それとカメラ・・・。

その位のものが入ればいいかなと・・・。

だから、大きすぎず、小さすぎず・・・。

バッグとしての機能が欲しいので、あまり安っぽくなく、スポーティにもなりすぎず・・・。

なんて希望を出したら 「お母さん、何でもいいと言う割には、難しいね~」と、娘から、クレームがつき、

休みになったら、一緒にショッピングに行こうと、なっていたのである。

いざ、行ってみたら、歳末と言う事もあり、ひどい混雑・・・。

こうなったら、今日はリュックのみと言うことで案内コーナーに行き、必要な階のみ、教えてもらう。

所が、案外リュックは何処のメーカーも扱ってない。

2,3件、廻った所で、

そうしたら、娘が、「よし、お母さん、じゅうたん爆撃をやろう」 と 私の手を、むんずと、捕み、

混雑する人の波をかいくぐり、メーカーのみ、廻り、 「ない」 「次!」と言う感じで、どんどん テナント巡りをはじめた。


結局、コーチの黒い革製のを買うことで帰ってきた。

それもやはり店舗にはなくて お取り寄せなので、写真で見ただけで、実物は手にしてない。

それにしても、爆撃だなんて、物騒な言葉を使っていたが、そう言う言葉が実際にあるらしい。


じゅうたん爆撃とは 『ある地域にじゅうたんを敷きつめるように、すきまなく一面に爆撃すること。』 と 言う意味らしいが 

今の子は ネット上で必要な事柄や、品物を選ぶとき、隙間なく、埋め尽くすように、調べたりするとき、普通に使うらしい。

そこには、戦争の持つ、陰気臭さも、過激さも、不愉快さもない。

言葉の持つ意味とは違う、合理性さえ感じる。

便利で 言葉だけでその事柄が、イメージでき、何ともリズム感が良くて、現代っ子の勝利と言うべきか、 かしこい。


日新 日々新

2009年12月25日 21時18分58秒 | 日記
夫からの、クリスマスカードに
  
『日新 日々新 』 とあった。

漢詩の好きな夫の事、そう来たか~と、思ったが、漢詩と言うよりは、禅語からきているらしい。

意味が分かりそうでわからない。   

聞くのも癪なので(そう言う所が素直じゃない私です)調べてみた。


殷の湯王(とうおう)という人は顔を洗う洗面器に、「苟(まこと) 日新、日々新、又日々新」と、はりつけていたと言うことで、

毎朝顔を洗うがごとく、心も毎日新しくいなくてはいけない。

「苟に日に新たに、日々に新たにして、また日に新たなり」。

毎日新しい心で、ということは何にも一物も持たない心で新しい世界に触れていくならば、この世界は新しい。

昨日の太陽が出ているが、厳密に言ったら、あれだけ熱量を発散したら 昨日の太陽と今日の太陽とは熱量が違うはずである。

庭の草木を見たって、毎日朝顔のつるが伸びている。

昨日咲いた花は今日は咲かない。水の流れは毎日違っている。自然の世界は毎日新しい。

人間の心だけが古いところにこだわっている。それが病気でというものだ。
 
自然だけじゃない、われわれの体でも新陳代謝して、昨日の細胞と今日の細胞とは違うはず。

すべてが新しくなっていくのだから、心も新しくして、昨日のことは忘れて、憎いことも嬉しかったこともすべて忘れて、

新しい心で今日を迎えていくということが、道というものである。

それが本当の人間の生き方であり、正しい生き方なのである。


   長~い文章を要約すると、こういうことなのだが余計分かったようでわからない。

全く私は仏の教えとは、はるか離れた所にいるせいか、禅語の奥の深い所は、さっぱりだ  

俗世界に ズッポリ、浸かっている私は修行がたりない。



   「日新、日々新、又日々新」。

元経団連会長・土光敏夫さんの口癖だそうだ。

毎日毎日が新しい人生であり、新しい挑戦、新しい壁にぶつかることであり 新しい前進だというのだ。

土光さんは、ファイトと努力の人であったそうだ。

  その信条は、

毎日が新しいということは、過去の悲しみや苦しみを引きずらないということ。

「昨日まで悲しんだ」

「昨日まで苦しんだ」

「昨日まで失敗した」

こうした心にかかるものを一切忘れて

朝が明けると同時に、 新しい挑戦をすることに、人生の醍醐味があるという。

昨日までは、失敗の連続だったかもしれない。

挫折と不運に見舞われつづけたかもしれない。

しかし、過去がどうであろうと 未来に予想される壁が何であろうと

とにかく

<今日からが始まりである>

という気持ちで積極的に生きることが大切なのである。

                           ということなのだそうだ。

 過去の悲しみや苦しみを引きずらないということは、見習いたいと思う。

  


     「日新、日々新、又日々新」。

胸にきざみたい、ことばだ。



神への感謝の時間

2009年12月20日 00時11分03秒 | 日記
朝、起きて一番に、深呼吸をします。
大体30回~50回を目安に行っています。
深呼吸をしながら、色々考えます。
最近は、早朝はまだ、真っ暗で、空気も冷たく ピーンと張り詰めています。
でも、外がひどい嵐ででもない限り、天空に向かって思いっきり空気を体中に満たします。

この時間帯(午前4時~午前6時)を神の時間帯と教えてくれたブロガーさんがいます。

その方の言葉を借りて書くと
     インドの偉大な聖者たちは、
      夜明け前の早い時刻(午前4時~午前6時)を、
      「ブラフマ・ムフールタ」(神の時間帯)と呼んでいました。
      この時刻は、神を瞑想するのにもっとも適した時間帯です。
                               とその方は、おっしゃいます。

神の時間帯と知ってからは、なお一層、今日も生きて朝を迎えれた事に感謝しながら深呼吸をしています。
今の季節は、真っ暗ですから、晴れていると、澄んだ空気の中、美しい星空が見れます。
星の一つ一つに、焦点を合わせて深呼吸をしていると、自分が大いなる宇宙の懐に抱かれて、天空に吸い込まれていくような錯覚をおぼえます。
心が無になり、神と一体化出来たような、清々しい気持ちになれます。

いつもこの時間に起きれるわけではありません。
でも何が何でもこの時間じゃなくては、などと、自分にプレッシャーをかけることなく自然体でやってます。
夏は娘も起きだしてきて一緒にやってましたが、今の季節は一人でやってます。
ただしニット帽をかぶり、ダウンを着こみ、手袋を身につけ、完全武装してから、外にでます。
温度差で、突然倒れたなんて事になったら、笑えませんから・・・。

ガンを患ってから実に色々な生活習慣が変わりました。
まず、睡眠時間が恐ろしく短くなりました。
深夜、1時、2時に寝ても、3時間も寝ると目覚めます。
成長細胞と言うのは夜10時~2時の間が一番活発に増えるそうです。
だから本当はその時間に合わせて、眠りを取りたいと思うのですが、身体が言うことを聞いてくれません。
だから、無理せず、日中、疲れたら、身体を横にして休むことにしています。
家族はなんにも言いません。有難いことです。
もっとも平日は誰もいないんですけどね・・・

他には食べ物もまるっきり変わりました。玄米菜食になりました。
これは家族が玄米を嫌がらずに食べてくれるのでとても助かります。
でもこれも、何が何でもと、がんじんがらめに自分を追い込むことはしません。
たとえば友達とラーメンを食べる事もありますし、スパッゲッティを食べる事も、あります。
でも、基本は玄米菜食です。

後、とても穏やかになった気がします。
ガンの手術をする前は、仕事もしてましたし、忙しかったし、自分の思い通りに行かないとイライラしてましたし、余裕もなかったように思います。

所が、今は何かアクシデントが起きても、平常心でいられる自分がいて、おやって思う事があります。
イライラするような嫌なことに直面すると 心の中で【・・・・・】ある言葉をマントラのように唱える事にしています。
【・・・・・】は、ナイショです。
そうすると、不思議と心に平安がおとずれます。
私の おまじないです。


先ほど、前述の、ブロガーさんの所にお邪魔したら、ブログを閉じるそうです。
神様等信じる事も、その存在さえも、認めていない私に、神との調和を教えていただけた気がします。
また、どこかでお会いできる日がきますように・・・。







雪のなかで

2009年12月16日 10時20分08秒 | 日記

 

雪のなかで

                    いわさき ちひろ

雪のなかに

はじめておりたった日

こどもはそのひとみを

いっぱい見ひらいて

好奇心と感動で

まばたきもできない

いま雪はひひとして

彼女のほほやまつげを打つけれど

この白い世界にこの子はもう一生

忘れることのできない

うつくしい夢をもちつづけることだろう

 

      いわさき ちひろさんは、ふるさと信州の風物をこよなく愛したとききます。

      絵のなかに流れる優しさや、すがすがしい雰囲気は、

      アルプスの麓、安曇野の水や大気につながっているそうです。

      ちひろさんの絵が、とても好きです。

      彼女が描いた子どもの絵は、見るものをあたたかくやさしい気持ちにさせ

      てくれます。

      この不思議な力はどこから生まれてくるのでしょう。

      心をなごませてくれる、大切なひとりです。

       絵も載せたいのですが・・・  残念です。

 

       北海道は、

       とうとう、本格的な雪景色です。  一面、銀世界です。

       何もかも、すっぽりと雪で覆われました。