昨日は、夫の家のご先祖様、今日は私の実家のご先祖様、
それぞれの家のお墓参りに行って来ました。
今日のお墓参りの帰りは天気がいいし、支笏湖を回って帰ろうということになりました。
この道は支笏湖に通じる道で北海道で2番目に長い直線道路が続きます。
確か一番長い直線道路は、国道12号線の空知郡の美唄から滝川というところに
通じる道だった気がしますが…。
この苫小牧から支笏湖の通じる道路も結構な直線道路なのです。
北海道にはこんな直線道路がたくさんあります。
走行してるうちに支笏湖が見えてきます。
右側に見えるのが風不死岳(ふっぷしだけ)、
左側の奥の方に見えるのが樽前山。この山の中央にはドーム型の活火山が見えていて
いつも煙がモクモクと立ち登っています。
支笏湖はカルデラ湖ですから、周りはぐるっと山に囲まれています。
この山は恵庭岳と言って、、札幌オリンピック冬季大会の時、滑降競技が行われた所です。
今から30年も昔のことですけどね。
今日始めて気付いたのですが、ちょうど真ん中あたりから、
煙がモコモコと出ていてこの山も活火山だと気付きました。(^_^;)
びっくりです。
30年も知らずにいました。
今は滑降競技の後はあとかたもなく消え、山として復元されています。、
記念の石板だけが残ってると聞いたことがあります。
一休みしていくことになりホロピナイというところに車を止めました。
驚いたことに湖にはいってる子が居ました。
もう一人の子供もやってきて
なんと二人で泳ぎ出したのです。
もう9月の23日。やっぱり今年は変。
しかも支笏湖は、思ってるより段差のある湖でいきなり水温が変わり
毎年ジェットスキーとかやる人が何人か水死事故が起きてる遊泳禁止のところなのです。
他人事とは言えちょっと心配になりました。
この方がおかあさんかな~~。
目を離さないでねって思ってしまいました。
この角度からは風不死岳の陰に樽前山が隠れて一つの山に見えます。
この湖はカルデラ湖だからでしょうか冬も凍結しないのです。
しかも流れ込む川が一本もないので、昔は透明度がとても高かったのです。
残念ながら今は、観光客が多くなり湖が汚れて、ずいぶん透明度は落ちたみたいですが。
一休みしてさて、札幌への帰途につきます。
カーブが多く はみ出し禁止の黄色い実線が続きます。
山は未だ秋には少し早く みどりが多かったのですが、
間もなく紅葉が始まりきれいな色合いになることでしょう。
山を抜けて札幌の南の端っこにたどり着きました。
これは下の娘が通っていた高校だったところです。
ここは玄関で6階分のエレベーターを一気に上ります。
今は札幌市立大学になってしまいました。
この学校は、清家清(故人)という建築家が設計をした高等専門学校で
娘はここで5年間高校生活を送っていたところです。
とてもオープンな高校で、すぐ隣には、芸術の森もあり、私たち父兄もよく遊びに通いました。
清家清先生が初代の校長先生で、ほかにも、東山魁夷に師事していた小島先生や、
国松明日香先生など有名な先生が一杯いました。
残念ながら今は、大学になってしまってその頃の先生たちは、いなくなってしまい
娘も6,7年ぶりでここに来てみて、懐かしかったのでしょう、無言でした。
この学校はこの正面に見える、玄関を入ると右側のエレベーターに乗りいっきに6階分登り
この四角い窓のあるホールに出ます。
そこから山があるように見えますが、この山の向こうまで
約100メートルをまっすぐに廊下が伸び突き抜けて行くのです。
この廊下をスカイウエイ、と呼んでいました。
そして左側に見える校舎へと入って行くのです。
清家清先生の、デザインがこの常磐の森の中にすっぽりとなじんでいて、
私も大好きな学校でした。
でも今は娘も私にも気楽には、入れない大学になってしまって残念です。
自分の母校がなくなるというのは、悲しいことですよね。
父兄も子供たちも教授達ととても仲が良くて、
この右側にある学生食堂で一緒にランチをよく食べました。
娘が、時間が止まってるようと言って変わらない様を懐かしがっていましたが
私も私なりに懐かしかった。
家からは結構あったのですが、よく通ったのですから。
いろんな、エピソードもありますよ。
山本寛斎さんがほろ酔い加減で、講演なさったり(これは内緒です。)
ハイパーメディアクリエイターの高城剛氏が
結婚前の沢尻エリカさんを同伴で 講演会に現れたり、
明和電機の社長さんが実にユニークな講演をなさったりと
父兄も楽しんだ学校だったのです。
校舎わきにススキが・・。なんか余計にわびしかった。
いたるところから校舎外に出れて、
他のお母さんたちと栗拾いをしていたらこの細道からも出てきた娘たちと遭遇したり・・・。
今は誰も拾わなくなったのですね。
栗がたくさん落ちてました。
そうか誰もいなかったのは、今日が23日休みだからなんだって帰って来てから気付きました。(^_^;)
こんなに拾って来ちゃった。
昔娘が通っていたころは休みの日でもよく学校に行って楽しそうにしていましたが
「やっぱりもう高専じゃないんだねっ」て、さびしそうに言っていた娘が印象的でした。
上の娘は、一生懸命慰めていましたが・・・。
それにしても、娘が通っていたころの校舎の庭は、
もっと清家清氏のアイディアと意外性がいたるところにあって、
感性が響いているような学校だったのに…。
こんなに雑草だらけではなかったのに…。
過去を懐かしむのは、自分が年を取ったからでしょうか?