あるホームページを見ていて、
「自閉症の息子は、絵カードは何のことだか分からない」とありました。
それで視覚支援によるサポートを否定するような書き方でした。
(駄目な人がいるかもしれませんが)
なぜ、絵カード=視覚支援 なのでしょう?
本人が認知できる物をわかる量だけ提示
これが基本だとおもいます。
よく言われえるのが、
ある人で成功したカードを、
そのまま別の人に使って、駄目だったから、
「視覚支援は駄目だ」という話です。
実物でなければ駄目な方もいらしゃるし、
言語が良い方もいらっしゃいます。
人それぞれです。
全員が、同じ物を同じ量だけ提示すること
そのものが問題がありますよね
やはり、必要なのは、アセスメントだと思います。
何だと理解できるか
どれくらいの量が理解できるか
また、理解するためのトレーニングも必要でしょう。
今年、次男坊と雨竜沼をハイキングをしたとき、
中間地点の目標となるものを提示した場合としない場合では、
本人の歩く様子が全然違います。
提示しないときは、
「お父さんおんぶ」「新しいおうち(帰りたいという意思表示)」
ですが、
提示したときは、どんどん進んでいきます。
普通の大人も、
地図を見たり、ガイドブックを見たり、
目からの情報で、
見通しを立てながら生活しているのと同じだともいます。
理解しやすい方法で、
支援したり、
非言語でもコミュニケーションをする方が、
本人にとって非常に楽で、
学びやすのではないかと思います。
今のところ、
次男坊にとって有効なのは、
視覚支援と構造化であるとうのが、
今までの経験から言えることです。
(書きすぎてしまった)
「自閉症の息子は、絵カードは何のことだか分からない」とありました。
それで視覚支援によるサポートを否定するような書き方でした。
(駄目な人がいるかもしれませんが)
なぜ、絵カード=視覚支援 なのでしょう?
本人が認知できる物をわかる量だけ提示
これが基本だとおもいます。
よく言われえるのが、
ある人で成功したカードを、
そのまま別の人に使って、駄目だったから、
「視覚支援は駄目だ」という話です。
実物でなければ駄目な方もいらしゃるし、
言語が良い方もいらっしゃいます。
人それぞれです。
全員が、同じ物を同じ量だけ提示すること
そのものが問題がありますよね
やはり、必要なのは、アセスメントだと思います。
何だと理解できるか
どれくらいの量が理解できるか
また、理解するためのトレーニングも必要でしょう。
今年、次男坊と雨竜沼をハイキングをしたとき、
中間地点の目標となるものを提示した場合としない場合では、
本人の歩く様子が全然違います。
提示しないときは、
「お父さんおんぶ」「新しいおうち(帰りたいという意思表示)」
ですが、
提示したときは、どんどん進んでいきます。
普通の大人も、
地図を見たり、ガイドブックを見たり、
目からの情報で、
見通しを立てながら生活しているのと同じだともいます。
理解しやすい方法で、
支援したり、
非言語でもコミュニケーションをする方が、
本人にとって非常に楽で、
学びやすのではないかと思います。
今のところ、
次男坊にとって有効なのは、
視覚支援と構造化であるとうのが、
今までの経験から言えることです。
(書きすぎてしまった)