トマソン(階段だけが残された電柱)の例
トマソン、もしくは超芸術トマソン(ちょうげいじゅつとまそん)とは、赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物。創作意図の存在しない、視る側による芸術作品。マルセル・デュシャンの「レディ・メイド」の方法に、日本古来の「見立て」「借景」を取り入れた 。
トマソンの語源
トマソンは基本的には無用の長物を意味する。語源は、元読売巨人軍の外人助っ人のゲーリー・トマソン選手に由来する。この巨人軍のトマソンが前評判の割に、役に立たなかったため、無用の長物のことをトマソンというようになった。
トマソンの発見
1972年、赤瀬川原平、南伸坊、松田哲夫が四谷の道を歩いていると、上り下りするだけで上った先には特に何もない階段を発見した。
翌年、赤瀬川原平が、江古田の駅である窓口を発見した。ベニヤ板で塞いである使われなくなった窓口である。そのベニヤ板が、必要以上に律儀に、微妙な曲線に合わせて切断されていた。
また、南伸坊が、お茶の水の病院で、塞がれてしまったがきわめて堂々とした門を発見する。
これら「四谷の純粋階段」「江古田の無用窓口」「お茶の水の無用門」は、”作成者が芸術と考えていない芸術=超芸術”と定義され、「超芸術」の中でも不動産に付着するものに「トマソン」という名前が与えられた。当時、読売ジャイアンツに助っ人として所属したが、さっぱり打てないゲーリー・トマソン選手にちなんだ名前である(「無用なものを保存している」としてこの名前になったが「写真時代」連載開始直後に解雇となる)。
(以上、ウィキペディアから引用)
そんなワケでフィリピンで採集した完璧なるトマソン(無用階段、或は純粋階段)2つ。
採集場所は借りていたアパートの近く。昨年、散歩の途中で偶然発見した。その時は感動のあまり涙が溢れ、思わず神に感謝した。散歩がすこぶる楽しくなり、その後も近くを物色したが、これほど完成されたトマソンはなかった。そうしたことから雑誌宝島のVOW的に「町にある、なんだかよくわからない変なモノ」まで概念を広げて散歩することにした。
ビルの1Fー倉庫或は車庫のドアらしい。しかし、いつも中には何もない、また、ドア或は赤い鉄板が開閉するのか不明。F、G、H、I、Jの記号もワケワカラン。
道路補修工事で使用されたらしいタールまみれの物体。サイドカーは工事用のスコップ、つるはし置場なのか、フォークリフトのように丸いハンドルが謎を深める。
さて、コレは何でしょう・・・か
最初は電話ボックスかと思った。しかし、中は全くの空洞で電話機他モノがあった痕跡はない。BARANGAY(バランガイ、最小行政区=町内会)PIO DEL PILAR(町名)つまりピオデルフィラ町内会のプロジェクトがヒントだ。無用階段の近くに存在する。約半年間この物体の正体を考察したが不明。どうしても知りたくて今回は近所の人に聞いた。それはアッケナイ答だった。謎は謎として脳の記憶に留めて置いたほうがよい。
これは別に謎でもない。パーキングの立て看板をジーンズの物干し代わりに使用しただけもモノ。発見したときは単純に笑えた。カメラを向けて撮影したら近所にいたオバサンたちがゲラゲラ笑いだした。やはり、フィリピンでも可笑しい事なのだろう、つまり、それを知らしめた”写真撮影のパフォーマンス”こそが芸術的であった。