帰国後、まずは愛車マイケルに乗り、疾走して旬彩ノ壱番で昼飯の竹弁当を食べる。そこで、友達の変態店主から同じく友達の経営するフィリピンパブが3日前に警察と入管の手入れがあって営業を停止している、と聞かされちょっと驚いた。
そんなこんなで、今回はフィリピンで会った神父のことをエントリーする、アーメン。
さて、独身証明を手にして彼女の住まいレガスピ(LEGAZPI)へ行くと待っていたのは彼女の友達の紹介で彼女が勝手に一任してしまった結婚式仲介業者のビビアンさん(日本人を旦那さんに持つ45歳のオバサン)だった。結局、このオバサンの趣味で全部仕切られていた。式はセント・ドミンゴ(STO.DOMINGO)の古い教会で挙げることになっていた。楽チンといえば楽チンではあるが、兎に角疲れるオバサンだ。
で、このブログでコメントを戴いているJet師範改めジェット・ニノン・ボーイ氏に「後々のことを考えると教会の牧師より~」とアドバイスしていただいたけれど、既に決まっていた(涙)。さらに、「いろいろ金が掛るから~」とも言っていただいたが、何も知らない彼女がオバサンに法外なお金をとっくに支払っていて得意満面としていた(泣)。
申請の際の手続き方法等詳細については、申請する市町村役場に事前にお問い合わせ下さい。
(日本領事館配布資料 2.婚姻許可証・二重下線部分より)
それから、式を挙げるセント・ドミンゴは町自体が教会のようなもので、上記日本領事館配布資料にあるような婚姻許可証の申請などどうでもよく、というのは教会の神父に絶対的な権力があり、各証明書の事務処理など神父の一存でどうにでもなることがわかった。婚姻許可証の申請に手間取ったのは神父のスケジュールに合わせ、神父の自宅で神父の面接を受け、神父のOKにより初めて結婚ができるからだった。
神父の神父による新婦のための結婚式(リンカーン伝)、郷に入らば郷に従い汝、隣人妻を愛せ(マタイタイ伝)、そう、フィリピンはアジア唯一のキリスト教国なのである。
そんなワケで仏陀の懐で育った大和魂のぼくは彼女と一緒にセント・ドミンゴ教会の神父に会ってきた。教会から車で20分ほどの小高い山の中腹にある広大な敷地の中に神父の自宅があった。神父は太った米国黒人俳優モーガン・フリーマンだった。最初、彼女とデブ・モーガン神父が書類を見ながら長い間談笑し、彼女が婚姻許可証の申請書にサインした。続いてぼくの番だ。簡単な英語とタガログ語で挨拶をした後、デブ・モーガン神父の問いかけに答えた。異端宗教の審問といった雰囲気で緊張した。
「汝は彼女を妻として愛するのか」
「オーケイ ラン、イエス、はい」
「イエスだけでよい」
「はい」
「では、汝は彼女を妻として永遠に愛するのか、永遠に、だぞ」
「イエス」
「ならば結婚した後、汝の前に彼女より若くてキレイな女性が現れたしよう、それでも汝は彼女を愛するのか、若くてムチムチの美女、だぞ」
「若くてムチムチの美女か、そのときは心が乱れ、股間が多少膨らむかも知れない。しかし、日本男児たるものそこをグッとこらえ、愛を貫くぞ」
「おお、思慮深きブッディストよ、汝に神のご加護と祝福があらんことを」
神父は神の代理人だ、神父の問いかけに日本男児としてウソをつくワケにはいかない。熟考し、身振り手振りを交え真摯に答えた。これで十字架にかけられようと後悔はしないつもりだ。申請書にサインしてすべてが終わり、疲れ果てた。帰国しても、明日から契約したマンションの内装の打ち合わせがある。
早くヒマになりたい、アーメン。