先般行われました博物館での特別展「吉備津神社」の目録が、氏子会の記念事業として、吉備津神社の氏子の各家に1冊づつ配布されました。 
神社のすばらしいお宝の数々を写真を通して見る事が出き、今更のように、吉備津神社のすばらしさに目を見張りました。
この冊子の中で宮司の藤井敬さんの「特別展に寄せて」という文の中で、吉備津神社のことを
「・・・片田舎にありながら延喜式では名神大社に・・・。天慶3年(940)には最高位一品(いっぽん)の神階を授かられています。・・・・」
と書かれています。
なお、この目録の表紙を飾っている写真が重文の獅子狛犬と国宝の本殿です。
この「名神大社」について、高尚先生は「松の落葉」に、次のように説明されています。
「・・・名神とは、天の下に神社あまたあるが中に、名たたる神をまつれりというこころにものしたまえるにて、すぐれたるかぎりをいへり。延喜式に名神大としるされたるこれなり・・・。」
また、この「名神」を「明神」と呼ぶ所もあるが、これは元々意味は同じ名のだそうです。
何か事ある折々に、朝廷から勅使が直接に来て幣を奉った大変な重要な神社だったのだそうです。
吉備津神社も、この土地の人が吉備津神社におまいりするのを
「みようじんまゐり」
と言っていたことからも分る。。
また、松尾大明神など初めから明神となずく神社もある、と書かれています。
私事(ひとりごと);
日本の主な神社には、官幣社と国幣社があり、その昔、2月に朝廷で行われた祈年祭の際に、「官幣社」は、神祇官から直接に幣帛を受け、国幣社は国司によって受けられたという違いがあるということです。したがって社格は官幣社の方が上であったようです。名神大の神社は、全国に2861社あったと延喜式には書かれています。
ちなみに、この吉備津神社は、明治になってから官幣中社となっていました。中国地方で、官幣大社は出雲大社のみです。宮島厳島神社も吉備津神社と同じ官幣中社です。
なお、琴平の金刀比羅宮は国幣中社でした。
(秋田足穂の「神様の身元調べ」より)
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神社のすばらしいお宝の数々を写真を通して見る事が出き、今更のように、吉備津神社のすばらしさに目を見張りました。
この冊子の中で宮司の藤井敬さんの「特別展に寄せて」という文の中で、吉備津神社のことを
「・・・片田舎にありながら延喜式では名神大社に・・・。天慶3年(940)には最高位一品(いっぽん)の神階を授かられています。・・・・」
と書かれています。
なお、この目録の表紙を飾っている写真が重文の獅子狛犬と国宝の本殿です。
この「名神大社」について、高尚先生は「松の落葉」に、次のように説明されています。
「・・・名神とは、天の下に神社あまたあるが中に、名たたる神をまつれりというこころにものしたまえるにて、すぐれたるかぎりをいへり。延喜式に名神大としるされたるこれなり・・・。」
また、この「名神」を「明神」と呼ぶ所もあるが、これは元々意味は同じ名のだそうです。
何か事ある折々に、朝廷から勅使が直接に来て幣を奉った大変な重要な神社だったのだそうです。
吉備津神社も、この土地の人が吉備津神社におまいりするのを
「みようじんまゐり」
と言っていたことからも分る。。
また、松尾大明神など初めから明神となずく神社もある、と書かれています。
私事(ひとりごと);
日本の主な神社には、官幣社と国幣社があり、その昔、2月に朝廷で行われた祈年祭の際に、「官幣社」は、神祇官から直接に幣帛を受け、国幣社は国司によって受けられたという違いがあるということです。したがって社格は官幣社の方が上であったようです。名神大の神社は、全国に2861社あったと延喜式には書かれています。
ちなみに、この吉備津神社は、明治になってから官幣中社となっていました。中国地方で、官幣大社は出雲大社のみです。宮島厳島神社も吉備津神社と同じ官幣中社です。
なお、琴平の金刀比羅宮は国幣中社でした。
(秋田足穂の「神様の身元調べ」より)