後楽園十勝の10番目の最後の佳境「慈眼堂の松」です。
・御仏の ふかき恵みに 松の名は
千歳を契る 色を見すらん
斉敏侯のお歌です。
岡山藩主の内、初代の光政侯や後楽園の創設者綱政侯(2代)の和歌はよく知られているのですが、後楽園に限って言いますと、七代藩主斉敏侯も、また、お歌をよくするお方でしたが、32歳の若さで夭逝されていますので、あまり多くの歌は残ってはないようです。
この慈眼堂の「千歳を契る」と、斉敏侯に詠まれた松も、無情にも、今はその姿をとどめてはいません。
でも、此の姿を留めていない幻の松に、いつも、「千代の松が枝わけ出でし 昔の光 今 いずこ」とばかりに、どなたかは知らないのですが、限りない心を寄せておられるお方がございます。
こんな写真を撮ってまいりました。後楽園をこよなく愛しておられる方だと想像しています。

お堂の扉の前に、昔をしのぶかのように、ご自分の松の若木を供えて、永忠公にでしょうか、それとも、綱政侯にでしょうか、元禄の松をお見せするがに、そっと置かれております。しかし、この慈しむべき愛らしき松の姿に誰一人として眼を留めることなく、「そななん昔のことはようわからん」とでも言うかのように、足早に人々はお堂の前を、ただ、通り去るのみです。
近くにある松林からの師走の松籟だけが、お堂前にポツンと供えられた小さな小さな松に、昔の光をしょしょと語っておりました。
・御仏の ふかき恵みに 松の名は
千歳を契る 色を見すらん
斉敏侯のお歌です。
岡山藩主の内、初代の光政侯や後楽園の創設者綱政侯(2代)の和歌はよく知られているのですが、後楽園に限って言いますと、七代藩主斉敏侯も、また、お歌をよくするお方でしたが、32歳の若さで夭逝されていますので、あまり多くの歌は残ってはないようです。
この慈眼堂の「千歳を契る」と、斉敏侯に詠まれた松も、無情にも、今はその姿をとどめてはいません。
でも、此の姿を留めていない幻の松に、いつも、「千代の松が枝わけ出でし 昔の光 今 いずこ」とばかりに、どなたかは知らないのですが、限りない心を寄せておられるお方がございます。
こんな写真を撮ってまいりました。後楽園をこよなく愛しておられる方だと想像しています。

お堂の扉の前に、昔をしのぶかのように、ご自分の松の若木を供えて、永忠公にでしょうか、それとも、綱政侯にでしょうか、元禄の松をお見せするがに、そっと置かれております。しかし、この慈しむべき愛らしき松の姿に誰一人として眼を留めることなく、「そななん昔のことはようわからん」とでも言うかのように、足早に人々はお堂の前を、ただ、通り去るのみです。
近くにある松林からの師走の松籟だけが、お堂前にポツンと供えられた小さな小さな松に、昔の光をしょしょと語っておりました。