当時、宮内では藤井高尚や真野竹堂などによって催された演芸の一つに「能狂言」があります。それを証明するような高尚から竹堂に宛てた書面が残っています。それを書いておきます。
「昨日も御出被下忝奉存候(おいでくださりかたじけなくぞんじたけまつりそうろう)・・(略)・・之処仮小屋にて此雨中には出来不申候哉と存じ侯 明日にても晴れて出来次第見物に参し申可
一、用意のものの義割合
弁当、そまつなるにぎり飯
酒
右二種拙子方よりもたせ申候・・・・・・・
能の義老拙は隠居の事に候へば一度にても止まりまじく今一度参り申可・・・・
藤井松斎
真野竹堂様
このように能見物の誘いの為の書面を見ることができ、宮内でも能狂言の演じられた事が分かります。