「宮内遊廓は、当時諸国にありたる普通遊郭とは自らその趣を異にし一種の気品を有したるものなり。」
と、矢尾牛骨氏は、「宮内の今昔」に、そう記しております。遊郭の気品とは一体内を意味しているのでしょうか。それに付いて、再三これまでに書いてきましたので、おわかりになられていると思いますが、吉備津神社に奉仕する社家が点在していたと云うことです。
此の社家には官位を授けられていた人が、平安の昔から多々あったのです。記録によると、貞観九年に賀陽朝臣と云う人は「従五位下」を賜っております。ちなみに貞観九年と言えば、西暦に直すと、867年です。平安遷都より70年の後です。また、その10年ぐらい前に成りますか、斎衡年間(854年ぐらい)に藤井宿禰高雄という人が正六位下トいう官位を朝廷より賜っていると記録も残っております。
宮内に遊郭が出来るのは秀吉の朝鮮出兵の折りだと云われていますから、それ以前から、この宮内には随分と気品の高い気風があったは確かです。それがか江戸の中ごろには藤井高尚が出て、吉備津神社の神主を勤めながら、国学の研鑚に努め、その泰斗としてその名が全国に広まり、彼を慕って多くの人がその門をくぐったのである。
清濁併せ持つ宮内にある宮内遊郭が「趣を異にし一種の気品を有したるものなり」と言われていたのです。