別にブログを辞めるわけではありません。
今日は、産まれ来るはずのこどもと別れてきました。
つらいもんです。
51グラムでした。身長も10センチほど。
斎場で告げられたのは、21週未満の方は御遺骨が残らないので、すべて斎場で処理するとのもの。
役所のあんちゃんも言ってくれればいいのに。
7月の中旬にわかり、急に涼しくなったと思ったら、9/16に検診の結果、その存在に血が通っていないことがわかった。るんるん気分で検診に行った妻は、突然のことで相当取り乱したようであった。
電話の泣き声に戦慄が走った。私はそれであっても不思議と冷静に対応していたと思う。
公衆電話ということは、病院からの電話と容易に推測できたからだ。
数日後、おなかの中で心臓が止まってしまった我が子を陣痛を起こして分娩させるわけなのだが、あっけなく産まれ落ちたとのことだった。私は、その日、午前中休みをとり、妻のそばにいたが、13時-15時まで講師を務めなければならず、一旦そばを離れ、病院に戻ってきたのは15:20。
すでにその子は14:50産まれていた。
その後、妻が処置を受けている間、担当医師からの説明があった。
エコーをとった瞬間、すぐにわかったそうだ。
ただ、母親の精神的ショックを考慮し、妻にそれを伝えるには、さらに検査をするなどして心の準備をさせつつ伝えたとのことであり、次の検診まで待つという方法もあるのだが、経産婦でエコーの写真を見せたわけだし、しっかり伝える必要があると判断したとのこと。
担当医師のやさしく、真摯な対応は、悲しみの中にあって、心が落ち着くものでした。
先生が長年、医師として母子を温かいまなざしで見つめ、その出産を支えてきたからこそ、その優しさ、思いやりが磨かれたのだろう。尊敬に値するものだと思いました。
その日、妻から聞いた話では、「おそらく、数日前まではいた気配がある」と説明だったとのことでした。そのとおり、妻はその数日前、つわりが無くなったと振り返っています。
我々は、悲しみに負けて、悲嘆にくれることはないと思っています。。
なぜなら、我々には3人子供がいるからです。死産は寂しい。だが決して悲しみに暮れることはない。
そして、医師からの説明を再度要約すると、母体に問題があるとは言えない。だけど、生み出されたこどもの外見からは特に異常があるようには見えない、だから正直原因はわからないとのことであった。胎盤は検査に出されるそうである。ただ、いまさら原因がわかっても我々にとっては何の意味もない。知る必要もないことである。(もちろん、原因が何がしかわかって、医学の進歩に繋がることは喜ばしい。でも、それを知ったところで、しょうがない、その子が産まれて来てくれるな重要であったと思うが・・・)
今の心境は、ただただ、産まれることができなかった我が子が・・・無事、天に召されることを祈るばかりです。
この3カ月、本当に夢と再び新たな家族との出会い、楽しみを与えてくれてありがとう。
さようなら、さようなら
いつも現実的な私で、日々多忙にくれる毎日ですが、時々思うことがあります。
それは、亡くなった人とは、自分がこの生命を終えた時に会うことができる、そして色々な話ができる・・・と。
お悔やみ申し上げます。
精神と肉体は別なものだと感じたできごとでした。
残念だったけど、我が家には3人の子供がいるので、何もマイナスじゃないと思っています。
今度またそっちに遊びに行くよ。
寒い時期に。