妻が6~8分おきに陣痛があるということで、4月11日AM0時病院へ到着する。
コビーの時は朝5時に行って、12時34分に誕生したから、3人目になる経産婦であることを考慮すると、6時か7時ごろには産声が聞かれるかと思った。
しかし、陣痛も痛みが強くなく、いわゆる微弱陣痛。
心配していたコビーは、おばあちゃんが一緒に寝てくれて、夜中、起きて泣き出すことはなかったらしい。
そして、起きてもリンリンと一緒に楽しく過ごしていたようだ。と言うよりも、リンリンをとっても頼りにしていたらしい。やっぱり、お姉ちゃんの存在は偉大だ。子ども子どもと思っていても、子どもの世界にも面倒を見る役割、面倒を見てもらう役割と言うものがあるとつくづく感じた。
親はなくても子は育つ。なるほど。親が育てるだけじゃない。自分でも育っているし、子供同士でも育てあっているのだ。胸が熱くなった。
ちょうど、10時頃、家に帰って二人の様子を写した写真。何とほほえましいことか。
コビーはあんぱんまんのビデオを鑑賞中。
10時30分頃再び分娩いつに戻ると主治医が妻と相談していた。
微弱陣痛なので、体力の消耗が心配だから陣痛促進剤を入れたいがどうかと言う趣旨だ。
主治医の説明では、このまま長引けば体力を消耗して、さらに陣痛が弱まってしまうとの説明。痛みは子宮が開くことから起きるが、痛みがないといきめないので、子どもをお腹から押し出せないとのことだ。
リンリンも微弱陣痛だったが、初産と言うことで仕方ないかと長く待った。お互い若かったということもある。コビーは比較的早かった。コビーとJPの陣痛の強さを比べると格段の差があったのは明らかだった。
30代半ばだし、主治医からの提案もあり、陣痛促進剤を入れる決断をした。
私の判断は、微弱陣痛で母子ともに体力を消耗し、出産時のリスクが高まることを懸念して選択したものである。
しかし、余談ではあるが、担当の助産師は陣痛促進剤を入れることにはネガティブな意見を持っていたらしく、痛みを人工的に起こさせるものだから、普通分娩と違和感があるよとか、いろいろ説明をもらった。
でも、決断した後でそんな情報を色々くれたって、もう後の祭り。と言うか、そういう情報を色々くれて患者が選択できるようにすることが、インフォームドチョイスの理念だろうに。
早く出したいがために選んだわけじゃないし、何となく心のわだかまりを感じつつ、インフォームドチョイスや利用者、クライアントとの関係性、立場の違いなど患者や利用者の立場になって初めて実感できる事柄がたくさんあった。
保健・医療・福祉関係者はこのことをもう一度よくよく考える必要がある。
妻の感想も、やっぱり普通分娩が良かった・・・であるが、あの情報からあの判断は間違っていない。陣痛が長引くリスクよりも、痛みはあっても早く終わる道を選択したことを私は後悔していない。妻の苦労には頭が下がるばかりであるのだが・・・・
そして、12時35分 JPは産声をあげた。私も確かにその声をこの耳で聞いた。
リンリンも、コビーも、JPも分娩室からではあるが、君達が初めてこの世の空気を吸い込み声を挙げた瞬間に立ち会っていました。立会い出産ではないけれども、あなた達の産声をしっかりとこの耳で聞きました。産まれてきてくれてありがとう。
JPこと淳平君。君の印象は切れ長の瞳。すっと通った鼻筋。お父さんとお母さんのいいところを受け継いでくれたようです。
身長48センチ、体重2936グラム。
分娩室から病室に移動となり、私は一旦家に帰ることにしました。
エレベーター待ちをしていると、ママのお母さんとママのお姉さん。君の従兄弟が早速駆けつけてくれたよ。
もちろん、パパが君のお姉さん二人を連れて行ったし、パパのお母さんも君の姿を見に来たんだよ。おじいさんは、お仕事で来れなかったけど、明日とか明後日には来てくれるはずだ。
君の誕生日は素晴らしい晴天だったよ。
桜が咲き誇り、薄紅色の春の息吹が君の誕生を祝うかのような一日だったことを一生忘れることはないでしょう。
リンリンは早速君のファンクラブになると言っていた。
コビーはと言うと「なんだこりゃー」と君を指差していた。2歳だもの仕方ないよね。
でも、そんなコビーも君の事を「じゅんぺー」といって声をかけていたんだよ。
この世でたった3人しかいない血を分けた兄弟だ。助け合って欲しい。
JP、お父さんは君とキャッチボールをしたいし、ラグビーや野球、サッカーの試合を一緒に見に行きたい。
それができる日を楽しみにしているよ。
君と君の兄弟の成長をいつもいつも願っています。