この大会は昭和47年から30回にわたり開催されてきた、野球部OBたちの熱戦の舞台であった。我々高校野球を巣立った野球人が再び硬式野球を楽しみ、昔の仲間たちと交流を深める大会でもあった。しかし、平成12年の30回大会を最後に中断していたが、復活を求める声も多く、NPO法人新潟野球人が主催し、復活開催したものである。
参加は6校。我が柏崎高校、新潟高校、新潟商業、新潟南高校、小出高校、新津高校である。
昨日は朝7時柏崎高校正門前集合でそこから学校のマイクロバスを借用し、一路新潟へ向った。
車中から撮影。試合後は球場近くのスーパー銭湯でお風呂に入って帰ることになっていたので、これは朝から風呂だと思いすでに野球をする気持ちがきれていた。
そして、とやのへ到着。
高校野球新潟県大会決勝戦が行われ、歴史的瞬間の舞台になったこの球場である。私自身も平成3年の大会、準々決勝、準決勝、決勝と3試合を経験したこの思い出の球場だ。
開会式が正面入口で行われた。ものすごい雨が降り続いている。雷鳴とどろき、グランドは沼と化し、ベンチに至っては水深5センチの状態だ。
絶対、無理だ。こんなところで野球ができるはずがない。
もう、気持ちは柏崎に帰りたかった。
でも、大会本部曰く、雨がやめば30分で水が引くから11時まで待って判断しますとのこと。8時30分に開会式があったので、それから2時間くらいたつと何と、雨が小降りになり、空が明るくなってきた。
11時には雨が止んだ。
でも、水溜りが・・・
秘密兵器登場。
そして、人海戦術でスポンジで水を吸い取り大きなバケツに水を絞っていくのだ。
こんな作業15年ぶりだ。まぁ、これも夏の思い出と思い楽しく水とり作業を行った。
そして、私は22番の背番号をいただき、栄えある柏崎高校野球部OB会の先発マスクを仰せつかった。
捕手はたくさんきていたが、今回は高齢化も進み、皆さん遠慮されたようだ。私もせっかく新潟まで来たし、現役時代は控えで余り野球していなかったし、周りから声もかけていただいたので、思い切って「頑張ります」と返事をした。みんなから「大丈夫か?」と心配していただいたが、はっきり言って、心の中では「やってみないとわかりません」とつぶやいていた。不安もあり、怖かった。でも、バッティングは、あの硬式の玉を打ち返してやるぞと意気込んでいた。実際に球場に来ると昨日までの弱気から、たまにはやってやるぞ!と言う意気込みに変わってきた。
軟式をやっていると、硬式だったらヒットなのになと思う瞬間が何度もあった。だから、今日は機会があったら絶対ヒットを打って、日ごろのもやもやを吹き飛ばしたいと思っていた。もちろん、左方向に思い切り引っ張って、オーバーフェンスをだ。(次回に続く)
ブログで勘違いしていました。
聖地は五十公野野球場でなく、
鳥屋野球場でしたね。
その鳥屋野球場、私もこの秋の
平日の昼間、軟式野球の助っ人
として初めてその土を踏む予定
です。
背番号22は、実に捕手らしい
背番号ですね。まず浮かぶのは
田淵(阪神)。
次回の記事、楽しみです。
BYマーヒー
22番もよいですが、本当は2番とか、現役時代自分がつけていた12番や15番が愛着があります。でも、背番号を背負って野球をすること。それは野球を始めた頃からの憧れでした。
体調管理や鍛錬を怠らず、できるだけ長く野球を楽しんでいきたいものです。たとえプレーしていなくても野球の楽しみ方は様々でしょうから、そちらの方法も自分なりに研究していこうかなとふと思ったところです。
ヤンキースのユニフォームの
背中にあるのですが、
実は、背番号という概念の
元祖がヤンキース。
ベーブルースは3番バッター
だったから背番号3。
ゲーリックは4番バッターだから
背番号4。
ヤンキースタジアムのどこ
からでも、今、何番バッターが
打席にいるかを確認するために
発明されたのが、今はいろんな
スポーツで定番の背番号という
ものの発祥です。
へっぽこ草野球ですが、bluemonkさんもゲストで来て
いただいて、うちのチームの
ユニフォームを1回、着て
ほしいですね。
15番はすでにマーヒーさんがつけておられるとなると12番か2番。空きはありますか。
マーヒーさん、いつか対戦しましょう。