2011年3月11日 午後2時46分・・
運命の日・・などとそんな言葉で綴りたくはない
でも全てを奪い去ったあの時間が偶然だったなんて、それはあまりにも酷すぎる。
あの日から今日で一年が過ぎた
黙祷を捧げながらあの瞬間に止まってしまったいくつもの時計の映像が
脳裏を過ぎっていった。
それは被災地を襲った津波が去った後に、残された掛け時計を集めた映像だった。
2時46分・・大地震が起こった瞬間に止まったものもあれば
30分後、45分後と様々な一瞬に奪われてしまった時間もある。
それはまさしく大津波が到達した瞬間の、爪あとだった。
時間は未来永劫、止まることはないはずだ。
でも確かにその瞬間に被災地域の方々の日常が奪われてしまった・・
「まるで時間が止まってしまったかのようだ・・」とつぶやいて大粒の涙をこぼした方の姿が
目に焼きついて離れなかった。
「まるで夢を見ているようで・・短くて・・長かった」と遠い目でつぶやいていた年配の女性。
この私でさえもこの現実が、いつかは覚める悪夢だったら・・と何度思ったことだろうか。。
でも被災地では一歩また一歩と力強い歩みを続けている人たちがたくさんいる。
夢に向って地元での再生を決意した若い人の勇気にも感動させられた。
「生かされた命」への感謝の言葉を口にする人たちも多かった。
自分に出来ることは何だろう・・
この一年、ずっと考え続けているが、なかなか形ある答えは出ない。
でもひとつだけ言えることがある。
無力な私にも出来ること。
日本全国、被災地からどんなに遠く離れていても出来ること。
それはこの未曾有の大震災を語り続けていくということだ。
被災地域に心を寄せ続けていくということだ。
この大惨事を風化させてはならないということだ。
止まってしまった時計を動かすことはもう出来ない。
でもそこから歩き始めることは出来る。
後の世が同じ過ちを繰り返さないために
語る続けてゆくことであの日の記憶が歴史に刻まれてゆく。
過去にはもう戻れない。
誰もが新しい明日を探している。
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