「私は学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は常識に富める人の多きに堪えない」。こちらも明治大正期の小説家の森鴎外氏の名言だが、即ち「世の中には色々な思想が在るが、どんな思想であれ、「『そんな考えも在るんだ』。と寛容な解釈をすべき」と言う事か?正しく十人十色である。さて今日は休みだが、「これだけはやっておこう!」てな事で、父の死を境に復活したカセットデッキ2種(Victor「KD-970SA」、Technics「RS-670U」)を取り敢えず使える状態にして、オーディオラックの上に重ねて置いた。実に壮観だが、その2種共に高級機(1975年頃)と在らば、風格もあり、その重量感も圧倒的なのだ。てな訳で、2台共に整備をしていたのだが、あまりそれに感け過ぎた結果、気が付くと夕方、それから夕食を済ませてから、また整備に掛かったのでblogの更新処ではなくなった。おまけにVictorのカセットデッキ用に発注したキャプスタンベルト(角)が届いていた事から交換。更にはその調整に手間取り、ぼやぼやしていたら寝る時間になってしまった。しかしながらTechnicsの方は、テープラウンジの照明の電球の交換以外は全て済んだ。調子はTechnicsの方が(今の処は)良い。そんなこんなだが、Victorの方は繰り返し、早送りや巻き戻しを空回りをしてたら調子が良くなってきた。単に交換したばかりのキャプスタンベルトが馴染むのに時間が掛かるようだ。相変わらず、それらのピッチの調整は矢野顕子さんの声である。ピアノも鳴るので回転ムラのチェックにもなる。一石二鳥である。エージングは暫く続けてみよう。そこでこのblogは終わり。最近の休みの日は、blogが開店休業状態になる。なので今日も「多分に漏れず」である。
「私は学殖なきを憂うる。常識なきを憂えない。天下は常識に富める人の多きに堪えない」。こちらも明治大正期の小説家の森鴎外氏の名言だが、即ち「世の中には色々な思想が在るが、どんな思想であれ、「『そんな考えも在るんだ』。と寛容な解釈をすべき」と言う事か?正しく十人十色である。さて今日は休みだが、「これだけはやっておこう!」てな事で、父の死を境に復活したカセットデッキ2種(Victor「KD-970SA」、Technics「RS-670U」)を取り敢えず使える状態にして、オーディオラックの上に重ねて置いた。実に壮観だが、その2種共に高級機(1975年頃)と在らば、風格もあり、その重量感も圧倒的なのだ。てな訳で、2台共に整備をしていたのだが、あまりそれに感け過ぎた結果、気が付くと夕方、それから夕食を済ませてから、また整備に掛かったのでblogの更新処ではなくなった。おまけにVictorのカセットデッキ用に発注したキャプスタンベルト(角)が届いていた事から交換。更にはその調整に手間取り、ぼやぼやしていたら寝る時間になってしまった。しかしながらTechnicsの方は、テープラウンジの照明の電球の交換以外は全て済んだ。調子はTechnicsの方が(今の処は)良い。そんなこんなだが、Victorの方は繰り返し、早送りや巻き戻しを空回りをしてたら調子が良くなってきた。単に交換したばかりのキャプスタンベルトが馴染むのに時間が掛かるようだ。相変わらず、それらのピッチの調整は矢野顕子さんの声である。ピアノも鳴るので回転ムラのチェックにもなる。一石二鳥である。エージングは暫く続けてみよう。そこでこのblogは終わり。最近の休みの日は、blogが開店休業状態になる。なので今日も「多分に漏れず」である。