「打ち明け過ぐるも悪しく、物隠すように見ゆるも悪しきなり」。こちらも明治大正期の文豪、森鴎外氏の名言だ。即ち、物事をあまり言い過ぎるのも良くないが、だからと言って控えるのも悪いと言う事。日常でもよくある事だ。さて父の死を境に色々と片付いた事をblogのネタにしているが、それこそが修理のヒントが見つからず、頓挫していたカセットデッキが、突然の閃きで復活をした件だ。(個人的には、それが驚きだった。)Victorと Technicsの二機種の件だが、そのカセットデッキは共に走行系に難がある。片や回転ムラとピッチの変動だ。方式的に古いのは Victorだが、キャプスタンベルトがまだ角のものは、何かと不安定なようだ。それは1975年頃の製品だが、後年のそれが平ベルトになったのは、単に安定性が理由だ。しかし1972年頃の TEAC製品が、既に平ベルトなので、これを時代遅れと見るかは解釈次第だろう。だが角ベルトはマッチングがシビアなようだ。そこでまた太さの違う、角ベルトを買ったのだが「さてどうなる事やら?」と。その不安をさっさと払拭させたいものだ。折角、復活させたのだから大切に使いたいだけなのだ。何やらいつも同じような展開だが、脱力感は、日々軽くなっている。そのうちに馬鹿デカイ、ステーキでも食べたいものだ。
「これって最終的には、何がしたいのかな?」と、いつも思うのが、死刑制度の廃止だ。日弁連が、よく提言をしているのだが如何なものだろう?それこそ「罪人に只メシ食わせてどうするつもり?」だ。少し前の記事だが、弁護士ドットコムによると「死刑を廃止して、仮釈放の可能性のない「終身拘禁刑」を新設してはどうだろうかーー。日弁連が11月18日、こんな提言を公表した(提言は15日付)。 終身拘禁刑に処された場合でも、一定の条件を満たせば、仮釈放の可能性がある「無期拘禁刑」に減刑する仕組みもつくることを提案している」との事。そこで「そもそも死刑とは?」と言う事にもなるのだが、正直、被害者の“命の対価”の問題になるのは当然だ。しかし最近の判例では、どうも加害者の立場が最優先をされる場合が目立ち、その理由に政治的な意図も感じ取れる。然もそれが特亜に絡んでいるようで、精神鑑定に関しては必要を求められる場合と、そうじゃない場合があるので、明確な違いを知りたいものだ。早い話が加害者の国籍条項だ。まさか「日本人の方が不利な状況になっていないのか?」だ。日本での弁護士資格に、いつの間にやら国籍条項が消えているが、それが裁判に影響が在っても「そりゃ、そうだ。」としか言いようがなく、公平から掛け離れた判決が出やすくなるだろう。そんなものだと思う。「法の下の平等」も、実は御都合主義である。一度、国籍別の死刑判決の統計を出してみては如何だろう?案外と納得する事実が表れるのかも知れない。野暮だが?
「死刑廃止して終身刑を」日弁連が提言 条件満たせば仮釈放も
https://news.yahoo.co.jp/articles/f8bf1d13814f6bf296b58cf20f8b39808f2aaa1a
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