2月の11日、福岡県南部の久留米市にある久留米市民会館で、「主権の覚醒 2016年開幕集会」と銘打った集会が行われた。「日本を守るためのアクション」の一環として、その模様をリポートしたい。
以前、「みんなで選挙ふくおか」という運動について紹介したが、福岡県南部の筑後地方では、それに呼応して「みんなで選挙ふくおかちっご」が立ち上がっている。さらに、やはりできたばかりの「ママの会@久留米」などさまざまな団体が加わり、野党共闘を呼びかけるべくこうして集会を開いた。
時間の都合で私は集会の後半部分にしか参加できなかったが、前半ではライブ(落語?)などがあり、集会後にはデモも行われたようだ。
この集会には、国会議員も参加した。
民主党の野田国義参院議員と、共産党の真島省三衆院議員である。
野田議員は、自民党の某大物議員の秘書をつとめていた経験から、最近の甘利氏の金銭スキャンダルの背後でうごめく利権政治の闇を語る。
舞台裏を知っているからこそ、このケースのダーティーさがわかるというのである。そのうえで野田議員は、第二次安倍政権において公共事業が増え、かつての利権政治が復活しつつあることを指摘した。
真島議員は、世界最大の軍事力をもつアメリカが、もっとも戦争をしている国であるという事実から、抑止力論の欺瞞を喝破する。強大な軍事力が、戦争を抑止するどころか、次々に戦争を起こす理由になっている――まさに、そのとおりであろう。
また、結党時には全有権者のうち44%の支持があった自民党が、現在では全有権者の17%にしか支持されていないという数字をあげ、自民党は衰退の一途をたどっていると指摘。それを生きながらえさせているのは、小選挙区制のもとでの自公の結束と、それと対照的な野党のまとまりのなさである。前回の衆院選でも野党すべてをあわせれば6割の票を得ているのであり、野党が団結しさえすれば確実に安倍政権を葬り去ることができるのだ。
また、市民のパネリストからもスピーチがあった。
ママの会@久留米の代表者は、「大人の無知、無関心、無行動は、子どもたちに対する罪」と訴えた。そのうえで彼女は、「デモが好きなわけでもないし、いつも政治の話ばかりしているわけでもない」と語る。そう、そのような「ふつうのママ」たちが声をあげ、路上に出ずにいられないほど、いまの日本は深刻な危機に直面しているのである。
また、福島から避難してきている牧師の男性は、震災発生時の経験を語ってくれた。
福島第一原発の事故が起きたとき、彼は「聖書に描かれているこの世の終わりがやってきた」と思ったそうだ。さいわいなことに世界は破滅しなかったわけだが、それから5年が経ってみて、いま彼は「助かった気がしない」という。彼の目には、日本はゆっくりと「破滅」にむかって進んでいっているように見える。まだ生きている命がそこにあるのに、安倍総理はその命にむかって「破滅しろ、破滅しろ」といっているように感じられるというのだ。
そして、それを止めるために、彼は行動している。
彼はキリスト教の牧師であるわけだが、必要とあらば、宗教の垣根をこえて仏教の僧侶とでも一緒に行動している。そのように、大同団結することが重要だと彼は語る。
内容の紹介はこれぐらいにとどめておくが、壇上にあがった人のなかには、大学の教授もいれば、個人事業主でこれまで政治のことなどあまり勉強してこなかったという三十代の若者もいた。また、残念ながら急遽欠席となったが、若者団体FYMのメンバーも出席する予定だったそうだ。
そして、集会の最後にはフロアスピーチの時間も設けられ、会場に集まった一般市民からさまざまな意見が出た。教員をしているという女性もいれば、久留米からさらに南の大牟田のほうで行動しているという人もいた。
発言する人たちの画像をみてほしい。
こうして、多種多様な人々が、自主的に政治参加し、意見を表明している。これが民主主義のあるべき姿ではないだろうか。サンデル教授がみたらきっとそういうにちがいない。まさに、“主権の覚醒”である。
昨年、安保関連法が強行採決された際、私は「民主主義は死んだ」と書いた。そして、新しい戦いがはじまる、と。いま、その戦いのなかで、この国の民主主義は、草の根のレベルで力強く復活しつつあるのではないか。
自分と異なる意見にいっさい耳を貸そうとしない自公の政治家たちにこの国を好き放題にさせておくのか、それとも、主権者として彼らを政治の世界から退場させるのか。どちらがとるべき道かはあきらかだろう。