最近のニュースで聞いたところによれば、一般社団法人「日本記念日協会」が、9月19日を「いけんの日」と呼ぶことに決めたそうだ。
朝日新聞(電子版)によれば、この協会はこれまで1300の記念日を認定していて、安保法採決の日をどう呼ぶかを以前から議論していたが、このほど「9・19いけんの日(平和への思いを忘れない日)」とすることにきめた。ひらがなで「いけん」となっているのは、“違憲”だけでなく、“意見”、“異見”もかけてあるため。自分の意見をもち、異見に耳を傾けることの大切さを訴える声が多かったということでそうしたそうだ。
「違憲」はもちろん、「意見」も「異見」もいちいちもっともなことだが、私はここに、福岡県民の立場からもう一つの意味をつけくわえたいと思う。
福岡あたりの言葉では、「いけない」というのを「いけん」ということがある。今年の夏に「安保法案いけんくない!? パレードデモ」というのがあったが、「いけんくない?」というのは「いけないんじゃない?」というほどの意味で、そこに「違憲じゃない?」という意味をかけてあるわけだ。
ということで、福岡県民からすると、「いけんの日」というのは「そんなことしたらいけん」の日とも読める。案外、この意味こそ9月19日という日にもっともふさわしいのではないだろうか。
そして、その「いけんの日」から2ヶ月となる11月19日にも、まさに「そんなことしたらいけん」と福岡ではさまざまな活動が行われている。
このブログではたびたび紹介している学生団体FYMはもちろんのこと、県下各地の「9条の会」、革新懇など、さまざまな団体がアピールを行っているようだ。もしかすると、その数は先月の19日よりも増えているかもしれない。平日ということも会って私は残念ながら参加することができていないのだが、しかし、こうした行動が途切れずに継続していることは心強いかぎりである。
話を元に戻すと、この記念日の名前に「平和への思いを忘れない日」とサブタイトルのようなものがついているのは、安保法への賛否はわかれても、「平和を願う気持ちは同じ」だからということだそうだ。
昨日の記事でも書いたが、平和を守るためにどうするかということを真剣に考えなければいけない。このブログでは、集団的自衛権で平和を実現することはできないと一貫して主張してきたが、いま世界で起きていることは、武力によって平和を作り出すことは不可能だということを示しているのではないだろうか。武力の行使はさらなる暴力の拡大にしかつながらないという“現実”を無視した安保法は一刻も早く廃止するべきだ。そのためにも、来年の参院選で与党に“ノー”の意思を示すことをあらためて広く呼びかけたい。
朝日新聞(電子版)によれば、この協会はこれまで1300の記念日を認定していて、安保法採決の日をどう呼ぶかを以前から議論していたが、このほど「9・19いけんの日(平和への思いを忘れない日)」とすることにきめた。ひらがなで「いけん」となっているのは、“違憲”だけでなく、“意見”、“異見”もかけてあるため。自分の意見をもち、異見に耳を傾けることの大切さを訴える声が多かったということでそうしたそうだ。
「違憲」はもちろん、「意見」も「異見」もいちいちもっともなことだが、私はここに、福岡県民の立場からもう一つの意味をつけくわえたいと思う。
福岡あたりの言葉では、「いけない」というのを「いけん」ということがある。今年の夏に「安保法案いけんくない!? パレードデモ」というのがあったが、「いけんくない?」というのは「いけないんじゃない?」というほどの意味で、そこに「違憲じゃない?」という意味をかけてあるわけだ。
ということで、福岡県民からすると、「いけんの日」というのは「そんなことしたらいけん」の日とも読める。案外、この意味こそ9月19日という日にもっともふさわしいのではないだろうか。
そして、その「いけんの日」から2ヶ月となる11月19日にも、まさに「そんなことしたらいけん」と福岡ではさまざまな活動が行われている。
このブログではたびたび紹介している学生団体FYMはもちろんのこと、県下各地の「9条の会」、革新懇など、さまざまな団体がアピールを行っているようだ。もしかすると、その数は先月の19日よりも増えているかもしれない。平日ということも会って私は残念ながら参加することができていないのだが、しかし、こうした行動が途切れずに継続していることは心強いかぎりである。
話を元に戻すと、この記念日の名前に「平和への思いを忘れない日」とサブタイトルのようなものがついているのは、安保法への賛否はわかれても、「平和を願う気持ちは同じ」だからということだそうだ。
昨日の記事でも書いたが、平和を守るためにどうするかということを真剣に考えなければいけない。このブログでは、集団的自衛権で平和を実現することはできないと一貫して主張してきたが、いま世界で起きていることは、武力によって平和を作り出すことは不可能だということを示しているのではないだろうか。武力の行使はさらなる暴力の拡大にしかつながらないという“現実”を無視した安保法は一刻も早く廃止するべきだ。そのためにも、来年の参院選で与党に“ノー”の意思を示すことをあらためて広く呼びかけたい。