高浜原発が再稼動となった。
司法が一度は再稼動を認めない判断を下しにもかかわらず、また、事故が起きればおそらく福井県よりも大きな影響を受けるであろう京都府に十分な関与を認めず、依然としてゴリ押しで進む原発政策である。
というわけで、今回は、原子力発電について考えてみたい。
原発についてはじつにさまざまな問題があるわけで、一本の記事だけではとてもそれについて語りつくすことはできない。以前に原発について書いたときには、その安全性を問題にしたが、今回は、原発は安定的なエネルギーといえるのかという問題を考えてみたい。
結論から先にいえば、答えはノーだと私は考える。
原発は、安定的なエネルギーであるとはいえない。それは、単に「○○という事態が起こりうる」というような可能性の問題としてではなく、これまでに現実に起きた事例からそういえることだ。
たとえば、つい去年まで、日本にあるすべての原発が停止していた。なぜ停止したのか。いうまでもなく、福島第一原発で事故が発生したためだ。事故がおき、これまでの体制に根本的な問題があることがあきらかになったために、停止せざるをえなかったのである。
考えてもみてほしい。
国内にあるすべての原発が停止したのだ。火力でも水力でも太陽光でも風力でも、ほかの発電施設でそんなことが起きたためしはない。こんなことが起きたのは、ただ原発だけである。そのことで、電力会社は社会に大きな迷惑をかけてきた。原発に依存したがゆえにこうなったということを忘れてはいけない。
それでも、そういいうことが一度おきただけなら、あるいは例外的な事態ということで言い逃れることもできるかもしれない。 だが、そうではないのである。過去の記録を振り返ってみれば、似たようなことは、それ以前にも何度か起きている。以下、その実例をリストアップしておこう。
2002年、東京電力でトラブル隠しが発覚し、東電管内の全原発が停止した。
2007年には、北陸電力の志賀原発で臨界事故を隠蔽していたことが発覚し(※)、同原発が停止。また同じ2007年、中越沖地震によって、柏崎刈羽原発で事故が発生し、刈羽原発にある原子炉がすべて停止している。この刈羽原発の停止では、電力の受給が逼迫したため、東電は「随時調整契約」を結んでいる顧客に対して午後の電力使用を控えるよう要請した。
そして2011年、福島の原発事故で、日本国内にある全原発が順次停止していき、ついにはすべての原発が停止に追い込まれた――
2002年からの十年余りのあいだで、「トラブルが起きて原発が停止」という事態がこれだけ繰り返されているのである。これでわかるとおり、トラブルによる原発停止というのは決して特異な事例ではなく、ごくありふれたことなのだ。特に中越沖地震で刈羽原発が停止したときには、再稼動までに時間がかかり、翌2008年にまでその影響は及んだといわれている。
このように、事故が発生したりトラブルの隠蔽が発覚するたびに、原発は停止している。原発が稼動し続けるかぎり、この問題は避けられない。事故をすべて防ぐことは難しいし、原子力ムラの隠蔽体質からして、原発を続けていった場合、今後も「隠蔽が発覚して原発が停止」という事例は何度も起きると思われる。そしてそのたびに、原発は停止する。一基、二基ぐらいですめばいいが、それですむという保証もない。もしかしたら、ある電力会社の管内全ての原発停止、国内の全原発停止ということがまたおきるかもしれない。そして、それによって社会は見過ごしがたい迷惑をこうむるのである。こうしたことを考えれば、原発はまったく安定したエネルギー源ではないのだ。
※……この事故は、1999年に起きたにもかかわらず、8年にわたって隠蔽されていた。事故が発生した段階で公表され、そこにいたる経緯があきらかにされていれば、同年の東海村の臨界事故は起きなかったのではないかともいわれる。隠蔽体質で事故が隠され原因究明がおろそかにされ、同じような事故の再発防止努力がなされないという問題もここから見えてくる。