今日3月20日は、イラク戦争開戦の日である。
というわけで、この記事ではイラク戦争について書きたい。
開戦の理由とされた大量破壊兵器が結局存在しなかったこと、当時のブッシュ大統領が国連の枠組みを無視して開戦に踏み切ったこと、それを正当化するために持ち出してきた三段論法が世界中の国際法学者らから批判されたことなどは、これまでにも何度か書いてきたが、今回は、また別の観点から書く。それは、武力によって状況をよい方向に変化させることができるのか――ということである。
“武力で平和はつくれない”ということを当ブログでは重ねて主張してきたが、イラク戦争はまさにその典型的な例だ。
フセイン政権を倒したまではよかったが、その後のイラクでは安定した状態を作り出すことはできなかった。米軍が撤退する前に一時的に改善した時期はあったものの、それも武装勢力が「米軍が出て行くまでおとなしくしているだけ」とその当時から指摘されていて、実際、米軍が撤退していったあとにイラクは無秩序状態に陥ってしまった。
その混沌のなかで、ISが勢力を伸ばしていくことになる(※)。
ISは、塩素ガスやマスタードガスといった化学兵器も使用しているとされ、他宗派や異教徒(彼らからみての)に対しては虐殺行為もためらわない無法集団だ。ISよりは、フセイン政権のほうがまだましだったろう。イラク戦争は、膨大な戦費を費やし、人命を犠牲にし、その結果としてイラクという国を前よりひどい状態にしたにすぎないのである。
そして、イラク戦争は、単にイラクを失敗国家にしたというだけではない。それに参加した国々は、いまだに重い代償を払わされ続けている。
その“代償”とは、たとえばテロの脅威である。テロそのものも被害をもたらすが、そのテロの脅威が国内に憎悪と分断を生み出し、社会全体を不寛容にしていくという問題もある。
そして、それを助長するのが難民問題だ。
イラクはもうほとんど内戦状態にあり、その混迷から多くの難民を出し、それが欧州で難民問題となっている。先日EUが発表したところによると、2015年のEU加盟国への難民申請者数は、過去最多の125万5千人にのぼった。そのうちおよそ1割が、イラクからの難民であるという。この膨大な数の難民が、受け入れても受け入れなくてもなにがしかの問題を生じさせる解決しがたい悩みの種となっているのは周知のとおりだ。
こうして、イラク戦争は、イラクだけでなく周辺国にも多くの困難な問題をもたらし続けているのである。
これらの問題を解決するために欧米諸国や中東諸国からなる有志連合はIS殲滅のための作戦を進めているが、ここでも、軍事力によって問題が解決されるかは不透明である。
まず、単純にISを壊滅させることが可能なのかという問題がある。
有志連合による空爆は、回数でいえばもう一万回をゆうに超えているが、それほどの効果は出ていないといわれる。実際のところ、ISの勢いはまだ衰えているとはいいがたい。
たとえば、つい先日ヒッラで大規模な自爆攻撃が発生した。ヒッラはISの支配地域から遠く比較的安全といわれていたというが、そういうところでも攻撃が起きている。昨年の12月の時点で、アメリカのカーター国防長官は、ISの封じ込めが「できていない」ということを認めていて、こうした状況に、カナダなどは空爆作戦から撤退する方針を示している。
空爆だけではどうにもならないというのはもうあきらかで、アメリカは逆に地上戦への関与を深めている。特殊部隊や軍事顧問を派遣し、作戦への助言や訓練を行うなどしているようだ。
こうした関与を強めていけば、なるほど対IS戦に一定の効果はあるだろう。殲滅させることもできるかもしれない。だが、だからといってその後に安定した国家が作れるかどうかというのはまた別問題である。いまの状況をみていると、たとえISを殲滅したとしても、その後にまた別の武装勢力が台頭してくるだけ、ということになりそうである。
いまから25年前に、多国籍軍はイラクを攻撃した。そして、13年前にも攻撃し、またいま、攻撃している。いまのやり方を繰り返しているだけでは、十数年後にまた同じことをしている可能性はかなり高いのではないだろうか。
昨年になって、開戦当時アメリカの国防長官だったラムズフェルド氏は「イラク攻撃の計画を聞かされたとき、“イラクに民主主義国家を作る”というのは非現実的だと思った」と語り、イギリスの首相だったブレア氏は「情報が間違っていた」と謝罪した。いまさらそんなこといわれても……という話である。このように、イラク戦争というのは、そこにいたる経緯も嘘と欺瞞だらけで、その後の結果も、何もいいことがない、失敗としかいいようのない代物なのだ。
最後に日本の話をしておくと、日本では、イラク戦争を支持した人たちがまったくそのことについての総括をしていないようにみえる。
去年も、安倍総理は国会で「大量破壊兵器がないことを証明しなかったフセインが悪い」と発言するなど、なんの反省もしていない。
そして、このイラク戦争を支持した政治家たちが安保法制を作り、イラク戦争を支持したメディアが安保法制を支持していた(これは某Y新聞のことだ。Y紙はイラク戦争を全面的に支持していた)という構図がある。だから私は、ますます安保法制を支持することができないのである。イラク戦争のことを考えれば、安保法についても、十年ぐらいあとになって「あの判断は間違っていた」ということになるのはかなり確実と思われるからだ。
※…ISの登場はイラク戦争が直接の原因とはいえないかもしれないが、間接的には関係があるし、イラクの混迷がISの勢力拡大をたすけているという意味で、やはりもとをたどっていけばイラク戦争とつながっているといえるだろう。
というわけで、この記事ではイラク戦争について書きたい。
開戦の理由とされた大量破壊兵器が結局存在しなかったこと、当時のブッシュ大統領が国連の枠組みを無視して開戦に踏み切ったこと、それを正当化するために持ち出してきた三段論法が世界中の国際法学者らから批判されたことなどは、これまでにも何度か書いてきたが、今回は、また別の観点から書く。それは、武力によって状況をよい方向に変化させることができるのか――ということである。
“武力で平和はつくれない”ということを当ブログでは重ねて主張してきたが、イラク戦争はまさにその典型的な例だ。
フセイン政権を倒したまではよかったが、その後のイラクでは安定した状態を作り出すことはできなかった。米軍が撤退する前に一時的に改善した時期はあったものの、それも武装勢力が「米軍が出て行くまでおとなしくしているだけ」とその当時から指摘されていて、実際、米軍が撤退していったあとにイラクは無秩序状態に陥ってしまった。
その混沌のなかで、ISが勢力を伸ばしていくことになる(※)。
ISは、塩素ガスやマスタードガスといった化学兵器も使用しているとされ、他宗派や異教徒(彼らからみての)に対しては虐殺行為もためらわない無法集団だ。ISよりは、フセイン政権のほうがまだましだったろう。イラク戦争は、膨大な戦費を費やし、人命を犠牲にし、その結果としてイラクという国を前よりひどい状態にしたにすぎないのである。
そして、イラク戦争は、単にイラクを失敗国家にしたというだけではない。それに参加した国々は、いまだに重い代償を払わされ続けている。
その“代償”とは、たとえばテロの脅威である。テロそのものも被害をもたらすが、そのテロの脅威が国内に憎悪と分断を生み出し、社会全体を不寛容にしていくという問題もある。
そして、それを助長するのが難民問題だ。
イラクはもうほとんど内戦状態にあり、その混迷から多くの難民を出し、それが欧州で難民問題となっている。先日EUが発表したところによると、2015年のEU加盟国への難民申請者数は、過去最多の125万5千人にのぼった。そのうちおよそ1割が、イラクからの難民であるという。この膨大な数の難民が、受け入れても受け入れなくてもなにがしかの問題を生じさせる解決しがたい悩みの種となっているのは周知のとおりだ。
こうして、イラク戦争は、イラクだけでなく周辺国にも多くの困難な問題をもたらし続けているのである。
これらの問題を解決するために欧米諸国や中東諸国からなる有志連合はIS殲滅のための作戦を進めているが、ここでも、軍事力によって問題が解決されるかは不透明である。
まず、単純にISを壊滅させることが可能なのかという問題がある。
有志連合による空爆は、回数でいえばもう一万回をゆうに超えているが、それほどの効果は出ていないといわれる。実際のところ、ISの勢いはまだ衰えているとはいいがたい。
たとえば、つい先日ヒッラで大規模な自爆攻撃が発生した。ヒッラはISの支配地域から遠く比較的安全といわれていたというが、そういうところでも攻撃が起きている。昨年の12月の時点で、アメリカのカーター国防長官は、ISの封じ込めが「できていない」ということを認めていて、こうした状況に、カナダなどは空爆作戦から撤退する方針を示している。
空爆だけではどうにもならないというのはもうあきらかで、アメリカは逆に地上戦への関与を深めている。特殊部隊や軍事顧問を派遣し、作戦への助言や訓練を行うなどしているようだ。
こうした関与を強めていけば、なるほど対IS戦に一定の効果はあるだろう。殲滅させることもできるかもしれない。だが、だからといってその後に安定した国家が作れるかどうかというのはまた別問題である。いまの状況をみていると、たとえISを殲滅したとしても、その後にまた別の武装勢力が台頭してくるだけ、ということになりそうである。
いまから25年前に、多国籍軍はイラクを攻撃した。そして、13年前にも攻撃し、またいま、攻撃している。いまのやり方を繰り返しているだけでは、十数年後にまた同じことをしている可能性はかなり高いのではないだろうか。
昨年になって、開戦当時アメリカの国防長官だったラムズフェルド氏は「イラク攻撃の計画を聞かされたとき、“イラクに民主主義国家を作る”というのは非現実的だと思った」と語り、イギリスの首相だったブレア氏は「情報が間違っていた」と謝罪した。いまさらそんなこといわれても……という話である。このように、イラク戦争というのは、そこにいたる経緯も嘘と欺瞞だらけで、その後の結果も、何もいいことがない、失敗としかいいようのない代物なのだ。
最後に日本の話をしておくと、日本では、イラク戦争を支持した人たちがまったくそのことについての総括をしていないようにみえる。
去年も、安倍総理は国会で「大量破壊兵器がないことを証明しなかったフセインが悪い」と発言するなど、なんの反省もしていない。
そして、このイラク戦争を支持した政治家たちが安保法制を作り、イラク戦争を支持したメディアが安保法制を支持していた(これは某Y新聞のことだ。Y紙はイラク戦争を全面的に支持していた)という構図がある。だから私は、ますます安保法制を支持することができないのである。イラク戦争のことを考えれば、安保法についても、十年ぐらいあとになって「あの判断は間違っていた」ということになるのはかなり確実と思われるからだ。
※…ISの登場はイラク戦争が直接の原因とはいえないかもしれないが、間接的には関係があるし、イラクの混迷がISの勢力拡大をたすけているという意味で、やはりもとをたどっていけばイラク戦争とつながっているといえるだろう。