元サラリーマンの植物ウォッチング第5弾。写真はクリックすると大きくなります。
多摩ニュータウン植物記Part5
ニリンソウ・1~庭

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ヒノキ

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ソメイヨシノ・2~庭

写真は拙庭の「ソメイヨシノ(染井吉野)」。去年は3月30日に開花したが、今年は3月23日で1週間早かった。この樹は17年前にここに新居を構えた時に幼木を植えたものだが、その後、あっという間に大きくなり、時々、伸び過ぎた枝を切っている。“桜切るバカ、梅切らぬバカ”ではあるが、小さな庭では剪定は止むを得ない。いつもは脚立を使って高枝バサミで切るのだが、それでも届かず電線まで伸びてしまったので、今回は植木屋さんにお願いして強剪定してもらった。そのため今年は花数がごくわずかでとても寂しい姿。来年に期待しよう。ソメイヨシノはバラ科サクラ属の落葉高木。
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奮闘記・12~37th多摩ロードレース

以前も紹介したことがあるが、この大会について以下に説明しておきたい。この大会は昭和56年(1981年)に多摩市制施行10周年記念事業として開催され、第1回大会では1952年ヘルシンキ五輪三冠王(5,000m、10,000m、マラソン)の人間機関車・ザトペック氏が走っている。ザトペック氏が58歳で来日した際、『どうしてもムラコソと一緒に走りたい。彼は私を陸上競技の道に進ませてくれた憧れの人だ。』と希望した。村社耕平氏は1936年ベルリン五輪の5,000m、10,000mで力走しともに4位入賞を果たしたが、その当時13歳だったザトペック氏はこの姿に感銘を受けたと語っている。これを聞いた村社氏はその時75歳になられていたが、出場を快諾しザトペック氏と共に5キロを走った。感激したザトペック氏は『今日は我が人生で一番幸福な日』と語ったというエピソードが残っている。
コースはスタート・ゴールの多摩市立陸上競技場だけが平らで、それ以外は強烈なアップダウンが連続する丘陵地のタフなコース。去年は冷たい雨でカミサンにたしなめられて棄権したが、今日は4月の陽気で気温は20℃を超え、アップダウンに加えて暑さとの戦いになった。結果は54分13秒で1キロ当たりは5分25秒。1キロ毎のラップは、5分28秒、5分08秒、5分14秒、5分31秒、5分30秒、5分31秒、5分38秒、5分36秒、5分26秒、5分11秒。コースの途中では春霞の先に遠く富士山や白馬の雪形も見え、苦しさをしばし忘れさせてくれた。[(c)allsports.jp]
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カタクリ・1~小山田端自然公園

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