命のカウントダウン(健康余命3605日)

トレッキング、カメラ、陶芸、スキー、釣り、カヌー、遊びなら何でも大好き。仕事も好き、時間がない!

屋根の話、今日も出来ず。車は6日に引き取りに行くことが決定!!

2019-08-02 18:38:38 | キャンピングカー
今日もドタバタ忙しくて、駐車場に屋根を作らせてもらっていいか、尋ねることができませんでした。明日は土曜で仕事が半日で終わるので、必ず行こうと思っています。
具体的には、朝夕の診療の間、昼休みの間(12時から16時30分)に暇を見つけてご挨拶に行こうと思っていたのですよ。昼飯かっ込んだらすでに13時を回っていました。それから往診3件大慌てでこなして、(月初だから採血2件もありました。それから隣接する自治体まで車を飛ばして地区医師会理事会に出席、それから残り3件の往診済ませて戻ったら4時半の夜診開始時間に遅刻していて、待たせた患者さんににらまれてしま強いました。本当に毎日がバタバタです。

調べ物が得意な配偶者が予定を立ててくれました。次の火曜日には納車、朝早くに家を出て、JRで諏訪へ。昼頃に茅野駅に着くようです。奈良中部から諏訪に行くには、近鉄電車で名古屋まで行くよりは、一旦大阪に出て新幹線で名古屋を経由した方が早いようです。私が調べたら、自宅早朝の5時半出発だったのが、配偶者調べでは1時間遅れの6時半で同じ時刻に到着でした。配偶者のサーチ能力恐るべし!!


LTキャンパーズのHP上に引き取りに行く我が車が登場していました!8月2日のS様仕様です。
http://www.ltcampers.jp/blog/

新たな遊び道具 NIKON COOLPIX P1000

2019-08-02 03:14:14 | 遊び
カメラ、レンズを購入するのが大好きです。
配偶者の趣味は写真ですが、私の趣味はカメラ関連機器の購入です。写真が趣味とはとても言えないです。
なので、カメラは数多く持っております。ニコン、キャノンのフルサイズデジタル一眼とそれぞれのレンズ群、撮像素子1インチのものは、SONY2台、NIKON1台あるなあ。
昨年は配偶者の山行用にSONY α6400を中心とした山用のセッティングをどさりと購入した。しかし、その時に予定していた撮影会縦走旅行が中止になってしまって、そのセットはお蔵入りしたままなのだ。
そんなことがあるのに、COOLPIX P1000、ポチッとやってしまった。 まあ、いずれはするだろうと予感してはいたけれど!!
24-3000㎜の光学125倍ズームなんて聞いては、ポチッとせざるを得ないでしょう!!!
これで何を撮るか? 月や惑星を撮ることも可能だそうですが、さすがにそれはしないでしょうね。
まあ、野鳥ですかねぇ。
1.5㎏近いですが、持ち歩けば、いろいろと面白いシチュエーションに出会うのではないかと思っています。
覗きを疑われないようにしないとね!!高性能機器は、変に勘繰られる可能性があるので、気をつけてください使わないとね!!

屋根交渉進まず!!   ヤーねー!!!!

2019-08-02 00:42:05 | 日記
本日は、休診日でたっぷり時間はあったはずなのに・・・・
地主さんにお願いに行けずじまいでした。
そんなに近づくのが憚られるような方ではないのですが、何かをお願いしに行くというのは、結構気が重いものです。行けませんでした。
明日は、必ず行きます!!はい、必ず!!!!

明日から、医院勝手口に新たな「軒先」を設置してもらう事になっていた「サッシ屋」さんが、熱中症に罹られて、明日からの工事「延期させて下さい」と連絡があったとの事。猛暑、炎天下の作業は本当に大変だと思います。ガレージの屋根も、その「サッシ屋」さんに頼もうとしていたので、少し時間の余裕が出来たとも言えます。不幸中の幸い?? でも、キャンカーは6日夜には持って帰ってくる予定ですので、その後屋根が完成するまでのしばらくの間、雨が降らないことを祈るのみです。

今日は、昼は英会話:1時間、夜はアドラー心理学:3時間 学んできました。昔と違って、押し付けられない学びは結構楽しいです。勉強が楽しいと思えてきたのは、30歳を超えてからですね。今では、勉強をしないと、不安にもなります。
仕事に関することは勿論ですが、料理の仕方にせよ、釣りにせよ、投資、納税、買い物の仕方にせよ、すべてが勉強だと思います。うまく処理出来たら嬉しいし、下手を打ったなぁと思ったら、悔しくなります。

65歳になって思うことは、これまでは自分のかかわっているシステムをどうやって拡張していこうか、そればかりを考えて生きてきました。それが生活の安定化にも直結していたのですが・・・これからは迷惑をかけずに手じまいをしていくことも考慮しないといけないのですねぇ。それは、相当に難儀だと思います。人間は、自分というシステムが不滅だと感じるように作られていると思っています。死は、実感できない。その、実感不能な死に向けて生活活動を縮小していくのは自分の本能に逆らうことになるのでしょうねぇ。

  写真は、「D'ailleurs, c'est toujours les autres qui meurent」
(死ぬのは、いつだって他の人)と書いてあるらしい マルセルデュシャンのお墓です。