命のカウントダウン(健康余命3605日)

トレッキング、カメラ、陶芸、スキー、釣り、カヌー、遊びなら何でも大好き。仕事も好き、時間がない!

#死ぬことに興味あります

2019-09-04 23:44:35 | 
9月になって、朝夕は過ごしやすくなった今日この頃です。
残暑のなかに近づいてくる秋

私、昭和29年生まれの65歳男性です。昨日眼科受診して「問題ないですよ。」と言われてホッとしたのですが、近くを見るための眼鏡を作ることを勧められました。近くを見るための眼鏡、即ち老眼鏡ですよね。
私、軽い近視(裸眼 両眼ともに0.6)なので、遠くを見るのに凹レンズがあれば視力上がります。しかし、近くを見るためには凸レンズが必要になったのです。目の焦点距離を合わせる調節能力が低下したということです。
小学生の頃は、友達の遠視の凸レンズでも、近視の凹レンズでも、たいていの眼鏡を掛けても見ることが出来るのが自慢だったのですが・・・・寄る年波には勝てないです。

最近よく手にするのが、「死」に関する本です。

私は、人は皆「自分の死は想像し得ない」存在んのだと感じています。
言い換えると、理屈ではあり得ないのですが・・・・自分は死なないと思っている。
他人の「死」は、理解でき、納得できるのです。
特に親しくない人の場合「近所の誰々さんが亡くなったよ。」 と聞いて、「へえ、お元気そうだったのにね。」と、すぐに得心してしまいます。

少し交流のあった人だと「同期の誰々さんが亡くなったらしいよ。」と聞いたら、「えッ!!何で??」「肺癌だったみたい。半年ほど前に最後に会ったのだけど、びっくりするくらい痩せていて、顔色悪くてなぁ。元気そうやねなんてとても言えなかったわ。」「そうかぁ。あいつ死んだのか。肺癌かぁ。高校からタバコ吸ってたものなぁ。」
などと、納得するのに時間を要します。

それが、もっと近しい人ならば・・・・
その人の存在が無くなってしまったことを納得するのには、心の距離に反比例する時間が必要になるようです。

反比例って割り算でしたよね。亡くなった人が長年連れ添ってきたかけがえのない配偶者だったりすると、距離が小さいので、割り算の答え(商)が膨大なものになる。すなわち、納得なんてとても出来ない!!事になったりもします。

私が何を言いたいのか、分っていただけるでしょうか?
そうです。死ぬのが自分自身の場合、距離がゼロですよね。
だから・・・・・数式自体が成り立たない(ゼロで割ってはいけない)のです。
それゆえ、私は、人は誰も、自分が死ぬことを理解できない。=自分だけは死なないと思っている。 と私は思います。


人は皆、人間も生物であるから、誰もがみな何時かは死を迎えると、理解しています。自分もいつかは死ぬと論理的には理解しているのです。しかし、体感で全く理解していません。体感では自分は死なないと思っている。だから、「あなたは癌の末期で、予後は3か月程度です。」とでも言われようものなら、誰もがみな画一的なまでに「癌だって・・・・私、死ぬんだって・・・ガーン。」と、画一的なまでのショック症状を呈します。
隣のおじさん、おばさんがそういわれたと聞いても「そう、まあ、しょうがないわねぇ。」と、即座に納得するくせに!!

話が長くなりました。
この話は前振りです。

クイズです。この話は前振りなんです。

私、あなたが持っていないものを持っています。

それは何でしょうか??

答えは土曜の深夜に明かすことにしましょう。

おやすみなさい!!