私達は何時か死を迎えます。
でも、それを実感することなく、今日と同じ明日が来ると思って毎日生き続けています。
今日と同じ明日が来ないかもしれませんよ
と、言われたらどうなるのか?
貴方は末期がんです。
この夏を超えるのは難しいです
そう、宣告された40代後半の患者さんに対する初回訪問診療に今夜行ってきました。
○○癌、両側肺多発転移、癌生胸水、癌性リンパ管症 という病名です。
彼女は現在元気です。
癌性リンパ管症で、息苦しくなって5月末に入院、そして、酸素療法を開始、病状が落ち着いたので、本日夕方に退院されて自宅療養が始まりました。
酸素を吸う事は在宅医療でも可能です。在宅酸素療法と言いますが、多くの場合は酸素濃縮装置を使います。液体酸素を使う事もありますが、私は未だ一件しか経験したことがありません。例外的です。
そしていずれの場合にも、外出などの場合には酸素ボンベを使用します。
携帯型の酸素濃縮装置や携帯型の液体酸素装置を使う事もありますが、それも例外的な事です。
この患者さんは、自宅では酸素濃縮装置、外出時には酸素ボンベという一般的な装置を使用することになりました。
呼吸不全を訴えて入院する前の5月中旬とは違う自分になってしまっている訳です。退院前に入院中の主治医から「今年の夏を超すのは難しい」と言われたそうです。今日のあなたが、明日もある保証は無いよと言われたわけです。
相当に動揺されていました。
人は皆、今日と同じ明日が来るものと何の疑問も無く思っています。それが崩れるから、貴方ガンですよ。と言われると、皆さん全員「俺が私がガン?ガーン」と判で押したような漫画チックな衝撃を受けるのです。かくいう私も、そう言われたら、同じような反応を示すだろうと想像します。
今日現在、彼女は酸素さえ少量(1.5L/min)吸えば通常の生活が可能です。「私は元気です。」と、彼女は強調します。確かに元気なのですよ。日常生活、酸素さえ吸っていたら、何の問題も無いです。ですが、明日は分からないのです。だから、自動車の運転も止められました。日常生活に色々と制限が掛かって来ています。最大の制限は時間的スパンです。何しろ、この夏は越せない可能性が高いと言われたのですから。
しかし、医者の言う予後は、当たらないことも多いです。貴方が予後を宣告せざるを得ない立場の医者だったらと考えてみてください
その立場になって、この患者さん、今後2か月から6か月くらいで最期を迎えられそうだなと予想したとします(相当に大雑把ですが、そんなものです)。貴方は、患者さん、患者さん家族にどう伝えますか?正直に2か月から6か月くらいかなぁ。よくわからないけれど と、伝えるのか、 短ければ二か月と言う事もあります。と伝えるのか、4か月プラスマイナス2か月程度だと推定されますと伝えるのか。いずれも嘘は言っていないけれど、言われた側の印象は大いに違いますよね。
そして、短ければ2か月と言われて2か月で亡くなった場合と、4か月プラスマイナス2か月と言われて2か月で亡くなった時のご家族の印象はどうでしょうか?
医者が予後を短めにいうだろうなぁとは想像できませんか?
まあ、そんな事もあって、医者の言う予後、ご本人は気にしない方が良いです。医者は、後で責められないような事しか言わないと思ってください。
私98歳の胃癌患者さんを紹介され、予後3か月以内ですから と言う言葉を信じて、半年後にスキーの長期旅行に行く予定があるにもかかわらず、引き受けてしまったことがあります。その患者さん、それから5年、103歳まで生きられました。末期胃癌だった筈なのに、癌、いつの間にか消えてました。亡くなったのは、癌が原因ではなくて、老衰でした。不思議な事もあるのです。
私、誤診では無かったのかと前医のカルテを確かめに行きました。胃カメラの所見では確かに進行胃癌がありました。それが何故か100歳の時に撮ったCTでは消えていました。
とは言え、医師が予後何か月程度と言うのは、同じがんの同時期の方がどれくらい生きられたかという統計に基づいているので、多くの場合は、予想に近い形に病態も変化していきます。・・・しかし予想外の事も少数ですが確かにあるのです。ですから、予想外の事を信じるしかないがん末期と診断された患者さんは、予想外の事が起こり得る事を願ってください。
ただ、何度も言いますが、人は必ず死にます。早いか遅いかだけの違いです。でもその違い、大きいのですよね。40代で死に直面するのは辛いと思います。私、69歳ですが、この夏超えるのは難しいですよと言われたら超動揺するに決まってます。私、この歳でも尚、今日と同じ明日が来ると何の疑問も無く思っていますから。
今日と同じ明日が来るだろうと思える日がいつまで続くのか・・・・
いつか死ぬのに、いつか死ぬことが実感できていない私です。
想像力が欠如しているのか、その方向への想像力が働かないことが生物としての本能なのか・・・・これまで皆さんよりも多分圧倒的多くの「死」に遭遇してきた私なのですが・・・・自分自身の「死」は想像できないのでございます。
色々と本当に考えさせられました。
私もホスピスで働いてきたり 娘から ICU での話を聞いたりしていますが、人は死ぬとは分かっていても それはやはり いつか なのですよね。
今まで死にそうな目には2回ほどあったことがありますが、その時は意外に冷静でした 。
その後、元気になった時から動揺しました💦
果たして、静かに受け入れながら感謝しつつ死ねるかどうか。
今、母の介護をしながら自分の老後、 自分の最期も否応なく日々考えています。
なるほどなぁと、今回もとても考えさせられました。
人は死からは逃れられませんが、いつかその日が来た時に自分の人生を振り返って後悔しない様に、生き切ったと思える様に、そしてこの身体に今まで有難うと感謝して魂に戻る事になると思いたいと考えています。でも、おっしゃる通りで、私も今の自分はまだ受け入れられません。何歳になればそんな境地になるのか?それが一番の問題ですよね。
お母様の介護をされているのですね。
3人称の死、2人称の死、自分の死
全て別物ですよね。
経験してみないと分からない
1人称の死は、経験したら誰にもそれがどうだったのか告げる事が出来ないのだけれど、ピエリナさんは2回も「死にそうな目にあった事」がおありなのですね。意外に冷静だったのですか・・・・
私は全く未経験です。図々しいし、鈍感だから、死が迫って来ても「俺は死なない」と思っているようにも思います。体験しないと分かりませんけどね。
やはり、自分でも「ドンと来たなぁ」と、思った事を書いたら、それを感じていただくのだなぁという思いを深くしました。
在宅医療は好きですし、まじめに取り組んでもいるつもりです。一方で、69歳です。限られた残りの人生、自由に遊びたいとも思うのです。どちらにも舵を切り切れないでいる私ですが、それを否定してはおりません。仕方がないと思っています。今後も、周囲に支援を仰ぎながら、中途半端な生き方をしばらくは継続していこうと思っています。
大事にしていきたいのは、日常生活、即ち周囲の方たちとの人間関係、家族 なのですよ。
死を受け入れられるかどうかは分からないですが、それに近づくまで、家族の中で生活し続けられたらうれしいなと思っています。
意識してるんでしょうね、儚いことを。
明日がないということは、楽しいことも来ないですが、嫌なことも来ないわけで、おあいこですね。
「明日がないということは、楽しいことも来ないですが、嫌なことも来ないわけで、おあいこですね。」
私にはとてもそうは思えませんです。楽しいことも嫌なこともあっても、今日と同じような明日が来て欲しいと強く希求してしまう私です。
済みませんが・・・・愉しいことも嫌な事もある未来が来ることが、未来が来ない事と同等であるのなら、私はちょっとでも辛いことがあったならすぐにでも自殺しちゃいます。
私にとっては、辛い事、愉しいことがたとえイーブンであったとしても、生き続ける事自体に意味を感じており、愉しいことだと思っております。哲学的には・・・多分無意味なんだろうなとは思っているんですがね!!!無意味だとしても生き続ける事に意味が多少あると思っている私なのでございます!!!生存の意味にしがみ付き続ける私なのでございました!!!!!!
量子力学とか、、スピンとか,、死後の世界を、物理的に
認識で来たら、、、死ぬとき持って行くもの一つで、、、身体は亡くても、樹木の苔の中に、岩や川の水になって、人間肉体に閉じ込められているより、、いいかもしれない、、、???なんて思うときありますよ。死んだら高野山に流してもらうのが「千の光」になれるかもしれませんよね。楽しみにしているのですよ。死んだら、和歌山に帰れると。(^^👌
明日ありと思う心の仇桜、、、明日がわからないから、、
、死んだら終わり(++) 矛盾!!