まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.442 春なのに、ハルが去っていく・・・

2016-04-03 23:41:42 | 日記
おはようございます。





そんなわけで前回は『ぐるかん』で最終回特集をやるはずだったのが、地震のために放送打ち切りになってしまった件をお伝えしました。何とも不吉なフラグだったのですが翌日の最終回は無事放送され、自分(一人称)もしっかりと見させてもらいました。



最初は苦手だったこいつももう見納めかあ。最終回、特にこれと言った起伏や波乱はなく静かな感じで終盤に差し掛かって勉強会のシーン。



このまま静かな感じで終わるのか・・・と思ったら、出てきましたがな、この男が↓↓↓




二人で最後を締めくくるのは『マッサン』『ごちそうさん』でもあったのと同じパターンだったが、特にひねりもなくシンプルな終わり方だったのに、何や、泣けてきてしゃ~ななかったわ。あさの幸せそうな表情がもうすべてを物語ってましたね、ここまで商いだ、炭鉱だ、銀行だ、大学校だ、保険会社だと半年間で実在の人物を駆足で巡って来た物語だったが、真のテーマはやはりこの夫婦だったのでしょう。新次郎なくしてはあさもここまでのし上がってくることはできなかったと言うこと、もちろんあさもそれを分かっているからこそ、最後はすっぱりと商いから身を引けたと言うことでしょう。

主演の波瑠は『相棒』の時のイメージが先立ってどこか冷めてそうな感じの人かと思ったが、見事にあさのキャラクターを面白おかしく演じきってくれました。まあ杏や吉高ほどではなくてもキャリアはある人だったので大丈夫やとは思いましたが、前作がアレだっただけに始まった頃は期待が大きかった、その期待以上のものを見せてくれたと思います。大阪弁も見事にこなしていました、自分(一人称)が好きだった、と言うか笑ったシーンが

「(寂しそうに)そうだっか(その後眉を吊り上げて)そうだっか!!

と言って弥七をビビらせたところ。このシーンで波瑠は完璧に大阪弁をものにしたな~と思いました、表情の変わり具合もおかしかった、さて、このシーン、何話のどのシーンかお分かりでっか?


そして新次郎役の玉木宏、今更朝ドラのヒロインの相手役・・・と思ったが、初めはいかにもアホボンっぽいところが意外と似合っていて、話が進むにつれて理解ある夫ぶりに磨きがかかってきた。最終回は新次郎に泣かされたが、玉木宏で泣いたのは『のだめカンタービレ最終楽章後編』の幼稚園のシーン以来だわ。この男を初めて知ったのは朝ドラ『こころ』だったかな、その後は大河『功名が辻』に出ていたが、その頃は玉山鉄二、成宮寛貴とイメージがダブっていて左程気にもならなかった。





やっぱり『のだめカンタービレ』の千秋真一がターニングポイントとなったのでしょう、その後は顔を鹿にされたり、大河では添え物程度の坂本龍馬をやったり、「嘘だと言ってよジョー」とかやっていたが、今回のドラマでまた時代をつかんだと言った感じ、これはいずれ大河ドラマの主演も・・・とか如何でしょうか、NHKさん。










大阪市内を巡っていてドラマの所縁の地をとなると、やっぱりここに行っとかなければならない場所が上の写真にあるビルです。見上げると首が痛くなるくらいの高層ビルは威圧感があります、まさに明治の女性番付で横綱に位置づけられた広岡浅子を象徴しているかのようです。外観の様式や内装にはドラマでちょこっとだけ登場したヴォリンガーさんことヴォーリズも設計に関わっているとのことで、その辺りからもこの明治の女傑の華やかな人脈がうかがえると言ったところです。ヴォーリズ建築は滋賀県を走っていて多く見かけるし、高島市にはヴォーリズ通という名の道もあってもうお馴染みの名前だったが、まさかその人があさと所縁のある人だったと言うのはびっくりポンだった。このドラマをきっかけとして、いずれはヴォーリズ建築物巡りもしてみようと考えているところです。
ビルの一角にあるのは加野屋のモデルとなった加島屋跡の碑、ドラマを見た限りでは場所がどこだとかの指定はなかったですが、ここは小説のタイトルになっている土佐堀川の真横、そう言えば関連番組に出てきた加野屋の写真も川の側にありました。なるほど、ここだったのか・・・と思ったが、そうなるとふゆが泣いていたと言う高麗橋は結構な距離が離れていることとなる。ここが四ツ橋筋で、御堂筋、堺筋と越えて松屋町筋の手前だ、京阪電車で言えば3駅分、新次郎はその距離を亀助に走らせたと言うことになります、結構鬼です。

そして一番下の写真は前にもここで紹介させてもらいました、御存知大阪の恩人ことトモちゃんの像です。ドラマの終盤の頃でしたが、それでも五代様の像の下ではカメラを向ける人がいっぱい。今やビッグマン(古い?)ナビオの角(これも古い?)に次ぐ待ち合わせの場所となっています・・・かどうかは分からないが、それまでは何気なく通り過ぎられていた所が、このドラマのおかげで脚光を浴びたのは確かな事。そう言えばこの間見ていたBSの番組で、幕末に撮られた写真の謎を解くと言うのをドラマ形式でやっていた。



いるんですよねえ、この中に五代友厚が、名だたる幕末志士が揃いも揃った中に。最初のところで有名どころ名前を紹介されていたが、多分『あさが来た』でこれほども脚光を浴びてなかったら、誰?程度でスルーされていたと思う。最近ドラマでも話題になったと紹介されているので歴史的には今旬な人であるかも知れない。ちなみにこの写真には女子大学設立時に名前の出てきていた大隈重信や伊藤博文も写っています。


話は大きく逸れてしまいましたが、さて、明日からは『とと姉ちゃん』か、期待のほどはと言うとどうでしょうか?これも実在の人物がモデルとなっているようですね、その辺りは引き付けられるところではあるのですが主演の子がなあ・・・、もっと原石を見たい気もするのですが、まあその辺りはとりあえず第1話、1週目を見てまた評価してみたいと思います。それより楽しみなのはその前の時間に始まる『てるてる家族』↓↓↓



明日からと思ったらまだあと1週『どんど晴れ』があるとのこと、まあ始まっても上野樹里が見られるのは1話の最初のところだけでその後は1ヶ月後、でも面白かったのは確かなので、楽しみに待ちたいと思います。ドラマの話となるとどうも長くなってしまいますね、僕の悪い癖、今回もお付き合いのほど、どうもありがとうございました。         まちみち

No.441 久宝寺寺内町

2016-04-03 08:51:06 | まち
おはようございます。


『あさが来た』が終わってしまいました。まあドラマについての話は次回にするとして、昨日、いつも出勤前に見ているNHKの『ぐるかん』では朝ドラ最終回前の特集をすること、それと気象予報士の三宅惇子さん、この人↓↓↓



本日で番組を卒業と言うことで録画をしながら見てました。『あさが来た』特集は番組後半で、まずはここまでの名場面集を7分程でと言うことで今まで見てきた中でのあのシーン、このシーンが流れていたのですが、その途中に

ティンロ~ン、ティンロ~ン

と不協和音のチャイムの音、画面には緊急地震速報の表示、番組はその時点で打ち切りになりニュース番組へと変わってしまった。『あさが来た』は仕方ないにしても三宅さんの大阪局でのお仕事はこれにて終了、最後の挨拶もなしに大阪を離れることとなってしまいました。この人、奈良の大和郡山出身で、前に一度ここでも飛び出しお嬢のネタで取り上げさせてもらったことがあって結構気に入ってたんですが、春からは東京に移動されるとのこと。『ぐるかん』は去年は菊池真以さんも東京に持って行かれていて、原田伸郎も寂しそうでした。三宅さんは4月からは夜のニュース番組に出演されるとのことで朝の顔から夜の顔か・・・ってこの番組、メインがお姉さんじゃないか、ってことはお姉さんも『ブラタモリ』卒業なのか。皆いなくなってしまうんやなあ、春なのに・・・。










国道25号線を大阪方面へと走って、近鉄国分駅からは堺方面の府道へと入って行く。しばらく走ると藤井寺市との境界線となる石川に架かる橋へ、そこから南に臨むと少しクラシックがかった吊橋が見える。写真1枚目~3枚目にある玉手橋はこの下にある近鉄道明寺駅と川の向こうにあった玉手山遊園地を結ぶために架けられた橋で、吊橋としては初めて国の登録有形文化財に指定されたものである。ああ、ありますね、登録有形文化財のプレートが、橋の袂の両側に掲げてありました、しかし橋を渡る人にとっては普通に生活のために使う渡り道であって、これが文化財だと言う意識はほとんどない感じ。狭い橋なのでゆっくり渡っていると後ろで迷惑がられてしまいました。
ここから石川河川敷の自転車道を通って再び柏原市に入り、更に八尾市に入ってその中心部にあるのが写真4枚目の寺院、ここも登録有形文化財に指定されている。結構広い道の分かりやすい場所にあったが、前に八尾を歩いた時には雨が降っていたこともあって探し当てることができなかった。寺院の文化財となると奈良や京都では自然に重要文化財を思い出してしまうが、登録有形文化財となると少し軽く扱われてしまっているかのような感じがしてならない。








前に八尾に映画を見に行った後にJR久宝寺駅まで歩いたのですが、その時に通ったのが久宝寺寺内町、その日は雨でしかも自分(一人称)は傘を持ってなかったのでもうずぶ濡れな状態、寒かった・・・。この町並のことは知っていたがその時はそれが目的ではなく、駅の近くに登録有形文化財に指定されている家屋があるからそれを探すためだけにこの辺りを歩いたわけですが、この町並を見るとやっぱり気持ちは動いてしまうものですなあ~。

雨の久宝寺寺内町


嬉しいことがあったら雨が降る人もいたが、やっぱり雨は恨めしいもの、その日はもう歩き回ることはできずこれは次回への宿題としておいたが、今回はその宿題を消化するべくの再訪と言うことになりました。









寺内町はJR久宝寺駅の北側の狭い範囲にまるで碁盤の目のように区切られた町並。古い家屋の中には前回見つけたのと、今回探し当てた二つの登録有形文化財に指定されている家屋の他にも、歴史を感じ取ることができる古い町並が軒を連ねている。この間美濃市を走った時にはうだつのある町並を走ったが、古い町並にはうだつは当たり前の様にあるものでここもそう、あえて観光の売物にする必要などありません。古い家屋の他にも寺院はもちろんのこと、道標、半鐘、お地蔵様など旧街道の雰囲気が漂う風景もいろいろと巡ることができて、宿題も無事終了させることができました。

久宝寺と言うと今ではJRでは快速も停車する大きな町となってますが、自分(一人称)の子供の頃はここは関西本線の上下線が南北に離れていて、その中には竜華操車場があってここを通る時はその景色を見るのが楽しみだった。



貨物列車の他に特急電車や客車車両など奈良では見ることができない車両をいろいろと見ることができて、ここを通るのが楽しみだった。ただそちらばかり見ていると久宝寺駅を通過したのが分からなくて、自分(一人称)の中では名前はあってもホームがないと言う不思議な存在の駅だった。今は上下線は同じ場所を走りおおさか東線も分岐する大和路線の主要駅に成り上がって、元は操車場だった駅前には高層ビルも建って上の写真とは全く違う風景になってしまった。まあそれも時代の流れでしょう、でもそんな流れを無視するかのように佇む寺内町の町並、短い時間でしたが十分に楽しませてもらいました。今回もお付き合いのほど、ありがとうございました。       まちみち