よろしくお願いします。
広陵町から大和高田市へ環濠集落や町並を巡っていくシリーズの2回目、前回の続きでそのまま大和高田市へ入って行こうと思いましたが、広陵町は広範囲でいろいろと見所となる町並があります。そんなわけで今回も広陵町です、前回は下街道沿いの町並を行きましたが、ここではその東側にある百済寺周辺を巡って行くこととします。
今回の巡りのスタートは写真3枚目にある曽我川に架かる橋から、ここで田原本町から広陵町へと入る。橋を渡るとすぐ右側に急カーブの坂があり、その向こう側は環濠集落となっている、どんな町並なのか気になったのでちょっと行ってみることとするか。坂を下りたすぐの所にはお堂に収められたお地蔵様、その先は古い町並、細い道を進んで行くと入り組んだ場所には集落の中心となる寺院、地元の人たちが頑なに生活のリズムを守っていくと言った雰囲気が漂ってくる感じの町だった。この後はせっかくここまで来て大和高田を目指すはずなのだけど、少しだけ北へと方向転換、田園風景の中の道を進んで行くと写真下3枚にある与楽寺へとたどり着く。周囲は公園になっていて静かな雰囲気の中にある寺院、山門をくぐると小さな本堂がある。山門前の案内板には「十一面観音立像の胎内から八世紀頃の十一面観音立像が発見された」とある、観音像が観音像を産んだのか?みたいな感じだが、見つかった立像は30センチくらいの小さなもので、様式から遣唐使が日本に持ち帰ったものかも、とある。小さな像になぜ覆うようにして大きな像を被せるように造られたのか・・・これって結構ミステリーな気もするんですが、よくあることなんですかね?
広陵町はコミュニティバス路線が充実していて、上の写真にあるようなひっそりとした町並の中でも本数が確保されている。さっきの与楽寺からバス停をたどるようにして南へと進んで行くと百済の町並へと差し掛かる、この町の見所と言えば何と言っても百済寺なのだが、それについては下のゾーンでのお送りとして、まずは町並を巡って行くこととしよう。田園風景の向こうに海に浮かぶ島のように見える環濠集落、小さな水路が町並を取り囲み、春の穏やかな陽気の中でどこからとなく聞こえてくる農作業のエンジン音。自分(一人称)が自転車でそばを通り過ぎると畑仕事をしている人がチラリと振り向く、がまた目線を元へと戻す、近くに有名な寺院があるので観光客が町に入ってくることもありそうだが、町の人にはそれも何気ない日常の何気ない光景にしか映らないのだろう。
さて、百済寺へと着きました、ここはもう何度もお伝えしている所、最近では万葉歌碑巡り、都巡り関連でやって来ました。案内板には舒明天皇の頃にこの地に都を置いた趣旨のことが書かれている、ただ百済宮に関してはその所在地がはっきりしていない、火災により宮をいくつか代えてきた天皇が亡くなったのは百済宮だが、それまで岡本宮、田中宮、厩坂宮と近鉄橿原神宮前駅東側の半径1キロあるかないかの場所に宮を置いてきたのが、いきなりそこから結構離れている広陵町まで宮を移すのは不自然な気もするからだとか。とは言えもうひとつ百済宮の所在地とされたのが桜井市と言うことで、これも結構離れている、謎が残るところです。そんなわけで百済界隈の巡りもここまで、先へと進んで行くことにしよう、そう言えばこの前橿原に映画を見に行った時にこの辺りで雨に降られて、写真下2枚目にある軒下で雨宿りしたんだった、トタンのひさしが所々穴が空いていてしずくが落ちてきて仕方なかったが・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・まちみち
広陵町から大和高田市へ環濠集落や町並を巡っていくシリーズの2回目、前回の続きでそのまま大和高田市へ入って行こうと思いましたが、広陵町は広範囲でいろいろと見所となる町並があります。そんなわけで今回も広陵町です、前回は下街道沿いの町並を行きましたが、ここではその東側にある百済寺周辺を巡って行くこととします。
今回の巡りのスタートは写真3枚目にある曽我川に架かる橋から、ここで田原本町から広陵町へと入る。橋を渡るとすぐ右側に急カーブの坂があり、その向こう側は環濠集落となっている、どんな町並なのか気になったのでちょっと行ってみることとするか。坂を下りたすぐの所にはお堂に収められたお地蔵様、その先は古い町並、細い道を進んで行くと入り組んだ場所には集落の中心となる寺院、地元の人たちが頑なに生活のリズムを守っていくと言った雰囲気が漂ってくる感じの町だった。この後はせっかくここまで来て大和高田を目指すはずなのだけど、少しだけ北へと方向転換、田園風景の中の道を進んで行くと写真下3枚にある与楽寺へとたどり着く。周囲は公園になっていて静かな雰囲気の中にある寺院、山門をくぐると小さな本堂がある。山門前の案内板には「十一面観音立像の胎内から八世紀頃の十一面観音立像が発見された」とある、観音像が観音像を産んだのか?みたいな感じだが、見つかった立像は30センチくらいの小さなもので、様式から遣唐使が日本に持ち帰ったものかも、とある。小さな像になぜ覆うようにして大きな像を被せるように造られたのか・・・これって結構ミステリーな気もするんですが、よくあることなんですかね?
広陵町はコミュニティバス路線が充実していて、上の写真にあるようなひっそりとした町並の中でも本数が確保されている。さっきの与楽寺からバス停をたどるようにして南へと進んで行くと百済の町並へと差し掛かる、この町の見所と言えば何と言っても百済寺なのだが、それについては下のゾーンでのお送りとして、まずは町並を巡って行くこととしよう。田園風景の向こうに海に浮かぶ島のように見える環濠集落、小さな水路が町並を取り囲み、春の穏やかな陽気の中でどこからとなく聞こえてくる農作業のエンジン音。自分(一人称)が自転車でそばを通り過ぎると畑仕事をしている人がチラリと振り向く、がまた目線を元へと戻す、近くに有名な寺院があるので観光客が町に入ってくることもありそうだが、町の人にはそれも何気ない日常の何気ない光景にしか映らないのだろう。
さて、百済寺へと着きました、ここはもう何度もお伝えしている所、最近では万葉歌碑巡り、都巡り関連でやって来ました。案内板には舒明天皇の頃にこの地に都を置いた趣旨のことが書かれている、ただ百済宮に関してはその所在地がはっきりしていない、火災により宮をいくつか代えてきた天皇が亡くなったのは百済宮だが、それまで岡本宮、田中宮、厩坂宮と近鉄橿原神宮前駅東側の半径1キロあるかないかの場所に宮を置いてきたのが、いきなりそこから結構離れている広陵町まで宮を移すのは不自然な気もするからだとか。とは言えもうひとつ百済宮の所在地とされたのが桜井市と言うことで、これも結構離れている、謎が残るところです。そんなわけで百済界隈の巡りもここまで、先へと進んで行くことにしよう、そう言えばこの前橿原に映画を見に行った時にこの辺りで雨に降られて、写真下2枚目にある軒下で雨宿りしたんだった、トタンのひさしが所々穴が空いていてしずくが落ちてきて仕方なかったが・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・まちみち