よろしくお願いします。
センバツが始まりました、まあ感染症禍がまだ収まったわけではないので通常の形で大会を行うのはまだまだ難しいところですが、昨年は春も夏もなかったのだから開催できるだけでも良かったでしょう・・・と言いたいところなのですが、やっぱり開会式は物足りなかったなあ。甲子園で入場行進できたのは1日目に登場するたった6校だけ、あとは地元でリモートでの行進と言うことでした↓↓↓
簡素な開会式と言うことだから仕方ないか。外野スタンドにお客さんが入っていたのは良かったですね、昨年の夏は学校関係者だけでほとんど無観客でしたからね。今はまだ上限があるとのことで満員のスタンドは望めないが、少しずつあの頃の賑わいを取り戻そうとしているところ、一歩ずつその時を待つこととしましょう。応援に関してはスタンドでの演奏は無理とのことで、これもいわばリモートブラバン演奏、甲子園のアルプスで演奏したかった子もいると思うのでちょっと気の毒な感じもしますが、演奏の応援があるのは選手にも力となるでしょう、物足りなさはあっても今は我慢です。まあ今回は夏には本来の形で行われるための足掛かりと言ったところでしょうか、当たり前のようにあったものが昨年は突然なくなってしまい、それが戻りつつあるわけですからね、今はあれやこれやは言わないで今大会を楽しみに見ることとしましょう。今日(20日)は天理も勝ちましたからね、奈良県勢は久しぶりの甲子園での勝利、智辯学園も続いてほしいところですが相手が大阪桐蔭だからなあ、2校合わせて7勝とか目論んでいたんだけど、現実はさて、どうなることやら・・・。
毎回自分(一人称)の自己満足に過ぎない駄文長文のつたないブログをご覧いただきまして、本当にありがとうございます。この間は久しぶりにコメントをいただきました、『No.361 国鉄奈良駅の時代』の項だったのですが、2016年の1月に更新した記事がいまだによく読まれている上位に挙がっています。今回コメントくださった方、どうもありがとうございます、以前にコメントくださった方にもお礼申し上げます、返信のコメントができなかったので、ここで1枠設けてお礼させてください。
またとんでもなく古い写真ですが、上の写真が初代の奈良駅舎、下の写真はもうご存知の寺院風の駅舎です。『No.361』でも触れていますが、奈良駅の西側には転車台があり、往時は蒸気機関車がここを回っていたのですが、自分(一人称)はその風景を見たことはありませんでした↓↓↓
前にも書いてましたが残していればなあ~、記念館とか博物館とか、もしかしたら文化財になってたかも知れない。現在はスッキリとした何の面白味もない高架駅となった奈良駅、東西にロータリーやホテルができてスペースがギュッと狭められてしまった感じだが、上の写真にある構内図にあるように、昔はとても広い駅でした。う~ん、駅でしたと言うには自分(一人称)はもうその時代のことはほとんど知らなさすぎですね、子供の頃の記憶はもうすっかり消えてしまっているし、検索してどこかから探してきた写真でその記憶を思い浮かべるばかりです。国鉄だった頃、自分(一人称)が乗っていた桜井線は切り欠きホームの1番線、その向こう側は貨物線ホームで貨物の取り扱いが行われていた。向かいは2番線ホーム、跨線橋を渡って3、4番線ホーム、主に大阪方面の電車が発車していたホームです、赤い帯の大阪行快速電車に乗る時はもう旅行気分でしたね、まあ後に通勤で利用するようになってそんなノスタルジーも全く感じないようになってしまいましたが。跨線橋はその先で3段ほど高くなって、そこを渡って5、6番ホーム、京都、亀山方面のディーゼルカーが停まっている光景はかろうじて覚えています。
その頃は京都に行く時は近鉄ばかりだし、亀山方面となると大人になるまで行ったことがないくらいでしたからね、もうそのホームは自分(一人称)にとっては別世界と言った感じでした。転車台があったのはその5、6番線ホームの更に向こう側、その風景は1番線からはほとんど見えなかった、でも子供の頃はそんな場所も奈良駅に普通にある場所と言う感じだったので、結局思いを馳せるのはなくなってしまってからなんですね。国鉄がJRとなったのが1987年、2年後には昭和から平成に変わり軽薄短小の時代へ、広かった奈良駅だんだん狭くなっていき転車台と機関区は整備されてしまう。2000年に西口がオープン、あれだけ線路が広く張り巡らされていた敷地にはロータリができ、道路ができマンションや会館が建ち風景は徐々に変わってしまう。
10年後には高架化されて今の奈良駅の姿となった、そこには上に貼った写真の風景はもう微塵も感じることはできない、かろうじて生き残った寺院風の駅舎が往時を思い浮かばせてくれるくらいでしょうか。この駅舎を入って切符を買って、2番線にある改札口を抜けると真っ直ぐ進んで1番線、その途中には駅弁を売っている売店があって、跨線橋の会談前にはパタパタの行先を示す表示板・・・、写真にあるような赤い帯の快速も国鉄型の重厚さを感じるディーゼルカーももう見られません。時代は軽薄短小、さらにリモートの時代、次に迎える流れはリニア新幹線、果たして奈良を通ってくれる時代が来るのでしょうか、その光景を自分(一人称)は生きている間に見ることができるのでしょうか・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
センバツが始まりました、まあ感染症禍がまだ収まったわけではないので通常の形で大会を行うのはまだまだ難しいところですが、昨年は春も夏もなかったのだから開催できるだけでも良かったでしょう・・・と言いたいところなのですが、やっぱり開会式は物足りなかったなあ。甲子園で入場行進できたのは1日目に登場するたった6校だけ、あとは地元でリモートでの行進と言うことでした↓↓↓
簡素な開会式と言うことだから仕方ないか。外野スタンドにお客さんが入っていたのは良かったですね、昨年の夏は学校関係者だけでほとんど無観客でしたからね。今はまだ上限があるとのことで満員のスタンドは望めないが、少しずつあの頃の賑わいを取り戻そうとしているところ、一歩ずつその時を待つこととしましょう。応援に関してはスタンドでの演奏は無理とのことで、これもいわばリモートブラバン演奏、甲子園のアルプスで演奏したかった子もいると思うのでちょっと気の毒な感じもしますが、演奏の応援があるのは選手にも力となるでしょう、物足りなさはあっても今は我慢です。まあ今回は夏には本来の形で行われるための足掛かりと言ったところでしょうか、当たり前のようにあったものが昨年は突然なくなってしまい、それが戻りつつあるわけですからね、今はあれやこれやは言わないで今大会を楽しみに見ることとしましょう。今日(20日)は天理も勝ちましたからね、奈良県勢は久しぶりの甲子園での勝利、智辯学園も続いてほしいところですが相手が大阪桐蔭だからなあ、2校合わせて7勝とか目論んでいたんだけど、現実はさて、どうなることやら・・・。
毎回自分(一人称)の自己満足に過ぎない駄文長文のつたないブログをご覧いただきまして、本当にありがとうございます。この間は久しぶりにコメントをいただきました、『No.361 国鉄奈良駅の時代』の項だったのですが、2016年の1月に更新した記事がいまだによく読まれている上位に挙がっています。今回コメントくださった方、どうもありがとうございます、以前にコメントくださった方にもお礼申し上げます、返信のコメントができなかったので、ここで1枠設けてお礼させてください。
またとんでもなく古い写真ですが、上の写真が初代の奈良駅舎、下の写真はもうご存知の寺院風の駅舎です。『No.361』でも触れていますが、奈良駅の西側には転車台があり、往時は蒸気機関車がここを回っていたのですが、自分(一人称)はその風景を見たことはありませんでした↓↓↓
前にも書いてましたが残していればなあ~、記念館とか博物館とか、もしかしたら文化財になってたかも知れない。現在はスッキリとした何の面白味もない高架駅となった奈良駅、東西にロータリーやホテルができてスペースがギュッと狭められてしまった感じだが、上の写真にある構内図にあるように、昔はとても広い駅でした。う~ん、駅でしたと言うには自分(一人称)はもうその時代のことはほとんど知らなさすぎですね、子供の頃の記憶はもうすっかり消えてしまっているし、検索してどこかから探してきた写真でその記憶を思い浮かべるばかりです。国鉄だった頃、自分(一人称)が乗っていた桜井線は切り欠きホームの1番線、その向こう側は貨物線ホームで貨物の取り扱いが行われていた。向かいは2番線ホーム、跨線橋を渡って3、4番線ホーム、主に大阪方面の電車が発車していたホームです、赤い帯の大阪行快速電車に乗る時はもう旅行気分でしたね、まあ後に通勤で利用するようになってそんなノスタルジーも全く感じないようになってしまいましたが。跨線橋はその先で3段ほど高くなって、そこを渡って5、6番ホーム、京都、亀山方面のディーゼルカーが停まっている光景はかろうじて覚えています。
その頃は京都に行く時は近鉄ばかりだし、亀山方面となると大人になるまで行ったことがないくらいでしたからね、もうそのホームは自分(一人称)にとっては別世界と言った感じでした。転車台があったのはその5、6番線ホームの更に向こう側、その風景は1番線からはほとんど見えなかった、でも子供の頃はそんな場所も奈良駅に普通にある場所と言う感じだったので、結局思いを馳せるのはなくなってしまってからなんですね。国鉄がJRとなったのが1987年、2年後には昭和から平成に変わり軽薄短小の時代へ、広かった奈良駅だんだん狭くなっていき転車台と機関区は整備されてしまう。2000年に西口がオープン、あれだけ線路が広く張り巡らされていた敷地にはロータリができ、道路ができマンションや会館が建ち風景は徐々に変わってしまう。
10年後には高架化されて今の奈良駅の姿となった、そこには上に貼った写真の風景はもう微塵も感じることはできない、かろうじて生き残った寺院風の駅舎が往時を思い浮かばせてくれるくらいでしょうか。この駅舎を入って切符を買って、2番線にある改札口を抜けると真っ直ぐ進んで1番線、その途中には駅弁を売っている売店があって、跨線橋の会談前にはパタパタの行先を示す表示板・・・、写真にあるような赤い帯の快速も国鉄型の重厚さを感じるディーゼルカーももう見られません。時代は軽薄短小、さらにリモートの時代、次に迎える流れはリニア新幹線、果たして奈良を通ってくれる時代が来るのでしょうか、その光景を自分(一人称)は生きている間に見ることができるのでしょうか・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち