よろしくお願いします。
2021年の走り始めは例年の如く2日から、今年も昨年と同じく京都へと走って来ました、もちろん2日なので箱根駅伝とのお付き合いです。その箱根駅伝のスタート直前番組が7時に始まってすぐに家を出る、うっ、寒い・・・、この年末年始の寒さときたら、ホント中途半端なものじゃなかった、3日前に香川県を走った時はひどい目に合わされたもんな~。京都への定番コースとなる木津川自転車道から京田辺で府道22号線へ、途中で松井山手の方へと折れて枚方市へと入る。長尾の古い町並を抜けて家具団地へ、国道1号線へと入って大阪と京都の府の境界線となる長尾峠へとたどり着く。洞ヶ峠と呼ばれるこの場所は明智光秀にも因縁がある場所、「洞ヶ峠を決め込む」の言葉の主役は筒井順慶、ここでの決断が歴史の大きな転換を迎えるきっかけとなりました。峠と言っても長尾から緩やかな上り坂をのらりくらりと上ってきたのでほとんど苦にもならない、ここで再び京都府へと入って八幡市、坂を下りた所にある八幡一ノ坪交差点を左に曲がって八幡市の中心部へと向かう。
八幡ももう毎回走りの中継点と言った感じでお馴染みなところ、自転車道コースとなる御幸橋へと入り嵐山自転車道へ、そこから京滋バイパスの歩道部分へと入って桂川を渡る。この橋ができるまでは枚方市にある枚方大橋から淀にある宮前橋までずっと対岸への行き来ができなかった、と言っても今でも20キロ近くは行き来はできないんですけどね、何かの嫌がらせみたいやな。そう言えば神戸の住宅の橋封鎖問題、住民の気持ちもわかるが橋の所有者の言うことももっともだと思う、当事者に丸投げして何もしない行政が一番の問題じゃないかな~。ここも途中に橋を架けてあげたらもっと便利になると思うんだけど、行政も住民も必要ないと考えているんかな~、それともあきらめてるとか・・・。まあそんなわけで自分(一人称)はこの橋をありがたい気持ちで渡らせてもらって大山崎町へと入りました。橋を下りるとすぐに国道171号線、車がたくさん通る道の向こうへは自転車も走ることができる歩道橋を利用することに、その歩道橋の真横には新幹線が通っていて、いきなり高速の列車がすぐ隣をビュンとあっという間に通り過ぎて行った。ここはなかなかいい撮影ポイントじゃないですか~、と言うことでしばらくここで立ち止まって新幹線を撮ることに、でも新幹線って踏切がないから、やって来たらあっという間に走り去ってしまう、自分(一人称)の腕では写真も上にあるのが精一杯なところです。
国道171号線を向こう側へと渡って、その後は受託外の中を進んで西国街道へと入る。今回の走りの目的の一つが明智光秀所縁の地を巡ると言うことで大山崎へとやって来たわけだが、大河『麒麟がくる』ももう大詰め、ここで討たれてしまった明智光秀はどんな最期を迎えるのだろう・・・と思ってたら、そこはほとんど語られることもなく終わってしまいました。それでもこの地が歴史の転換期となる大きな戦が行われた所には変わりない、町もここぞとばかりに宣伝しただろうに肩透かしを喰らわされた気分じゃなかっただろうか。まあそんな結末になると言うこともまだ分からない頃、走りの方は西国街道を西へと進んでJR山崎駅へ、この駅を西へ少し行った所が京都と大阪の府の境界線、この走りで3度目の境界線越えとなってまた大阪府へと入りました。まあもともとプランもない気ままな走りです、この後はどこへ行くことになるのかはまた次回へ続く、と言うことで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち
2021年の走り始めは例年の如く2日から、今年も昨年と同じく京都へと走って来ました、もちろん2日なので箱根駅伝とのお付き合いです。その箱根駅伝のスタート直前番組が7時に始まってすぐに家を出る、うっ、寒い・・・、この年末年始の寒さときたら、ホント中途半端なものじゃなかった、3日前に香川県を走った時はひどい目に合わされたもんな~。京都への定番コースとなる木津川自転車道から京田辺で府道22号線へ、途中で松井山手の方へと折れて枚方市へと入る。長尾の古い町並を抜けて家具団地へ、国道1号線へと入って大阪と京都の府の境界線となる長尾峠へとたどり着く。洞ヶ峠と呼ばれるこの場所は明智光秀にも因縁がある場所、「洞ヶ峠を決め込む」の言葉の主役は筒井順慶、ここでの決断が歴史の大きな転換を迎えるきっかけとなりました。峠と言っても長尾から緩やかな上り坂をのらりくらりと上ってきたのでほとんど苦にもならない、ここで再び京都府へと入って八幡市、坂を下りた所にある八幡一ノ坪交差点を左に曲がって八幡市の中心部へと向かう。
八幡ももう毎回走りの中継点と言った感じでお馴染みなところ、自転車道コースとなる御幸橋へと入り嵐山自転車道へ、そこから京滋バイパスの歩道部分へと入って桂川を渡る。この橋ができるまでは枚方市にある枚方大橋から淀にある宮前橋までずっと対岸への行き来ができなかった、と言っても今でも20キロ近くは行き来はできないんですけどね、何かの嫌がらせみたいやな。そう言えば神戸の住宅の橋封鎖問題、住民の気持ちもわかるが橋の所有者の言うことももっともだと思う、当事者に丸投げして何もしない行政が一番の問題じゃないかな~。ここも途中に橋を架けてあげたらもっと便利になると思うんだけど、行政も住民も必要ないと考えているんかな~、それともあきらめてるとか・・・。まあそんなわけで自分(一人称)はこの橋をありがたい気持ちで渡らせてもらって大山崎町へと入りました。橋を下りるとすぐに国道171号線、車がたくさん通る道の向こうへは自転車も走ることができる歩道橋を利用することに、その歩道橋の真横には新幹線が通っていて、いきなり高速の列車がすぐ隣をビュンとあっという間に通り過ぎて行った。ここはなかなかいい撮影ポイントじゃないですか~、と言うことでしばらくここで立ち止まって新幹線を撮ることに、でも新幹線って踏切がないから、やって来たらあっという間に走り去ってしまう、自分(一人称)の腕では写真も上にあるのが精一杯なところです。
国道171号線を向こう側へと渡って、その後は受託外の中を進んで西国街道へと入る。今回の走りの目的の一つが明智光秀所縁の地を巡ると言うことで大山崎へとやって来たわけだが、大河『麒麟がくる』ももう大詰め、ここで討たれてしまった明智光秀はどんな最期を迎えるのだろう・・・と思ってたら、そこはほとんど語られることもなく終わってしまいました。それでもこの地が歴史の転換期となる大きな戦が行われた所には変わりない、町もここぞとばかりに宣伝しただろうに肩透かしを喰らわされた気分じゃなかっただろうか。まあそんな結末になると言うこともまだ分からない頃、走りの方は西国街道を西へと進んでJR山崎駅へ、この駅を西へ少し行った所が京都と大阪の府の境界線、この走りで3度目の境界線越えとなってまた大阪府へと入りました。まあもともとプランもない気ままな走りです、この後はどこへ行くことになるのかはまた次回へ続く、と言うことで今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。 まちみち