和歌山の地で生まれた私
育ったのは大阪府内の小さな町。
あの辺は岸和田のだんじりが有名だけど
育った町は
岸和田のように城下町でもなかったし
ちっぽけな何もない町だった。
再び、中学2年の年に
生まれ故郷の和歌山に帰ることになる。
それは、病気の兄のためでもあった。
その兄が亡くなり
そのまま、私は社会人となり
縁があって結婚した人の転勤で
結婚一年目で関東の外れに移住。
当時は
転勤についていくのが当たり前。
この人ならばと何の躊躇もなく
和歌山を離れたものだ。
しばらくたってから
大切な思いを置いてきてしまったことに
気づくことになる。
大切なもの‥
友人達の思い、私の友への思い。
両親への思い。
それは、新しい地で生活するのには
一番欲しいものだったせいなのか、
時折、激しく押し寄せてくる寂しさ。
しかし、生活は悲しみや寂しさだけで
足踏みや地団駄を踏んでるわけにはいかない。
夕暮れになると
西の空を見上げながら
決して口には出すまいと
自分の置いてきたものを
今の生活には必要だった事と思いながら
よく涙を流したものだ。
そして、何度か親のために
和歌山に帰省したが、
とうとう、その親も自分が引き取ることになり
とんと和歌山には、友達と大好きな仲人さんご夫婦とは、会う機会もないまま、
随分と長く月日はながれてしまっていた。
ちょうど今から5年前の秋
旅行クーポン券を頂いたので
さて、どこに旅行行こうかと思案する間もなく、和歌山へと即決した。
私は観光よりも
人に会いたかったんだ。
折しも
大好きな仲人さんの『和歌山のお父さん』と言うべき人が亡くなって2年。
私が、キューピッド役となった、私の友達と、私のかつての同僚の男子が結婚し
のち、残念にも、私の友達を置いて
天国に召されてしまったこともある。
もう、ほかの場所に行くことは
考えもしなかった。
会いたかった。
お世話になった人達に会いたかった。
友達に会いたかった。
会える時に会っておかなければ
この先、いつ会えるというのだろう。
そんな思いに強くかられたものだから。
ほかのお世話になった方々から
観光地に行けば良いものを
人に会いに行くことを選択したのは
不思議な感覚だねと言われたが
私にとってはすごく当たり前の選択だった。
友達、知人、恩人。
手を合わせ、涙を流し
今まで、自分がこうしてこれたのは
全て、巡り合わせがあったから。
愛おしくて
嬉しくて
悲しくて
悔しくて
和歌山を離れた時に
置き去りにしていったものを
拾いにきたような旅になった。
ただ、私のわがままで
和歌山の外れ、すぐ隣にあるポルトヨーロッパ内のロイヤルパインズホテルにだけは
泊まりたかった。
かつて、コブクロが東堺市で路上を始め
そこ、ポルトヨーロッパに縁があり
数々の路上ライブを積み重ねた聖地
黒潮市場前の広場
初めて作った歌『桜』のインディーズ時代に作った(今では、幻のもの)ミュージック・ビデオの場所
ロイヤルパインズホテル内で
行われたという、ファンミーティング
思いを馳せながら、
泊まらせてもらいました。
ホテルのオーシャンビューから見えるのは
幼い頃、母のいなくなった日々に
父がよく連れて行ってくれたホットドッグ屋さんがある岬が向かい側の半島にちょうど、遠くに見える場所なのだ。
ここのホテルは
私の生きてきた半生の半分ぐらいを
眺めているように立っていた。
祖父母のお墓参りもかねた、この旅。
ちょうど5年前の事となる。
あー、またいきたいなぁ。
元気でさえいれば
また、きっと会える、行ける!
信じてる。
育ったのは大阪府内の小さな町。
あの辺は岸和田のだんじりが有名だけど
育った町は
岸和田のように城下町でもなかったし
ちっぽけな何もない町だった。
再び、中学2年の年に
生まれ故郷の和歌山に帰ることになる。
それは、病気の兄のためでもあった。
その兄が亡くなり
そのまま、私は社会人となり
縁があって結婚した人の転勤で
結婚一年目で関東の外れに移住。
当時は
転勤についていくのが当たり前。
この人ならばと何の躊躇もなく
和歌山を離れたものだ。
しばらくたってから
大切な思いを置いてきてしまったことに
気づくことになる。
大切なもの‥
友人達の思い、私の友への思い。
両親への思い。
それは、新しい地で生活するのには
一番欲しいものだったせいなのか、
時折、激しく押し寄せてくる寂しさ。
しかし、生活は悲しみや寂しさだけで
足踏みや地団駄を踏んでるわけにはいかない。
夕暮れになると
西の空を見上げながら
決して口には出すまいと
自分の置いてきたものを
今の生活には必要だった事と思いながら
よく涙を流したものだ。
そして、何度か親のために
和歌山に帰省したが、
とうとう、その親も自分が引き取ることになり
とんと和歌山には、友達と大好きな仲人さんご夫婦とは、会う機会もないまま、
随分と長く月日はながれてしまっていた。
ちょうど今から5年前の秋
旅行クーポン券を頂いたので
さて、どこに旅行行こうかと思案する間もなく、和歌山へと即決した。
私は観光よりも
人に会いたかったんだ。
折しも
大好きな仲人さんの『和歌山のお父さん』と言うべき人が亡くなって2年。
私が、キューピッド役となった、私の友達と、私のかつての同僚の男子が結婚し
のち、残念にも、私の友達を置いて
天国に召されてしまったこともある。
もう、ほかの場所に行くことは
考えもしなかった。
会いたかった。
お世話になった人達に会いたかった。
友達に会いたかった。
会える時に会っておかなければ
この先、いつ会えるというのだろう。
そんな思いに強くかられたものだから。
ほかのお世話になった方々から
観光地に行けば良いものを
人に会いに行くことを選択したのは
不思議な感覚だねと言われたが
私にとってはすごく当たり前の選択だった。
友達、知人、恩人。
手を合わせ、涙を流し
今まで、自分がこうしてこれたのは
全て、巡り合わせがあったから。
愛おしくて
嬉しくて
悲しくて
悔しくて
和歌山を離れた時に
置き去りにしていったものを
拾いにきたような旅になった。
ただ、私のわがままで
和歌山の外れ、すぐ隣にあるポルトヨーロッパ内のロイヤルパインズホテルにだけは
泊まりたかった。
かつて、コブクロが東堺市で路上を始め
そこ、ポルトヨーロッパに縁があり
数々の路上ライブを積み重ねた聖地
黒潮市場前の広場
初めて作った歌『桜』のインディーズ時代に作った(今では、幻のもの)ミュージック・ビデオの場所
ロイヤルパインズホテル内で
行われたという、ファンミーティング
思いを馳せながら、
泊まらせてもらいました。
ホテルのオーシャンビューから見えるのは
幼い頃、母のいなくなった日々に
父がよく連れて行ってくれたホットドッグ屋さんがある岬が向かい側の半島にちょうど、遠くに見える場所なのだ。
ここのホテルは
私の生きてきた半生の半分ぐらいを
眺めているように立っていた。
祖父母のお墓参りもかねた、この旅。
ちょうど5年前の事となる。
あー、またいきたいなぁ。
元気でさえいれば
また、きっと会える、行ける!
信じてる。