父の自殺は、工場の経営不振から来る借金を、生命保険で清算するための計画的なものでした。
父が死んでしばらくした頃から母は、
「近所の奴らが悪口を言ってる」
とか、
「借金取りが押し掛けてくる」
とか言い始めました。
借金に関しては、医者の叔父が間に立って債権者たちと話をつけてくれたはずでした。
ただ、ちゃんとしたところから借りた借金ばかりではなかったはずで、
あとから言いがかりをつけられたとしてもおかしくはありません。
しばらく留守がちだった父親が自殺したのですから、
近所のうわさ話の種くらいになってもおかしくはありませんでした。
妙につじつまの合った妄想だったので、
私たち姉妹はそれが妄想ではないかなどとわざわざ疑ってもみませんでした。
そのうち今度は家に昼間一人でいる間中、テレビを大音量で点けているようになったようでした。
「ようでした」というのは、私は大学に入ってからあまり家に寄りつかないようになっていたし、
姉は東京で就職して祖母の家で暮らしていたからです。
たまたま昼間に家に帰ったりすると、我が家のある路地の角を曲がった瞬間から、
テレビの音が風に乗って聞こえてきます。
10メートル、5メートル、近づいていくにつれてその音は大きくなっていき、私の家の前で最高潮に達します。
「ちょっと、テレビ小さくしてよ。近所迷惑じゃない」
玄関を開けながら私が怒鳴ると、母は少しボリュームは下げるものの、テレビを消そうとはしません。
こずるそうな奇妙な微笑を浮かべ、
「だって、近所の奴らが悪口言ってて、うるさいんだもん」
と言います。
この奇妙な微笑が統合失調症の特徴の一つだということも、当時の私はもちろん知りませんでした。
てっきり、一種の幼稚なデモンストレーションなのだと思っていました。
「私はここで、一人で、気が狂いそうなつらい時間を過ごしているの。
さあ、私を見て。私の不幸に気付いて。そして私を助けて」
と……。
依存心の強い母なら、いかにもやりそうなことに思えました。
そのテレビは私が高校生の時に壊れてしまい、音しか出なくなっていた代物でした。
テレビを修理したり買い替えたりする気力も、すでに母にはなかったのでしょう。
お金がなかった、というのもありますが。
私たちの学費も生活費も、当時はすべて祖母が出していました。
父が死んでしばらくした頃から母は、
「近所の奴らが悪口を言ってる」
とか、
「借金取りが押し掛けてくる」
とか言い始めました。
借金に関しては、医者の叔父が間に立って債権者たちと話をつけてくれたはずでした。
ただ、ちゃんとしたところから借りた借金ばかりではなかったはずで、
あとから言いがかりをつけられたとしてもおかしくはありません。
しばらく留守がちだった父親が自殺したのですから、
近所のうわさ話の種くらいになってもおかしくはありませんでした。
妙につじつまの合った妄想だったので、
私たち姉妹はそれが妄想ではないかなどとわざわざ疑ってもみませんでした。
そのうち今度は家に昼間一人でいる間中、テレビを大音量で点けているようになったようでした。
「ようでした」というのは、私は大学に入ってからあまり家に寄りつかないようになっていたし、
姉は東京で就職して祖母の家で暮らしていたからです。
たまたま昼間に家に帰ったりすると、我が家のある路地の角を曲がった瞬間から、
テレビの音が風に乗って聞こえてきます。
10メートル、5メートル、近づいていくにつれてその音は大きくなっていき、私の家の前で最高潮に達します。
「ちょっと、テレビ小さくしてよ。近所迷惑じゃない」
玄関を開けながら私が怒鳴ると、母は少しボリュームは下げるものの、テレビを消そうとはしません。
こずるそうな奇妙な微笑を浮かべ、
「だって、近所の奴らが悪口言ってて、うるさいんだもん」
と言います。
この奇妙な微笑が統合失調症の特徴の一つだということも、当時の私はもちろん知りませんでした。
てっきり、一種の幼稚なデモンストレーションなのだと思っていました。
「私はここで、一人で、気が狂いそうなつらい時間を過ごしているの。
さあ、私を見て。私の不幸に気付いて。そして私を助けて」
と……。
依存心の強い母なら、いかにもやりそうなことに思えました。
そのテレビは私が高校生の時に壊れてしまい、音しか出なくなっていた代物でした。
テレビを修理したり買い替えたりする気力も、すでに母にはなかったのでしょう。
お金がなかった、というのもありますが。
私たちの学費も生活費も、当時はすべて祖母が出していました。
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