不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

それでは私はいい母親だったのか

2018-06-20 10:21:23 | 日記
夫や先生の悪口ばかり書いてきましたが、それでは私はどんな母親だったでしょうか。

息子以前に、そもそも私がコミュ障でヒキコモリです。小さい頃から学校嫌いでした。

「じゃ、お前に問題があるんじゃん!」
とツッコみたくなる気持ちはわかりますが、ちょっと考えてみてください。

私みたいな人が子供を持っちゃダメだとしたら、一体どんな人が子供を産むのでしょう。

既婚女性がヒキコモリでも支援を要さないのは最近まで当然のことでした。
外に出て働かなくても、家事と育児だけで1人の人間がこなせる手一杯の仕事だったからです。

ほとんどの時間を家の中で家族だけを相手にしていても、誰も困っていなければそれでいいのです。

家事が大幅に省力化されたため、子供を持つ母親も働くのが当然という風潮になっていますが、
実はほとんどの母親が今でもいっぱいいっぱいなのではないでしょうか。

技術の発達で、ある種の労働が楽になっても、育児は省力化できないからです。

社会に全体として余裕がなくなっているため、母親は誰にも頼れなくなっています。
これでみんなに「子供を産め。できれば3人以上産め」などと言うのは無理です。
目端の利く人は子供なんか産まずに共働きで余裕のある暮らしを、場合によってはシングルライフを楽しんでいます。

一人の人間としてではなく、「母親」に求められるハードルというのは著しく高くなっています。
分業化が進み、様々な職業を選べる時代になっても、母親は万能でなければなりません。
常識とモラルを備え、コミュニケーション能力があり、家事全般がこなせて、
膨れ上がっていく教育費も稼がなければならない。

「将来は他人様が苦労して育てた子供たちの納める税金で暮らしたい……」
と、腹いせにボソッと呟いてみるのは私だけではないでしょう。

ただ、
「じゃあ、誰が母親たちを外で働かなければならなくしたか」
というと、それは母親たち自身でもあると思います。

周囲に働いている母親がいて、
「カッコいい!お金に余裕があって羨ましい、私もあんなふうになりたい!」
という気持ちを持つのは当然です。

かく言う私も働いています。ヒキコモリなので家の中でできる仕事ですが、
仕事を優先して子供の世話がおろそかになったことも少なからずあります。

では仕事をしなければいい母親になれたか、と聞かれると、それも違うような気がするのです。

「私って仕事もできてカッコいい!」
という充実感が心の張りになって、家事や育児にも身が入るからです。

だから、つまり何だと。

自分のことについて書くと、まとまらない文章が余計にまとまらなくなりますね。
ガンガン攻撃するわけにもいかないので……。

ただ、トラウマのスーパーマーケットみたいな私がここまで来られたのは、
子供たちがいたからだと言っても過言ではありません。

子供たちが私に愛をくれ、自尊心を植え付け、責任感を身に着けさせてくれたのです。
子供を産まなければ今の私はなかったし、子供を持ったために失ったものを数え上げても仕方ありません。

社会のために産んだわけではなく、母親たる資格が十分だから産んだわけでもなく、
やっぱり、子供は産んでよかった。
たとえうちの不登校の息子みたいな、アレな子でも……。




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