不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

不登校の息子と友達とのトラブル(2)

2018-01-10 07:59:45 | 日記
11月半ばから冬休みが明けるまで、ユウト君は文字通り毎日のように来てくれました。

冬休み中は、朝早くから我が家に入りびたり。
大晦日は他の友達2人と、近くの山にご来光を拝むと言って出かけました。

しばらくぶりに遊びに来てくれた彼を見た時は拝みたいほどありがたかったのですが、
あまりに来るので負担でもあり、心配にもなってきました。

「部活休んで来たんじゃない?Bは勝手に休んでるんだから、あなたは自分の生活を大事にして」
と言っても毎日来ます。
大好きな友達と毎日会えて、息子もとても元気になりました。

当時読みあさっていた本の中には、「いいタイミングで背中を押してやることも大事」とよく書かれていました。
今がその時かもしれない。3学期が始まる前日、私は思い切って息子に言いました。

「明日から学校に行けば?これ以上休むと勉強も分からなくなるし、よけいに行きづらくなるんじゃない?」

けれど結局3学期にも息子は学校へ行かず、ユウト君もぱったり来なくなってしまいました。
これだけ励ましてもダメなら、もう学校に誘っても無駄だと思ったのでしょうか。

ユウト君が来なくなって数日たった晩、私は家の前に止めてある車の中で一人で泣きました。
泣いている姿を子供たちに見られたくなかったのです。

友達にも見捨てられたと思ったら、もう息子は学校へ行けないと思いました。
あんなに毎日来ていなければ、少しくらい来なくても見捨てられたと思わずに済んだのにと、
ユウト君を逆恨みもしました。

ユウト君は、息子が学校に行かないので、面目がつぶれたのかもしれない。
ちょっと調子のいい子だから、もしかしたら担任に、
「僕が学校に来させてみせますよ」ぐらいの大風呂敷は広げたのかもしれません。

夜遅く帰ってきた夫が車の中にいる私に気づいて、ドライブに連れ出してくれました。
あてどなく一時間も走ったでしょうか。私の涙はなかなか止まりませんでした。

見捨てられたと感じたのは私でした。ほんの少し息子が傷つくことも、その時の私には恐怖だったのです。
少しでも傷つけたら、また学校への復帰が遅れると、気ばかり焦っていました。

実のところ息子は少しがっかりしたようではありましたが、ユウト君が来ないからと言って、
私のようにわあわあ泣いたりはしませんでした。


コメントを投稿