不登校の息子とビョーキの母

不登校の息子との現在、統合失調症の母との過去

父の自殺

2019-02-05 09:25:29 | 日記
父が自殺したのは私が大学1年生の夏でした。
当時私は反抗期とでもいうのか、父とはなんとなくぎくしゃくしていました。
突然の死で、死に顔も見なかったためか、あまり悲しんだ記憶がありません。

当時姉は東京の祖母の家に下宿しながら働いており、私と両親の3人暮らしでした。
もっとも父は工場の経営が思わしくなく、ほとんど家には帰ってこない状態でした。

ある日私が友達と長電話していると、母がしきりに背後から
「早く切りなさい」
とせかしてきました。

母が私の長電話を嫌がるのはいつものことでしたが、その時は誰かの電話を待っているみたいでした。
人付き合いを全くと言っていいほどしない母のところに、前の日から珍しく何度も電話がかかってきていました。

やがて何度目かの電話を受けた母は、慌てたように身支度を整えると、
「ちょっと行ってくるね」
と言って出かけてしまいました。

「どこ行くの?」
と聞いたら、少し顔をしかめて、笑うような表情をしました。母の表情はいつも分かりにくいのです。
「いいの、あんたは、何も分かんないんだから」
というのが口癖で、私たち姉妹に何か相談するということのない母でした。

釈然としない思いで家で待っていると、黒い服を着た父方の親戚の伯母が2人連れ立って来ました。

面食らった私は、伯母たちを家に待たせて近所の和菓子屋にお茶うけを買いに行きました。
店まで歩く道々、淡々とした気持で
(お父さん、死んだのかな?)
などと考えながら……。
何も事情が分からなかったので、伯母たちにあれこれ聞かれるのが嫌だったのかもしれません。

「人間、いつかは死んじゃうんだから、やりたいことをやって生きるのがいいんだ」
と、口癖のように言っていた父でした。
(そういうことを口にする奴ほど死なないものだ)
と、私は内心バカにしていたものでした。

「父は死んだんですか」
と伯母たちに聞くのもマヌケな気がして、お茶を出したきり黙っていたら、
伯母たちも顔を見合わせながらやがて帰っていきました。

母が白い箱を抱いて帰ってきたのは翌日のことでした。

「お父さん?」
と聞くと、母は、お骨を見やってうっすら苦笑しました。
(そうなのよ。こんなになっちゃって、しょうがないわね……)
とでも言うように。


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