今まで自分はずーっと不幸だと思い込んでいた!
60年の人生を不幸だと思い込んでいた!
そもそも不幸は子供の頃から始まった。
本当の友達のいない人生を送ってきた。
私は子供の頃からいじめの対象だった。
幼稚園や保育園に入れずに今で言う待機児童となり、小学校に入るも友達の作り方も分からずいじめの対象になった。
中学校も高校もいじめの対象だった。
社会人になったらなったでいじめの対象だった。
32歳で結婚した時に、旦那には友達がいなかった。
旦那も同じ道を歩いてきたのだ。
働いた職場でパワハラにもあっていた。
時折腕につねられた跡が!
働いても働いてもサービス残業だった。
帰って来て主人の腕に付けられたアザを見て泣いた。
私も主人もひとりぼっちだったのだ。
私は一生懸命友達を作ろうとした。
回覧板で配られる市の広報見て、いくつもの公民館の講座に申し込み友達を作りたいと!
しかし、思うように友達は出来なかった。
それでも数人に友達は出来た。
私は子供の頃から寂しい心を埋めるようにテレビで見た芸能人に憧れを抱き、ファンになった。
家庭では母の管理下のもと生活を強いられた。
すべては母の管理下なのだ。
それは結婚するまで続いた。
自由にならない自分を嘆いた。
思い通りにならない自分を嘆いた。
高校を卒業するときに和裁の学校に行きたかった夢も反対され、仕方なく就職の道を選んだ。
その後もすべて反対にあった。
作詞家になりたかった夢も反対にあい、自宅のアパートの裏に星野哲郎さんがすんでいるのに、その門を叩くことさえ許されなかったのだ。
密かに購読していた演歌の月刊誌に作詞を投稿するだけが生き甲斐だった。
カルチャースクールがあっちこっちにできはじめ、習い事をしたかったが、それすらも反対にあった。
行きたくもない近所の自動車学校に仕方なく行くもさっさとやめてしまった。
まともにいったのは週に1回のクッキングスクールだけに1年間通った。
着付け教室も行ってもいいと言われ通ったが大手に行ったので、すぐに手結びを教えてくれずに3ヶ月でやめた。
結婚したら子供が欲しかったが、4年間の不妊治療の末に子供を持つことをあきらめた。
結婚して10年目に再び母と同居したらやはり母は私たち夫婦を干渉するようになった。
すべての夫婦の会話に口を挟むのである。
私たち夫婦を声を殺して寝た。
休日の外出だけが自由になれる場所だった。
それでもたびたびの外出は嫌な顔をされた。
何処に行っても芸能人の追っかけだと思われた。
母との同居と更年期が重なって私は病気になったのだ。
パートで働いていた友達が近所に作った精神障害者の作業所の賄いのおばちゃんの仕事をやめた。
地元にある精神科の病院は嫌なので友達に聴いて3つ先の駅の心療内科に通った。
毎日つらかった。
苦しかったのだ。
自分に精神障害者と言うレッテルを貼られることが嫌だった。
しかし、病気は受け入れた。
いつかは寛解もあるのだ。
昨今は芸能人だってカミングアウトしている時代なのだ。
主人はいつも優しかった。
一緒に病院にも行ってくれた。
あれほど辛く苦しかった私の身体は薄皮をはぐように回復していった。
薬のおかげも先生のおかげも主人の支えもあったのだ。
偶然にも病気になったときにたまたまテレビでシャンソン歌手のクミコさんの歌を聴いた。
それ以来クミコさんの追っかけをしている。
同居の母は芸能人の追っかけが大嫌いです。
従って私は嫌みを言われながらもクミコさんのコンサートに行き、イベントに行った。
そのおかげか、だんだん元気を取り戻して行ったのだ。
その後同じくシャンソン歌手の日野美子さんのライブにも行くようになった。
その日野美子さんからも元気はもらっている。
昨年の12月にたまたま浪曲知り玉川奈々福さんの浪曲を聴きたくて浅草の木馬亭に行った。
その後天中軒雲月師匠を知り、雲月師匠の浪曲も聴いたら雲月師匠が良くなり、すっかり師匠のファンになってしまったのだ。
まだ私が師匠のファンであることを母は知らない。
おそらく知ったら激怒するかも知れない?
クミコさんから浪曲の雲月師匠ですからね。
とりあえずかいつまんで私のことを書いてみました。
一番好きなのは主人ですからね。そりゃあ、島倉千代子さんもクミコさんも日野美子さんも天中軒雲月師匠も好きですが一番は主人ですから!
主人は私しか友達いませんから!
師匠のファンだと母にバレるのも時間の問題ですかね?
今月末が締切の日本作詞家協会の作詞大賞新人賞、北川大介さんに向けての作詞も〆切が迫っているので何とかします!
落選してもしても応募するんですよ!
諦めていませんから!プロの作詞家!
60年の人生を不幸だと思い込んでいた!
そもそも不幸は子供の頃から始まった。
本当の友達のいない人生を送ってきた。
私は子供の頃からいじめの対象だった。
幼稚園や保育園に入れずに今で言う待機児童となり、小学校に入るも友達の作り方も分からずいじめの対象になった。
中学校も高校もいじめの対象だった。
社会人になったらなったでいじめの対象だった。
32歳で結婚した時に、旦那には友達がいなかった。
旦那も同じ道を歩いてきたのだ。
働いた職場でパワハラにもあっていた。
時折腕につねられた跡が!
働いても働いてもサービス残業だった。
帰って来て主人の腕に付けられたアザを見て泣いた。
私も主人もひとりぼっちだったのだ。
私は一生懸命友達を作ろうとした。
回覧板で配られる市の広報見て、いくつもの公民館の講座に申し込み友達を作りたいと!
しかし、思うように友達は出来なかった。
それでも数人に友達は出来た。
私は子供の頃から寂しい心を埋めるようにテレビで見た芸能人に憧れを抱き、ファンになった。
家庭では母の管理下のもと生活を強いられた。
すべては母の管理下なのだ。
それは結婚するまで続いた。
自由にならない自分を嘆いた。
思い通りにならない自分を嘆いた。
高校を卒業するときに和裁の学校に行きたかった夢も反対され、仕方なく就職の道を選んだ。
その後もすべて反対にあった。
作詞家になりたかった夢も反対にあい、自宅のアパートの裏に星野哲郎さんがすんでいるのに、その門を叩くことさえ許されなかったのだ。
密かに購読していた演歌の月刊誌に作詞を投稿するだけが生き甲斐だった。
カルチャースクールがあっちこっちにできはじめ、習い事をしたかったが、それすらも反対にあった。
行きたくもない近所の自動車学校に仕方なく行くもさっさとやめてしまった。
まともにいったのは週に1回のクッキングスクールだけに1年間通った。
着付け教室も行ってもいいと言われ通ったが大手に行ったので、すぐに手結びを教えてくれずに3ヶ月でやめた。
結婚したら子供が欲しかったが、4年間の不妊治療の末に子供を持つことをあきらめた。
結婚して10年目に再び母と同居したらやはり母は私たち夫婦を干渉するようになった。
すべての夫婦の会話に口を挟むのである。
私たち夫婦を声を殺して寝た。
休日の外出だけが自由になれる場所だった。
それでもたびたびの外出は嫌な顔をされた。
何処に行っても芸能人の追っかけだと思われた。
母との同居と更年期が重なって私は病気になったのだ。
パートで働いていた友達が近所に作った精神障害者の作業所の賄いのおばちゃんの仕事をやめた。
地元にある精神科の病院は嫌なので友達に聴いて3つ先の駅の心療内科に通った。
毎日つらかった。
苦しかったのだ。
自分に精神障害者と言うレッテルを貼られることが嫌だった。
しかし、病気は受け入れた。
いつかは寛解もあるのだ。
昨今は芸能人だってカミングアウトしている時代なのだ。
主人はいつも優しかった。
一緒に病院にも行ってくれた。
あれほど辛く苦しかった私の身体は薄皮をはぐように回復していった。
薬のおかげも先生のおかげも主人の支えもあったのだ。
偶然にも病気になったときにたまたまテレビでシャンソン歌手のクミコさんの歌を聴いた。
それ以来クミコさんの追っかけをしている。
同居の母は芸能人の追っかけが大嫌いです。
従って私は嫌みを言われながらもクミコさんのコンサートに行き、イベントに行った。
そのおかげか、だんだん元気を取り戻して行ったのだ。
その後同じくシャンソン歌手の日野美子さんのライブにも行くようになった。
その日野美子さんからも元気はもらっている。
昨年の12月にたまたま浪曲知り玉川奈々福さんの浪曲を聴きたくて浅草の木馬亭に行った。
その後天中軒雲月師匠を知り、雲月師匠の浪曲も聴いたら雲月師匠が良くなり、すっかり師匠のファンになってしまったのだ。
まだ私が師匠のファンであることを母は知らない。
おそらく知ったら激怒するかも知れない?
クミコさんから浪曲の雲月師匠ですからね。
とりあえずかいつまんで私のことを書いてみました。
一番好きなのは主人ですからね。そりゃあ、島倉千代子さんもクミコさんも日野美子さんも天中軒雲月師匠も好きですが一番は主人ですから!
主人は私しか友達いませんから!
師匠のファンだと母にバレるのも時間の問題ですかね?
今月末が締切の日本作詞家協会の作詞大賞新人賞、北川大介さんに向けての作詞も〆切が迫っているので何とかします!
落選してもしても応募するんですよ!
諦めていませんから!プロの作詞家!