goo blog サービス終了のお知らせ 

ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

母を認知症外来に連れてゆく

2019年08月14日 | 介護
2019.8.14
同居の母を前々から予約していた地元の総合病院の認知症外来に連れてゆく。
このところ症状が落ち着いていて穏やかなので、診察室に入り先生が私に聞いてくるがほぼ1カ月ちょっと前の出来事が思い出せない。
細かなことをいろいろ言うように話をするも、先生はそれは普通だと言う。
その後、母にも聴く。
その後、認知症の一連のテストをする。
その結果88歳の母は年相応の認知症だと言われる。
出された3つの品物の名前を憶えてしばらくしたら言う。
2つまで言えた。
今日がいつだか何年何月何日何曜日だか聞かれる。
西暦も元号も言えない。
考えて月と日付と曜日を言う。
最終学歴を聞かれる。
学校に何年通ったか聞かれる。
そのあたりがあやふやだった。
中学校を出ているのか?
いきなり女学校だったのか?
途中で戦争中の話を始める母である。
「女学校は出たけど戦争中だったんで勉強はしていないんですよ」
と、聴いていないことを言う。
先生が聞いているのは何年学校に通ったかだ。
その次に知っているだけの野菜の名前をあげるように言われる。
母は考えながら思いつく野菜の名前を言う。
一つ言うごとに「それから」とか「それと」と、言う。
88歳は若い人のように多くの野菜をすんなりと言えない。
その次に箱から5つの物を取り出して見せ、名前を覚えてもらい、しばらく別の話をして、その後、さっきの箱の中身を聞く遠野をやった。
母が思い出したのは3つ。
先生はお薬手帳も見て、あっちこっちの病院に通いすぎだと言う。
耳鼻科の目まいの薬はやめてもいいのではとも言う。
その結果年相応の認知症と言われる。
その後血液検査をし、脳のMRIの予約をしてお会計をして終わる。
とりあえずは認知症です。
88歳なりの認知症です。
この次は28日に血液検査の結果を聞き、脳のMRIを撮ります。
帰りに病院の近所のばんどう太郎で食事をし、タクシーを呼んだら電話が出ません。
あきらめてバスに!
バスで駅まで行き、そこからタクシーに!
いやあ、1カ月ちょっと前の出来事をメモして置けば良かったですね。
いきなり聞かれて思い出せない。
あんなに怒鳴り合ったのにね。
おまけに死にたいとも言ったのにね。
母は果たして自分が年相応の認知症だと言うことを理解しているのでしょうか?
私は疲れた一日でした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浪曲に恋して!師匠に恋して!

2019年08月14日 | 介護
2019.8.14
そもそも私は浪曲と言うものがどのようにして庶民に根付いたのかを知らない。
テレビもラジオもない時代にどのような形で庶民に根付いたのだろうか?
そして庶民派は浪曲をどのように娯楽の一つにとらえたのか?
その昔はあっちこっちに芝居小屋があったようにあっちこっちで浪曲は行われていたのだと思われる。
そこにお目当ての浪曲師を楽しみに人々は通ったのだと思う。
娯楽の少なかった時代の話です。
私はその時代に生きてはいないので、すべては想像でしかないのです。
今やテレビの普及やラジオの普及もあり、それ以外の多くの楽しみも増えた時代です。
態々浪曲を聴きに行くと言うことは少ないのかも知れませんね。
それでも人気の浪曲師と言うものはいるものです。
例えば男性なら玉川太福さんなどがいい例です。
女性は玉川奈々福さんが人気を博しております。
そう言った人気の上で若手も師匠の皆さんも頑張って浪曲の普及に努めているのです。
日々切磋琢磨し、研鑽を積み、多くのことを学び、浪曲と言うものがあるのだと。
浪曲と言うものは一つの娯楽の域を超えた伝統芸能だと思います。
その伝統芸能の火を絶やすことなく未来栄光につなげて行くことも浪曲師の一つの使命だと。
素晴らしい浪曲と言うものはお客さんを魅了し、引き付けるものです。
外題の良し悪しにも寄ると思われますが、外題の良し悪しにかかわらず一生懸命の熱演は心に届くものです。
30分の独り舞台、台本を覚えるのも大変です。
覚えた台本を舞台に掛ける。
その舞台にかけた浪曲を曲師と阿吽の呼吸で息を合わせながら披露する。
そこにある意味浪曲の持つ素晴らしさが生まれるのです。
そしてそこには本物の浪曲と本物の芸が存在するのです。
本物の浪曲と本物の芸にはお客の声もかかるのです。
「待ってました!」「たっぷりと!」「お時間まで!」「日本一!」
これらの掛け声がかかればしめたものです。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする