ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

子供の頃から全てを否定されて育ってきた!

2020年07月19日 | 介護
子供の頃から私は全てを母に否定されて育ってきた。
母の言うことは絶対だった。
母は私のやることなすことを否定していた。
そもそも子供の頃に好みの髪型さえも出来ずにいたのだ。
小学校の低学年では無理やり床屋に連れていかれて、おかっぱなる髪型にさせられていた。その後ら床屋から美容院に変わるもおかっぱは変わらなかった。
中学生になって少しづつ反抗をしてきた。
それでも母は私を母好みの女の子に育てたいと思っていたのだ。
全てを否定されて管理された生活は苦しい以外の何者でもないのだ。
朝から晩まで監視され管理された生活は楽しいものではなかったのだ。
高校を卒業するときの進路も決められ、やりたいことも出来ずに社会人になったのだ。
なったはいいが、そこにも母の壁ははびこるのだ。
起きる時間を管理され、寝る時間さえも決められるのだ。
消灯時間は11時だった。
電気を消されて寝る。
休日の過ごし方もある程度管理されることになるのだ。
外出はどこに誰と何しに行く?
何時に帰るか?
全てを告げなくてはいけないのだ。
帰ってきたら帰ってきたで、その日の報告を聞かれるのだ。
そもそも子供の頃から私は芸能人が好きだった。
大人になっても休日はどこへ出掛けても芸能人の追っかけだと思われた。
決めやれた小遣いの大半を芸能人の追っかけに使うと決めつけられた。
彼氏が出来れば彼氏と勝手にデートの約束をしてきたことを怒られた。
デートの約束をする前に母にお伺いをたてなければならなかったのだ。
デートをしたらしたで、帰ってから事細かにデートの内容を聞かれたのは言うまでもない。
食べたものから会話の内容まで聞かれた。
果ては着ていく洋服やファッションにまで口を出す始末だった。
この母は娘の私が病気になってもあまり心配はしないのだ。
母曰く病気になった本人が悪いらしい?
風邪を引いたら薄着でいたのが悪いとか?
布団をきちんと掛けていなかったのが悪いとか言うのだ。
怪我をしたら怪我をしたで、怪我をした本人が悪いらしい?
ある日包丁で指を切ったら、さほど心配もせずにバンドエイドでも貼っておけ!
くらいの気持ちだったことには腹が立った。
次の日にも血が止まらなかったので、私は病院に行ったのは言うまでもない。
別の日に踏み切りの真ん中で転んだ時も、転んだ私の不注意を怒った。
転んで怪我をしたことよりも、余所見をしているから転ぶのだと怒った。
腰痛も捻挫も母はさほど心配はしていない。
私は腰痛でも家事を強いられるのだ。
坐骨神経痛やぎっくり腰をやった。
ぎっくり腰は2度もやった。
腰椎すべり症の持病もあるのだ。
さすがに朝起きてめまいで洗面所の入り口で倒れた時には心配してくれた。
めまいで階段から転げ落ちて、左肘を骨折した時も心配はしてくれた。
いゃあ、それ以外はほとんど心配はしないのだ。
私は自律神経失調症の一つで過敏性腸症候群の下痢型の持病があるのだが、一旦それになると数日は下痢が続くのだ。
しかし、母はその下痢さえも寝冷えとか?冷たい物を食べたとか?
と、決めつけてしまうのだ。
理解に乏しいのは言うまでもない。
テレビの話を鵜呑みにし、ましてや健康番組の話などは鵜呑みにするのだ。
出たがり屋の医師の言うことを信じるのだ。
私が更年期になった時にも、自分の自慢話をしてきた。
母曰く私は更年期でも働いていたよ!
更年期だからと言って休んではいなかったよ!
と、言うのだ。
私は更年期で近所の婦人科の外来に行き、とうとう更年期から別の病気になったのは言うまでもない。
しまいに実母なのに母からは気違い呼ばわりされてしまったのだ。
趣味を持ってはいけない。習い事にお金を使ってはいけない。
資格を取るのはいけない。
ある日私は母に内緒で料理検定の試験を受けに行くことになるが、それがバレて「その資格取って何になるんだい?」と、言われたことには閉口した。
本来ならば2級も1級も試験を受けたかったのに、3級の試験を受け、2級の試験はお金を払ったが勉強も出来ずに落ちるという経験をしているのだ。
習い事はいけないのだ。
趣味はいけないのだ。
そんなことにお金を使うのは母曰くいけないのだ。
その後私が学習したのは事はこっそりするということなのだ。
母に隠れてする。
そのいい例がSNSなのだ。
そもそも携帯やスマホなどは必要は無かったのだ。
それが家の固定電話は全て母に聞かれるので、携帯を持った。
そして、スマホになったのだ。
そうなればパソコンも持つ!
そしたらSNSはするのだ。
facebookをする。
Twitterをする。
ブログをする。
全てはパソコン教室で習ったのだ。
そしてとうとうLINEのスタンプまで作ったのだ。
その後、Kindleの電子書籍を出版までしてしまった。
これは第3弾まで本を出版したのだ。
事は全て隠れてこっそりする。
その一つが作詞です。
毎回日本作詞家協会の新人賞に応募しています。
落選しても応募しています。
目標は当選して、私の作詞に曲が付けられ、プロ歌手が歌い、そのCDがCDショップに並ぶと言うことです。
未だに落選ですからね。
なぜ?こんなことをするかと言うと、私と言う存在をこの世に残したかっただけなのです。
それはある意味母への反発でもあるのです。
反抗でもあるのです。
そして逆襲でもあるのです。
母の私に対する育て方の間違いを正すため逆襲でもあるのです。
母の管理下の元で育てられた娘の逆襲でもあるのです。
事は隠れてしてもバレるのです。
そもそも全国から年賀状が来ることを母はおかしく思っています。
facebookで知り合った人やクミコさん繋がりのファンの人から年賀状が届きます。
ここ最近はfacebook繋がりの芸能人からも何かが届きます。
それらを母はおかしく思っています。
くれぐれも自宅には何も送らないようにお願いしても届きます。
入山アキ子さんは毎週土曜日の2時にfacebookで生配信をするので、その時のなぞなぞの景品が何度か届きました。
宛名の住所が後援会と書いてあるので、母はすっかり後援会に入っていると思っているかも知れませんね。
後援会に入りたいのは山々ですが、無理なんですよ。
母は芸能人大嫌いですからね。
おまけに認知症です。
あの芸能人もこの芸能人も好きなんですが、無理なんですよ。
迷って選んで頼んで入れてもらったのが、浪曲師の五代目天中軒雲月師匠の後援会です。
それすらも母は何か届くと怪しいと思います。
本当に困りましたね。
逆に送ったら悪いと何も送って来ない芸能人はありがたいですね。
普通に友達からも何も送らないように話しています。
子供の頃から母に全てを否定されて生きてきた娘はこんな大人になるんですよ。
でも学んだことはあります。
母のような大人にならないと言うことを!
子供を持ったら母のような親にならないと言うことを!
我が家には子供はいません。
私が62年生きてきて学んだことは他人の喜びを自分の喜びだと思えるようになったことです。
自分さえ良ければの心を捨てたことです。
他人に施しをしても見返りは求めないと言うことです。


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