ちいちゃんのひとりごと

ちいちゃんのひとりごとを勝手気ままに書いています。

一生懸命生きている他人と人生前向きな他人

2023年05月14日 | 日記
一生懸命生きている他人と人生前向きな他人は大好きです。
私に無いものを持っているからです。
私はいつもつまらないことでくよくよして落ち込んでしまいます。
他人には「何事も人生前向き」と、言ってはいますが、つまらないことで落ち込みます。
些細なことを根に持ちます。
明るい素振りの裏で泣いています。
顔で笑って心で泣いています。
他人の前ではいいカッコしいのおばちゃんです。
いい他人を演じます。
ところで今日は全国的に母の日でした。
我が家の母は母の日は喜びません。
子供のいない私も母の日は大嫌いです。
主人の母が元気な時は主人の母には母の日のプレゼントはしていました。
体型が似ていたので、私が着てサイズの合う服をプレゼントしてました。

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寝不足

2023年05月14日 | 日記
昨年の5月末に主人が倒れて入退院を繰り返すようになってからと言うもの、夜は主人の見守りをしているので睡眠時間が平均すると4~5時間です。
昼間は連日睡魔と戦い過ごします。
主人の転倒が一番怖いのでどこにいても見守ります。
夜は一時期主人は頻尿で5回もトイレに起きてました。
薬のおかげか夜のトイレも2回になりましたが、油断はなりませんね。
そんなわけで今日は夕方から睡魔に襲われ、夕食も遅くなる始末でした。
何もしない出来ない家族です。
母などは作ったおかずに文句を言い、炊いたご飯にも文句を言うのです。
私は腰椎すべり症を抱え、左ひざは変形性膝関節症です。
おまけに左手中指はばね指です。
なかなか忙しく整形外科にも思うようには通えません。
家族が優先です。
いつでもどんな時でも家族が優先です。
30分もしない草むしりで音を上げ、少しの床掃除で音をあげます。
腰痛や膝には堪えますね。
皆さんも健康には十分注意して良い睡眠を心がけ過ごしてくださいね。
無理は禁物です。

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何もない私

2023年05月14日 | 日記
他人に自慢できるものが何もない。
特技見ない。
資格も無い。
何もかも母親に反対されて育ったので何もない。
我が家の私は子供のころから今で言う宗教2世だった。
金のないころに父親はおそらくその新興宗教の出版社で新聞の仕事をしていたのだと思われる。
父親は姉の勧めで新興宗教に入った。
入ったはいいが、父親は他人に勧めると言うことはしなかった。
たまたま隣が教会だった。
6畳一間の家に3坪ほどの店があった。
うどんや蕎麦を売り、夏場はところてんやかき氷を売っていた。
その横で仏具も売っていた。
来るのは隣の教会の信者ばかりだった。
仏具は一度買えば二度目は買わない。
したがって売れないのだ。
お客とて隣に何か行事や用事が無いと来ない。
2年もしないでつぶれた。
一家は東京に行くのだ。
おじさんの家に間借りする。
母は家政婦のように働いた。
おばさんは単身赴任で家にはいなかった。
職業婦人と言えば聞こえはいいが、新興宗教で働いていた。
もともとは子供二人を幼くして亡くし、救いを求めて新興宗教に入ったようです。
おばさんの兄妹や田舎の両親も入信させられた。
もちろん父もである。
父は熱心な信者では無かったので、他人に勧めると言うことはしなかった。
私に対しても弟に対しても勧めてくると言うことは無かった。
仏壇はあったが、仏壇に向かってお経をあげると言うことも無かったと思う。
集まりに私や弟や母を連れて行くとこも無かった。
もちろん行事にも無かった。
家族に対しての洗脳も無かった。
私はその新興宗教の教義や教えも知らずに育った。
正月は近所の神社に初詣にも行く。
お寺にも行く。
自宅に新聞や雑誌は届くが読みもしなかった。
父が他人に勧めなかったことは良かった。
熱心ではなかったことも良かった。
母にも私にも弟にもそれらを学ばせようとかそう言った気持ちも無かった。
今、世間で騒がれているような某新興宗教やカルト教団で無かった。
私が20歳を過ぎて父はやめてしまった。
父親の親戚も私の従姉はアメリカに行き、別の新興宗教に改宗するのだ。
また別の従姉は結婚し、相手が別の新興宗教だったのでそれに入るのだ。
宗教二世だったが、何も学んではいない。
制約も無かった。
決まりも無かった。
母の弟の嫁はカルト教団に入ってしまった。
そんなわけで主種雑多の宗教が親戚にはいるのだ。
私自身は新興宗教もカルト教団も嫌いです。
相手に対して勧めてこなけれないいのです。
他人を見るときに私はその他人の宗教で価値観は決めません。
人柄と性格です。
小学生のころ友達を神社の祭りに誘ったら断られた。
後で気が付いたのはその子の家は新興宗教をやっていた。
高校生の時に学校から配られる名簿に親の職業欄を書くところがあり、クラスの2名は親の職業が「宗教」だった。
自宅がT教で教会をしているようだった。
社会人になり、職場の上司が明治大学を出ているのに就職先をすべて断られてアルバイトしていた今の会社に入ったと聞いた。
親の職業が宗教で断られたのだ。
宗教二世と言う言葉はここ数年で知った。
そういえば私の家も父と母は結婚する以前から父は信者だったので、私は今で言う二世だったのだ。
何も学んでこなかったのは幸いだった。
集まりに連れていかれることも無かったし、教義を学ぶことも無かった。
仏壇に手を合わせることも無かった。
やがて仏壇も無くなった。
我が家に仏壇があったのはほんの一時だった。
選挙の活動も父はしなかった。
自民党支持派で自民党から出た議員を応援するのだが、入っていた新興宗教が自民党寄りだっただけだった。
子供のころに住んだマンションの隣の住人が別の新興宗教の熱心な信者だった。
たびたび隣の家には他人が集まってきて、玄関に入りきれない靴は表の廊下まで出ていたし、扉は開け放たれていた。
ちょうど私は高校受験を控えていたが、他人が集まる日はうるさくて困った。
延々と続くお経が我が家まで聞こえてきて困った。
母の5つ下の妹は嫁ぎ先が熱心な新興宗教の信者だった。
ご多分に漏れず、おばさんも熱心な信者になり、子供は宗教二世で熱心な信者になったが息子は病気で亡くなり、娘はバツイチ再婚である。
おばさんも病気で亡くなった。
そもそも新興宗教と言うものは心のよりどころでしかないと思っているので、他人にむやみやたらに勧めるものではないのだ。
他人に勧めれば自分に幸せが帰ってくるとか回ってくると言うことは無いのだ。
入るのは自由だが他人には勧めないに越したことはない。
私はその他人の人柄と性格で他人を見るので、相手が何を信じていようと勧めてさえ来なければいいのだ。
昔、市内のある政党の市議会議員さんに近所の小規模作業所の実態を話したが、話を聞いてはくれたが、解決はしなかった。
宗教がらみのあの政党です。
何も解決してくれないし、実態を見に来てもくれませんでした。
今は無所属の議員を支持しているが、市民の困りごとはすぐに解決してくれる。
現場を見に来て県会議員さんと相談しすぐに解決してくれます。
そんなわけで私自身は無宗教で支持政党もありません。
お寺も神社も行きます。
氏神様もあります。
主人の実家は曹洞宗のお寺の檀家です。
他人が何を信じようと自由です。
他人には勧めないとこですね。
心のよりどころでしかないんですよ。

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