昨日は母の入院している病院に面会に行ってきた。
まだまだコロナやインフルエンザも流行っているので面会は10分と決められている。
本心を言えばたった10分の面会に、母の言葉に辛かった。
私の名前を忘れかけ、弟の名前を思い出せなくて、父の名前が祖父の名前だった。
たった10分の間に「帰りたい!」と何度か行った。
先生から許可が下りていないと嘘をついた。
退院してきてももはや自宅で私が介護をすることは無理に近いのだ。
車椅子に乗せられた母はおそらく自力でゆっくりでも以前のように杖をついての歩行は無理だと思うのです。
おそらくトイレに行くことも自力では無理だと思われます。
シャワーを浴びることも自力で出来なくなった母を私がどこまで介護できるのでしょう?
バリアフリーでない我が家です。
母の部屋は箪笥とベッドが占領していて入り口の襖の全開は無理なのです。
車椅子で部屋に入ることは無理なのです。
玄関と廊下とトイレと風呂の入り口と風呂場には何年も前に介護保険で手すりは付けました。
一部段差もレンタルのスロープを置いています。
そもそも母の部屋のベッドが介護用ではありません。
レンタルの介護用を嫌がり、私が介護ベッドを買うと言うのを嫌がり、自分で安価なベッドを買いました。
そのベッドが襖の1枚の半分まで飛び出しているのです。
そして箪笥もあるのです。
最後まで私が看取る。
自宅で看取るはもはや無理になりました。
ここ数年なれない介護に母の思うようなことは出来なかったような気がします。
初めての介護です。
経験も資格も無いのです。
ただひたすら実母だから母の出来ないことは私がやる。
昨年の5月29日に主人が突然倒れ救急車で運ばれ入退院を4回経験しました。
今年のお正月も突然けいれん発作を起こしました。
ほぼ1年の7か月近くを病院で過ごした主人は夜は21時には寝るようになりました。
すっかりトイレも近くなり、夜中に3~4回は起きます。
主人は転倒して頭を打つことが怖いのです。
夜中のトイレは声掛けをします。
したがって私はとぎれとぎれの睡眠です。
他にも主人の出来ないとこは私がします。
洋服のボタンの掛け違いを直したり、被り物の服は後ろ前を間違えないように渡します。
母と主人の二人の介護を私一人でやることに限界を感じていました。
ましてや主人は早朝には起きるのです。
場合によっては4時半や5時半に起きてパソコンをしています。
私はとぎれとぎれの睡眠に4時半や5時半に起こされては困るのです。
夜中に私は自宅で母を介護出来なくなったことに泣きました。
自宅で看取れないことに泣きました。
「帰りたい」と言った母の気持ちに答えられないことに泣きいました。
まだまだコロナやインフルエンザも流行っているので面会は10分と決められている。
本心を言えばたった10分の面会に、母の言葉に辛かった。
私の名前を忘れかけ、弟の名前を思い出せなくて、父の名前が祖父の名前だった。
たった10分の間に「帰りたい!」と何度か行った。
先生から許可が下りていないと嘘をついた。
退院してきてももはや自宅で私が介護をすることは無理に近いのだ。
車椅子に乗せられた母はおそらく自力でゆっくりでも以前のように杖をついての歩行は無理だと思うのです。
おそらくトイレに行くことも自力では無理だと思われます。
シャワーを浴びることも自力で出来なくなった母を私がどこまで介護できるのでしょう?
バリアフリーでない我が家です。
母の部屋は箪笥とベッドが占領していて入り口の襖の全開は無理なのです。
車椅子で部屋に入ることは無理なのです。
玄関と廊下とトイレと風呂の入り口と風呂場には何年も前に介護保険で手すりは付けました。
一部段差もレンタルのスロープを置いています。
そもそも母の部屋のベッドが介護用ではありません。
レンタルの介護用を嫌がり、私が介護ベッドを買うと言うのを嫌がり、自分で安価なベッドを買いました。
そのベッドが襖の1枚の半分まで飛び出しているのです。
そして箪笥もあるのです。
最後まで私が看取る。
自宅で看取るはもはや無理になりました。
ここ数年なれない介護に母の思うようなことは出来なかったような気がします。
初めての介護です。
経験も資格も無いのです。
ただひたすら実母だから母の出来ないことは私がやる。
昨年の5月29日に主人が突然倒れ救急車で運ばれ入退院を4回経験しました。
今年のお正月も突然けいれん発作を起こしました。
ほぼ1年の7か月近くを病院で過ごした主人は夜は21時には寝るようになりました。
すっかりトイレも近くなり、夜中に3~4回は起きます。
主人は転倒して頭を打つことが怖いのです。
夜中のトイレは声掛けをします。
したがって私はとぎれとぎれの睡眠です。
他にも主人の出来ないとこは私がします。
洋服のボタンの掛け違いを直したり、被り物の服は後ろ前を間違えないように渡します。
母と主人の二人の介護を私一人でやることに限界を感じていました。
ましてや主人は早朝には起きるのです。
場合によっては4時半や5時半に起きてパソコンをしています。
私はとぎれとぎれの睡眠に4時半や5時半に起こされては困るのです。
夜中に私は自宅で母を介護出来なくなったことに泣きました。
自宅で看取れないことに泣きました。
「帰りたい」と言った母の気持ちに答えられないことに泣きいました。