自宅で介護が無理になり、母を特養に入れた。
毎日母を特養に入れたことを悔やんでいる。
どんな食事をしているのだろうか?
クリスマスはあったのだろうか?
誰かと会話はしているのだろうか?
思うような介護も看護も出来ずに悔やんでいる。
あれほど嫌っていた母なのに、今や愛おしい存在です。
親孝行もろくに出来ずに詫びています。
考えれば本来は母のことが好きだったのかも知れませんね。
二十歳の時に親の反対を押し切って家を出て無残にも1か月と1週間で自宅に舞い戻り、両親の間で寝て号泣しました。
両親は理由も聞かずに受け入れてくれました。
端から見るよりあたたかな家庭がそこにあったのです。
料理を習ったわけでもない母の作るご飯は美味しかったです。
小学2年生からご飯炊きと家事を強いられた母はその辛さはいかばかりかと思われます。
働いて帰ってきて疲れているのに母は食事を作ってくれました。
そんな食卓を家族で囲みました。
すき焼きや鍋などは父が作ります。
父の作るすき焼きはごちそうでした。
日曜日の外食も母のことを思って父がしてくれたのだと思います。
日頃パートで働き、家事もこなす母への罪滅ぼしだったのかも?
そこには暖かな家庭があったのです。
毎日母を特養に入れたことを悔やんでいる。
どんな食事をしているのだろうか?
クリスマスはあったのだろうか?
誰かと会話はしているのだろうか?
思うような介護も看護も出来ずに悔やんでいる。
あれほど嫌っていた母なのに、今や愛おしい存在です。
親孝行もろくに出来ずに詫びています。
考えれば本来は母のことが好きだったのかも知れませんね。
二十歳の時に親の反対を押し切って家を出て無残にも1か月と1週間で自宅に舞い戻り、両親の間で寝て号泣しました。
両親は理由も聞かずに受け入れてくれました。
端から見るよりあたたかな家庭がそこにあったのです。
料理を習ったわけでもない母の作るご飯は美味しかったです。
小学2年生からご飯炊きと家事を強いられた母はその辛さはいかばかりかと思われます。
働いて帰ってきて疲れているのに母は食事を作ってくれました。
そんな食卓を家族で囲みました。
すき焼きや鍋などは父が作ります。
父の作るすき焼きはごちそうでした。
日曜日の外食も母のことを思って父がしてくれたのだと思います。
日頃パートで働き、家事もこなす母への罪滅ぼしだったのかも?
そこには暖かな家庭があったのです。