こんにちはこんちゃんです😌
米沢にやってきました😊
米沢は鎌倉時代に長井氏が領有したと伝えられ、その後、伊達氏が212年間、上杉氏が272年間、治めたそうです😌
現在に残る城下町の形成は、上杉氏の重臣直江兼続公が築いたそうです😌
それでは第110回こんちゃんのお城めぐり「米沢城跡」を始めましょう😊
この先にある上杉神社は米沢城本丸跡にあるそうです😊
松岬神社のあるこの辺りは二の丸だったようです😌
こちらは松岬神社の横にある鷹山公座像です😊
上杉家十代上杉鷹山公は、困窮、崩壊寸前の藩を復興させた江戸時代随一の名君として知られている方です😌
まっすぐ歩いてゆくと「毘」と「龍」の幟がたつ、米沢城本丸跡にきました😊
米沢城本丸跡のお堀と舞鶴橋です😊
アーチ式の石橋で上杉神社の参道として明治19年(1886年)に完成したそうです😌
江戸時代は米沢城の正面にあたり、木製の太鼓橋が架けられていたそうです😊
平成10年に国の登録有形文化財に指定されたそうです😌
橋のたもとにプレートがありました😊
参道を進むと「米沢城下絵図」と「米沢城」の説明板がありました😊
米沢城ゆかりの戦国武将として、伊達政宗、直江兼続、上杉景勝の3人が紹介されていました😌
反対側には「天地人」上杉景勝公と直江兼続公主従像があります😊
大河ドラマ「天地人」ワタシも以前拝見しました😌
この像は米沢入部の途次、新しいまちづくりについて二人の主従が語り合う姿を表現しているそうです😊上杉神社の参道にも上杉鷹山公之像がありました😌
隣の石碑に有名な「なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」が刻まれています😊
参道の先に上杉神社があります😊
祭神は上杉謙信公です😌
お参りしてゆきましょう😌
二の鳥居の前には上杉謙信公家訓十六ヶ条の石碑がありました😌
明治5年(1872年)に上杉神社が創設され、
明治9年(1876年)に上杉家廟所へ謙信の遺骸が遷され、現在地に社殿が創建されたそうです😌
中に入ると上杉神社本殿があります😊
現在の神社本殿は、大正8年(1919年)の米沢市大火で焼失後、大正12年(1923年)に再建されたものなんだそうです😌
ではお参りしてまいります😌
お参り後ぺろ氏のスタンプにお付きあいしてから、お城めぐり再開です😊
参道北側にまた像が建っていますね😌
上杉謙信公之像です😊
49歳で急死した謙信の遺骸は、甲冑を着け甕に収められ、春日山城内にまつられたと伝わり、遺骸はその後、上杉氏とともに会津、米沢へと移されたそうです😌
謙信公の遺骸は本丸跡に入ってすぐ左手、一段高い所に築かれた御堂に祀られていたそうです😌
行ってみましょう😊
上杉謙信祠堂(御堂)跡です😊
今は柵に囲まれた石碑が建っていました😌
南東隅の高台にあった御堂跡からは舞鶴橋がよく見えました😊
ここから謙信公が見守っていたのですね😌
次回へ続きます😊