落葉の積もる場所

- The way I was -
 

(今夜だけ) K’s BAR  OPEN!

2009年10月03日 | WEBLOG
  





こんばんみ~!





1か月のご無沙汰でした。





玉置宏です。       (違うか!  )






























マスターKだよ。          





おぼろ月夜に浮かれて、思わず出て来ちゃいました。





ちっぷくんはハードにお勉強中なので、 今夜だけ俺が K’s BAR を開けます。






























今夜、マスターは酎ハイでいくけど、 お酒は何でも揃ってるからリクエストしてくださいね!










































それでは   名月に カンパ~イ   























































信号無視   - why we divorce -

2009年10月02日 | WEBLOG




警察官のせがれとして生まれた私は、遵法精神だけは強く叩き込まれました。





しかし、一度だけ信号無視をしたことがあります。





今から15年ほど前、  北海道での出来事。






























当時のパートナーとの北海道一周旅行。



夕張-札幌(泊)-旭川(泊)-稚内(泊)-網走(泊)-釧路(泊)



かなりの強行日程、 さらに運転者は私ひとりでした。


















信号無視事件は、旭川のホテルを出発して、稚内のANAホテルを目指している道中に起きたのです。



それも、稚内ANAに到着する直前の交差点で。















その原因は、わかっています。
















旭川~稚内間の道路には、ほとんど全くと言っていいほど、信号がありません。



そして、優雅に蛇行する川に沿って、大きく曲がりくねる道。



途中、休憩をとるタイミングを失うほど、私にとっての「北海道」を具現化したような道が続きました。
















約250kmが、遠く感じられないほどの素晴らしい景色が現れます。



地元の方たちにとっては退屈極まりない風景も、北海道好きの私にとってはずっと憧れだった雄大な世界。
















しかし、体は確実に疲弊していたようです。



距離的にはたいしたことはなかったのですが、神経は相当消耗していたのです。



いわば、「ドライバーズ・ハイ」状態だったのでしょう。

















稚内市内に入った頃には、「早く着いてくれ~」という思いが募っていました。




















ホテルを目の前にして、久しぶりに信号のある交差点に差し掛かりました。



「赤信号」 の認識はありました。



決して、よそ見などをしていたわけではありません。












しかし、私の足はブレーキを踏むことなく、そのまま交差点へ進入・・・。












































キャ~~~~!



























元パートナーの悲鳴が車内に轟きました。





















  「どうしたのよ! 赤なのに! 危ないじゃん!」




















私を責めたてる声が響きわたり、 



そして夕張で借りたレンタカーは稚内の交差点のド真ん中で、佇むように停まっていました。



















前後左右、 車の姿は一台も見当たらないのを確認し、



慎重に停止線までレンタカーをバックさせた私の頭の中は、怒りの思考に満ちていました。











矛先は、もちろん元パートナーです。



もちろん、言葉にはしませんでしたが。






























「250kmの移動の車中、ずっと助手席でモグモグ「鮭とば」を、ひとりで食べ続けてたくせに…」








「お前が運転免許を持ってないから、北海道一周、全部俺が運転だぞ…」








「危ないじゃーん! だと?   顔も言い方も、いちいちむかつくんだよ!」






   ・・・・・・・・・・・

















































































愛も優しさもない夫。     配慮も思いやりもない妻。































その数年後、私たちの婚姻関係が終焉を迎えたのは必然だったんだなー



と、 ときどき思い出してしまう出来事です。